その男、-3

文字数 1,267文字

 たまに、夢を見る。強風に雨が叩きつけられ、雷が鳴り響く、ある嵐の夜の夢。

 夢の中で、フユトはいつも、年端のいかない子供だった。そして隣には双子の兄がいた。吹き荒れる嵐に浅い眠りを邪魔されて起き、寝付くまで傍にいてくれた母の姿がないことに気づき、冷たい廊下へと探しに出る。弟が起き出した気配に兄も目覚めたのか、不安そうな弟を窘めながら、一緒に母を探すことにする。

 やめておけばいいのに、と、夢の中で現在のフユトは思う。思うが、子供たちは止まらない。何せ彼らは過去の自分たちであり、その先に待つ光景など知らないからだ。

 恐ろしい怪物の呻き声に似た風と、家を壊してしまいそうな轟雷の響き。暗闇の中、母を探す子供たちは寄り添いながら、リビングダイニングへと向かう。足音を立てないよう近寄り、真っ暗な部屋への入り口を押し開く。

 仄白い雷光に照らされたのは、顔の皮を剥がされ、両の眼球を失い、左胸に牛刀を突き立てられたまま解剖された、母の無惨な最期の姿。おかあさん、咄嗟に呟いた弟を悪夢から庇う、兄の力強い抱擁と、塞がれた視界の中、それ自体が巨大な絶望のように虚ろな気配が子供に気づき、話しかけ、赤く染まった両の手を差し伸べる、その瞬間。

 反射的に震えた体が覚醒を促し、薄目を開ける。見慣れてしまった夢の中と変わらない体温の指が、そっと、フユトの褐色の髪を撫でたところだった。

「……帰ったのか」

 横臥していた体を仰向け、髪に触れた指の持ち主に視線を投げる。

「起こして悪いな」

 絶対に感情を出さない虚ろな男、【蛇】と通称されるようになって久しいシギが、ベッドの縁に腰掛けていた。

「いや、どうせ夢見は悪ィから」

 気温のせいばかりでなく、冷えきった指先に温もる指で触れ、寝起きでぼんやりする頭で、それとなく自嘲する。

 断片的な幼い頃の記憶は、完全に戻ることなどないだろう。詳細な記憶は自衛のために海馬が封印したのだと思うが、脳裏に焼き付いて離れない光景だけが、夢の中で延々と繰り返される。そこに寄せる感慨はないし、きっと慈愛に溢れていただろう、母の面影も忘れた。兄と共にストリートに堕ちて生きなければならなくなった、その原因を作った目の前の男を恨んでなどいないし、自らの境遇を嘆くこともない。

「まだ夜中?」

 恒温動物のように冷たい指が、温もりを求めるよう絡まるままに任せ、フユトはそれとなくシギに訊く。何せ、寝室には時間を示すものがないので、どれだけ眠っていたのか定かではない。

「夜明け前だな、依頼でもあるのか」

 ベッドの縁から着衣のまま、シギがフユトの体温で温もるシーツに滑り込み、掌をくすぐった指で首筋から腰まで辿っていく。フユトが不快そうに眉を寄せるのを無視し、額にかかる髪を逆の手で撫で上げ、顕になったそこへ軽い接吻をして、案じるフリで尋ねてくるから。

「まだ寝たいから邪魔すんじゃねーよ」

 剣呑に聞こえるよう答え、戯れ程度に肩を押すと、これは承諾だと解釈したのか、額から瞼、頬へと下りてきた唇が、呼気ごと飲み込むような深いキスを仕掛けてきた。
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