その男、-4

文字数 803文字

 理性がどろどろに溶けるほど甘やかされ、恥も外聞もなくねだって、舌を優しく吸われるたびに背筋が慄く。自分を客観視することは通常でも難しいのに、脳が蕩けた状態で目を瞑ってしまえば更に見えなくなって、どんな姿を晒していようと構わない。そんな些末なことを気にしていられるほど、今は冷静でいられないのだ。

 いつもは爬虫類のように冷たい体が、その時ばかりは熱を帯びて息を上げ、底のない瞳の奥に情欲の光を帯びるのを見つめる瞬間が、たぶん何より至福なのだと感じる。普段から飄々としている男が、表情筋の一つまで計算し尽くして行動する男が、ほんの少しだけでも素顔で向き合ってくれる気がして、何だかんだ言いながらも不満はない。

 耳元に熱持つ吐息を感じながら、刹那的に喉を鳴らして緊張し、噛み締めた歯の隙間から解放と共に感嘆を洩らして弛緩する、その一瞬が何より愛しい。

「……だる……」

 後始末を丸投げし、足音もなく寝室を出て行った気配が隣に戻るのを待って、ぼやきながら背を向ける。それが文句や不平というより単なる感想であることは、ベッドヘッドに凭れて座る男のよく知るところだろう。

 重くなる瞼に任せて目を閉じると、それすら気配で察するシギが、後ろ頭の髪に指を通して梳るから、程なく睡魔がやって来る。意識の全てを蝕まれる前に、一度だけ薄目を開けると、背中に平熱三十五度が寄り添った。

「しばらくはまだいるから、寝ろ」

 こめかみに触れる唇がそう言って、今度こそ本当に目を閉じる。揺蕩いながら水底に沈んでいくような、何ヶ月ぶりの深い睡眠への誘いのまま、深く息を吸って、ゆっくりと吐いた。

 おやすみ、と、遠い水面の向こうで誰かが言って、溺れてしまわないよう、はぐれてしまわないよう、背後から腰を抱く腕に手を添える。これでようやく、深い闇の中も迷わず歩いて行ける。

 程なく、フユトが寝息を立て始めるのを聞いて、シギは無防備な項に唇を寄せた。



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