崩壊する箱庭で-2

文字数 1,285文字

「──それで、何が気に入らない」

 ベッドに深く座って両膝に肘をつき、項垂れたまま何も語らず、言い訳もせずにいるフユトに、シギは淡々と問う。声に感情の色はない。

 以前のシギならきっと、こういう場合は相手をねじ伏せ、屈服するまで、手段を問わずに思い知らせただろう。どちらが飼い主で、どちらが優位か、考えなくとも判断できるまで。

 フユトはそれでも黙ったまま、壁に凭れて立っているシギを見る。

「お前はただの駒だ、利用価値があれば使うが、そうでなければ排除する、それが答えだ」

 シギは真顔だった。瞳からも感情は読めない。

「何度も言わせるな」

「……だったら、」

 フユトは憎悪に眉を寄せて、それにたじろぐ筈もないシギを正面から睨む。

「だったら最初から期待させんじゃねぇよ、お前にとってただの駒なら、駒のままにしとけばいいだろうが」

 その感情は怒りとは違うが、哀しみではない。失望に似ているが、フユトはそれを何と呼んでいいかわからないまま、呪詛のように吐き出して、

「期待する俺だけが悪いのかよ、そうやって繋ぎ止めておきたいのはお前のくせに」

 シギから顔を逸らすと、彼を残して部屋を出た。

 久方ぶりに帰宅した自室は、主が生活していないのに埃っぽかった。明かりをつけないまま、奥の寝室に行き、ベッドに背中を預けて床へと座り込む。渦巻いていたはずの劣情は冷え切っているのに、何かに駆り立てるような衝動だけが行き場を失い、どうにも落ち着かない。

 朝はあんなに、じゃれ合うほどだったのに。

 シギが言う通り、勝手に期待して、仕事が立て込んだから今日中に戻れるかわからないと言われただけで裏切られた気になって、苛立って、捌け口を求めて子犬を誘った。事実だけを羅列すれば、シギには何の落ち度もない。けれど、そうと認めることはできなかった。それが紛うことなき事実であっても、フユトの中で真実にしたくないのだ。

 だって、約束したのはシギだ。夜までには戻ると。

 お互い大人なのだし、それぞれに仕事もしているし、ましてやシギは幾多の貌を持っていて多忙なのだ。スケジュールの狂いがあっても仕方ないと頭ではわかるのに、どうしたって受け入れられない。受け入れたくない。

 考えれば考えるだけ、壊れてしまいそうだと思った。二度と思い出したくない感覚が記憶の中枢からフユトの全神経を犯して、凍えてしまいそうになるから。

 だから、その選択は必然だった。

 決まっていた仕事もせずに、数日、自宅で篭って過ごしたあと、フユトが向かったのは高級リゾートホテルの最上階、シギの居城だった。専用のカードキーを勢い任せに捨てなくて良かったと、部屋で彼の不在を確認したフユトは思う。シギに甘えて、ここで暮らした記憶がそこかしこに残っている。甚振られた記憶も、たっぷり甘やかされた記憶も。

 子どものように、ソファの上で膝を抱え、顔を埋めた。静かに目を閉じて、全ての記憶を遮断する。今も、少し油断するだけで大きな波に全てを持って行かれてしまいそうで、本当はじっとしているのがつらいのに、フユトは待った。この部屋の持ち主が戻って来る時を、只管に。

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