その20 気持ちはゾワゾワ

文字数 1,101文字

 健斗はそんな教室の存在を初めて知ったようで、身を乗り出していた。

「それは何処にあるのかな」
「校舎の北の端。あまり日の当たらないじめっとした部屋だよ。あそこなら生徒は滅多に近づかないし、先生だってたまにしか来ない」
「なんだ。そんないい部屋があるなら、そこを使えばいいじゃないか。室内なら雨が降っても風が強くても大丈夫だ」

 おそらく健斗が嬉々としている理由は、そんな部屋があったということではなくて『標本室』という単語に引かれているのだと思う。同じタイプの人間である僕だからこそ分かる事だ。
『標本室』という言葉を聞いただけで、何か秘密めいた感じがして心がゾワゾワするのである。

 ただ星羅は浮かない顔をしていた。

「理科標本室ってさ、その名の通り色んな標本があるんでしょう? ヘビとかカエルとか」
「他にもサナダムシとか線虫みたいなマニアックなのもあるし、もちろん鉱石サンプルもあるよ」

 健斗が目を輝かせて訊いて来た。

「人間の骨格標本はあるのかな」
「当然! 実物大の内臓模型や本物の頭蓋骨もあるよ」
「本物の頭蓋骨! それは凄い! 絶対そこがいいな」
「だろう? だから良い場所って言ったんだ」

 僕と健斗が二人で盛り上がっている傍で、星羅が沈んでいた。気になったので僕が声をかけてみた。

「渡辺さん。急にどうしたの」

 星羅は上目づかいで僕達の顔を交互に見て言った。

「あのさ。二人で盛り上がっているのに申し訳ないんだけど……目の前にヘビやカエルがいて、サナダムシが飾ってあって、頭蓋骨まであるような場所でご飯が食べられると思うの? 二人とも気持ち悪くないの」

 僕は……おそらく健斗もそうだと思うのだが、全く気にしていない。星羅はヘビとかカエルとかなんて気持ち悪く言うが、今僕達は野生のヘビもカエルもほとんど目にしていないのである。

 街の中はコンクリートとアスファルトで塗り固められ、僅かに残った緑の空間にはこれ見よがしに小川が造られて、『都会のオアシス』などと耳触りの良い言葉でもてはやされている。
 そんな場所に野生が入り込む余地なんてないのだ。せいぜいがバッタかコオロギぐらいなものである。
 そんな風に考えると、理科標本室がいかに楽しい場所か分かりそうなものなのだが、どうして星羅に理解出来ないのだろう。

 浮かない顔の星羅に健斗が唐突に言った。

「とにかく一度行ってみようよ」
「ええっ! 行くの」

 星羅の額に複数本の縦じわが一気に出来ていた。僕は彼女に構わず言った。

「渡辺さんが行きたくないのなら、僕達だけで行くから」
「じゃあ、そうして。それに、そこでご飯なんて絶対に嫌だからね」

 星羅はぷんぷんに膨れて去って行った。
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