その38 標本室の秘め事

文字数 1,653文字

 放課後、健斗は標本室に行くと言った。僕も誘われたのだが、今日の昼の感じでは美紀も来るようなので、少し気を使うことにした。

「石野さんが来るんだろう」
「うん」
「お邪魔だろうから、遠慮しとくよ」
「何言ってんだ。気を使うなんて矢野君らしくないな」
「いいから、いいから、行ってこいよ。基本、僕はドクロに興味は無いから」
「そうか。じゃあ行くな」

 健斗はバッグを肩にかけるように持つと、急ぐ様子も無く廊下を歩いて行った。
 彼には興味が無いように言ったが、全くその気が無いわけではなかった。他人のデートの現場を僕が覗く姿など今の今まで想像すらしていなかったが、あの変わり者の健斗がどんな顔をして女の子と会っているのかと思うと、背筋がゾクゾクするのである。  
 僕も普通の十八歳になったのだろうか。僕は三十分ほど時間を潰してから標本室に向かった。

 理科標本室は何度来ても陰気で寒々している。こんな所に健斗はよく通えるものだと感心してしまう。僕はいくら興味があるとはいえ、彼ほど頻繁(ひんぱん)には通えない。
 周囲から聞こえるサッカー部の声や、遠くに聞こえるブラバンの音を耳にしながら標本室の前に着いた。
 僕はいきなり開けると見てはいけないものを見るような気がして、取りあえず扉に耳を押し付けてみた。二人の会話が聞こえるかも知れないと思ったのである。
 しかし部屋の中からは何も聞こえなかった。彼等はもうドクロを見た後で、ここを去ったのかもしれない。

 僕も帰ろうとした時、部屋の中から「カタン」と音が聞こえた。この時間にこの部屋に先生や他の生徒がいるのも考えにくく、やはり二人はまだ中にいるのだと思った。

 僕は音を立てないように慎重に扉を開けると、体を沈めるようにそっと滑り込ませ、また慎重に扉を閉めた。息を殺して集中すると、部屋の奥に確かに人の気配がする。
 体を低くしているので目の前に棚が並んでいて、先が見えにくくなっている。僕は床にへばりつくようにして棚の間を移動し、『信子さん』の置いてある近くまで行った。

 制服のズボンが見えるので健斗だと思う。では美紀は何処なのだろう。
 僕は低くしていた姿勢を静かにそっと伸ばして行った。そして棚の向こうが見える所まで頭を上げると、ホルマリン漬けのカエルの影から向こうを眺めた。

「うっ!」

 僕は思わず声にならない声を上げていた。そして無意識に右手で口を覆っていた。
 
 そこにはこの部屋唯一のガラス窓がある。年代物で日頃の出入りも限られているので掃除も行き届いていないのか汚れてしまっている。外には木々が葉を茂らせていて、部屋の中の様子は見えないと思う。
 そんな窓の前の机の上に美紀がいた。美紀は壁に背中をもたれるようにして、うっとりとした顔で目を閉じている。

 僕が思わず声を出したのは、その彼女が大きく足を広げており、当然ながらスカートは腰の辺りまで捲り上げられていて下着が丸見えだったからである。それだけであれば、気持ちの通じ合った二人の秘め事で終わるのだろうが。事態は異常に思えた。
 美紀の広げた股間に健斗が顔を埋めているのである。しかもその場所が女性の最も大切な場所ではなく、昼に僕が見たあの太腿の白い包帯辺りなのだ。そしてその包帯は外されていた。

 何をしているのか分からない。健斗の不思議な所は熟知していても、今僕の目の前で見せている健斗の姿の意味が分からない。
 僕が茫然とただ見ていると、ようやく健斗が顔を上げた。その顔を見て僕はついに我慢出来なくなって声を上げていた。

「な、何やってんだ?」

 こちらを見た健斗の口元に明らかに血が流れており、彼が顔を埋めていた美紀の太腿部分にも血が出ていたのである。

 突然の僕の登場に美紀は顔色を変えていた。そして側にあった包帯を持つと全速力で走り出て行った。後には静かな空間が残った。

 僕は健斗に訊いた。

「何をやっていたんだ?」

 健斗は自分のハンカチで口元を拭きながら言った。

「石野君を食べてみたくなってさ」

 僕は全身が石のように固まるかと思った。
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