その41 二人だけ

文字数 1,464文字

 その日の昼食は僕と星羅の二人だけだった。二人とも食事はあまり進まず、どちらからともなく溜息ばかりついていた。

「急だったね」

 星羅がしみじみ言った。

「そうだね」

 僕はいつもなら彼が座る隣の場所を眺めていた。僕は星羅に尋ねた。

「彼の父さんは何をしている人なのかな」
「前に美紀に聞いたんだけど、彼のお父さんはM大の物理学の教授なんだってさ」
「へぇー、そうだったんだ」

 彼が以前、学校からM大を受けろと言われた時に「嫌だ」と言った理由が分かった。彼は父親のいる大学なんかには行きたくなかったのだ。
 しかし物理学とは何とも複雑な響きだ。物理学を極めると奥さんを何人も変えるのだろうか。つい邪推してしまう。

「帰りに彼の家に行ってみようか」

 僕が何気に星羅を誘うと、彼女もすんなり乗って来た。

「そうだね。いきなり会えなくなるのも何だか突然すぎるもんね」
「石野さんも誘う?」

 星羅は考え込んでいた。そして決めたように言った。

「美紀は止めた方がいいかもしれない」
「どうして?」
「涙のお別れって、傍で見るのは結構つらいよ」

 なるほど星羅の言う通りかもしれない。しかし涙のお別れと言えば星羅もそうなるのではないだろうか。
今日までの彼女との付き合いを思い返すと、彼女もかなり情に(もろ)い方だと思う。そんな彼女が笑って別れられるとは思えないのである。

「それじゃあ、僕達も行くのは止めよう」
「どうして」

「流石君が僕達に何も言わずに学校を止めたのは、彼なりに考えた事だと思うんだ。それなのに僕達がホイホイ出掛けて行くのは彼にしたら困ると思うんだ」

 口ではそう言ったものの、彼は何も考えていないと思う。僕なりにこの場を上手く取り繕ったつもりだった。星羅はしばらく考えてから「そうだね」と言った。

 僕と星羅は食事が終わると並んで横になった。
 もう完全に夏空になっていて、日焼けを気にしなければいけないほどの熱さが感じられた。何気なく横を向くと星羅が目を閉じて眠っているように見えた。

 こうも無防備で隣にいられると、返ってこっちが焦ってしまう。今まで無かった気持ちの高ぶりだった。

「ねぇ、渡辺さん」
「何?」
「さっきの旅行の話だけどさ」

 星羅は上半身だけ起こすと、体を捻るようにして僕の方を向いた。

「うん。行く気になった?」
「渡辺さんは海が好きなのかな。それとも山なのかな」
「そうだなぁ……やっぱり夏だから、海ね」
「そうか。僕も行くなら海がいいな」
「本当! じゃあどこの海に行く?」
「熱海」

 星羅の顔が曇った。

「何それ。温泉じゃない」
「でも、目の前は海だよ」
「オジサンっぽいわ」
「そうか」
「だったら、湘南の民宿にしない? 私、知っている民宿があるんだ」
「そうなの。いいよ。じゃあ、そこにしよう」
「よし! じゃあ予約入れて来るね」

 星羅は起き上がると、こちらを振り返ることなく駆けて行った。

 受験を来年に控えた高三の男女二人が夏休みに一泊旅行とはどうかと思うが、僕達はもうやっちゃっている仲だし、今更間違いがあっては……なんて心配は無用の間柄だ。それに受験と言っても、お互い他人事のように考える単細胞なのでこれも心配ない。
 もし危惧するのなら、彼女が何か適当な言い訳でもしなければ親も許さないと思うのだが、あの星羅の事である。見事に乗り切るだろう。

 僕はもう一度横になった。嫌になるほど青い空である。僕は目を閉じた。瞼の中を走る毛細血管の血液が赤く透けるようだ。
 健斗がいないのは少し寂しいが、彼の事である。またいつか何の前触れもなく顔を出すような気がしてならなかった。
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