その21 ドクロ

文字数 1,737文字

 理科標本室はいつも僕達が授業を受けている校舎から一度外に出て、渡り廊下で移動した場所にある。
 この校舎は美術室や視聴覚室、それに理科や社会で使う資料関係が仕舞われている教室が多い。それに一部の部活の部室も入っている。

 理科標本室はその校舎の一番奥にあった。
 僕と健斗はその入り口に立っていた。

「ここが標本室だよ」
「そうなんだ。確かに日も当らない暗い教室だね」
「でも、中はパラダイスさ」
「そうなのか。早く行こうよ」

 僕はその部屋の横開きの戸をそっと開けた。中からかび臭い空気が流れ出て来た。しかし僕達には芳しい香りに思えた。

 その部屋に数歩足を踏み入れた途端、僕達はまるで夢の世界だった。
 部屋の中には木製の棚が何列も並んでいて、その上にはホルマリン漬けの生体標本がずらりと並んでいるのである。
 僕は特別頻繁に訪れる訳ではないが、嫌な事があったり行き詰まり感が高まったりした時などに訪れる。ここに来て飾られている標本を目にしていると、不思議と心が和むのである。

 そして、もし生物の進化の歯車が一瞬でも狂っていたなら、ここに飾られていたのは『僕』かもしれないと思うとやはり心がゾワゾワとするのである。

 ここにはヘビやカエルはもちろん。ヤギの胎児とかサルの脳まであった。
 ここに来る度にいつも思うのだが、ヤギの胎児は何の授業に使うのだろう。サルの脳なんてここに置いてある理由が見つからない。ただ、ここが理科標本室であるのは間違いないので、理科の授業に使うのだと思うのだが、想像出来ないし授業で使われた記憶も無い。
 一体誰が何の目的でこれらをコレクションしたのか知らないが、何度も来ている僕はともかく、健斗の目は尋常ではなかった。彼はこの手の代物には目が無いのだと思った。

「流石君。相当気にいったみたいだね」
「うん。凄いよ。前の学校にも標本室はあったけど、ここに比べたら哀れなものだよ」
「そうなのか。喜んでもらえて僕も嬉しいよ」
「矢野君は、ここには良く来るの?」
「たまにかな。だって僕達の教室からは遠いからね」
「勿体ないな。僕だったら毎日来ていると思うよ」

 彼は明日から暇かあると、すぐにここに来そうな気がした。
 健斗は周囲を見回していた視線を僕に戻して言った。

「ねぇ、頭蓋骨はどこなのかな」
「流石君は頭蓋骨が好きなの? さっきからそればかり気にしているけど」
「好きだよ。ただ僕は頭蓋骨って言い方よりもシャレコウベとかドクロって言う方が好きだな」
「あぁ、そうなんだ」

 僕には健斗が少しヤバイ世界に足を突っ込んでいるような気がした。
 僕は彼を部屋の一番奥に連れて行った。そこには人の骨格標本と共に、ガラスのケースに入った頭蓋骨も置かれていた。

 健斗は頭蓋骨が見えると駆け寄っていた。

「凄いな。こんな綺麗なドクロは初めてだ」
「頭蓋骨に綺麗とか醜いとかがあるの?」
「当然じゃないか。ほら、この後頭部の曲線。これは例えようがないほど綺麗だ。矢野君はどう思う?」
「どう思うって訊かれても……僕にはただの骨にしか見えないけどな」
「そうか。残念だな」

 どうもこの分野の健斗には付いて行けそうにない。アインシュタインしかり、健斗もしかり、頭の良い人間に共通する特異性とでも言えばいいのだろうか。

「ねぇ、矢野君」
「何だろう」
「このドクロは貸出し出来るのかな」
「貸出し? それは訊いてみなきゃ分からないけど、多分無理だと思うよ。君はこれを持ち出してどうするつもりなんだ」
「もちろん。抱いて寝るよ」

 健斗が変った人間だってことは良く分かっている。そして僕もそんな風に思われているのも知っている。しかし彼の変りようは度を過ぎているように思う。

 結局僕は、下校のチャイムが鳴るまで頭蓋骨の観賞に付き合わされてしまった。 
 その後僕達は星羅の「絶対に嫌だ」という意見に押されてしまい、結局は元のように屋上で昼食を摂ることになった。

 健斗は僕の想像通り、暇があれば理科標本室に籠っている。
 標本室で頭蓋骨に見入る健斗を想像すると、彼が僕と同じジャンルの人間だと認めてはいても、彼とは距離を置いた方がいいかもと思ってしまう。しかしあの独特の人懐こい笑顔で語りかけられるとつい話を聞いてしまう。本当に不思議な奴だ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み