第42話 冷たい恋人(終)

文字数 1,779文字

 早川さんは狭い部屋のあちこちを歩きながら、書棚の前で足を止めた。書棚と言っても、僕は読書家ではないので並んでいる本など数が知れていた。早川さんはその中から一冊を手にして言った。

「あら、これって……」

 それは高校時代の卒業アルバムだった。

「懐かしいな。もう十年になるんだよね」

 僕はキッチンでオムライスを造る準備を進めながら、時折早川さんを横目で見ていた。

「そうですね。早いものです」

 早川さんはアルバムを持って部屋の真ん中にある丸テーブルの前に来て腰を下すと、横座りになってアルバムを広げた。何ページかを捲りながら、早川さんはしみじみと言った。

「皆、今頃どうしているんだろう。結構結婚していたりしてね」
「そうですね。それぐらいの年齢ですからね」

 料理の方は佳境に入っていて、僕の手はせわしなく動いていた。その音を聴いた早川さんが僕の隣まで来て、手元を覗きこんで言った。

「何か手伝おうか」

 早川さんの方から甘い香りが漂って来た。以前の僕だったらオロオロしていたのかもしれないが、早川さんの本当の姿を知った今では、全く反応しなかった。

「いいえ。いいです。もう出来ますから、待っていてください」
「そう。じゃあ」

 そう言って早川さんは僕に背を向けた、僕は最後の仕上げに入っていた。
 やがて僕は出来上がったオムライスが乗った皿を両手に持つと、早川さんが待つ丸テーブルまで運んで彼女の前に置いた。

「あら! 上手に出来てる」

 早川さんは目を丸くしていた。僕としても今日のオムライスは格別だった。

「味は保証しませんよ」

 僕が悪戯っぽくウインクしてみせると、早川さんも「大丈夫よ」とウインクを返してくれた。
 その後僕は一緒に作ったスープもマグカップに注ぐと、スプーンを用意して丸テーブルに付いた。

「さぁ、これで完成。中々のものでしょう」

 早川さんは並んだ料理と僕の顔を見比べて言った。

「人は見かけによらないって、こういうことを言うんでしょうね」
「そうですかね。じゃあ、どうぞ」

 僕はそう言ってスプーンを早川さんに差し出した。早川さんはそれを受け取りながら言った。

「じゃあ、頂きます。楽しみ……」

 早川さんはオムライスの端を少し削るようにスプーンで取ると口に運んだ。そして一口二口口を動かすと、また驚いた時のように目を大きく開いていた。

「おいしい! 凄く美味しいわ」

 そして早川さんは二口目、三口目とオムライスを口に運んだ。僕はその様子をじっと見ていた。

 やがて早川さんの手が止まった。そして僕の方をじっと見つめると何度か瞬きをした後、震える声で言った。

「桐野君、これ……」

 早川さんの言葉はそれで終わった。そして彼女の手からスプーンが落ちるのと同時に、早川さんの体はゆっくりとテーブルの上に倒れ込むのだった。早川さんの体はしばらく痙攣を起こしたようにひくついていたが、数分もすると全く動かなくなった。
 さらに数分後、僕は前のめりに倒れている早川さんの体をゆっくりと起こすと、そのまま仰向けに寝かせた。口元に付いている吐き出したオムライスを僕はティッシュで綺麗にふき取り、開いたままになっていた瞼をそっと閉じた。

「早川さん。ごめんね。早川さんみたいに素敵な人がこのままでいると、僕はあと何人の人をこの世から消さなきゃいけないか分からない。それにこの先早川さんが知らない男に抱かれ続ける姿はもう観たくないんだ。そして愛の無いセックスはもう止めようよ。でも、もうこれで大丈夫。これからは僕がずっと側にいるから……そしてずっと愛してあげるから」

 僕は今まで生きて来た人生の中で、今が一番充実していると思えた。




 それから僕の生活は一変した。
 仕事から帰るとまず一番に早川さんに挨拶をする。新しく買ったこの部屋には不似合いなほど大きな冷蔵庫の扉を開けると、そこにはいつも変わらない全裸の早川さんが膝を抱えて眠っている。
 僕はその寝顔を見ただけで幸せな気分になれる。そして僕も全裸になるとそっと早川さんの体を取り出して抱く。冷たい彼女の体に僕の愛情が流れ込んで行くのが分かる。
 こんな満ち足りた時間が、まさかやって来るとは思わなかった。これは夢ではないのだ。間違いなく現実なのだ。

 僕は早川さんの冷たい体に頬を擦りつけながら、静かに目を閉じるのだった。


               ―了―
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