第35話 トラブル
文字数 1,478文字
僕は持っていた新聞紙を静かに元のように畳むとバッグに戻した。同時に早川さんが戻って来た。
「お待たせ」
早川さんは戻って来るなり僕の顔を見て言った。
「あれ? 桐野君、どうしたの。顔色が良くないよ」
「そ、そうかな」
「気分でも悪いの?」
「そんなことない」
「じゃあ、いいんだけど。無理して飲まない方がいいよ」
「本当に大丈夫だから」
僕はグラスの酒を一気に飲んで見せた。
それからの一ケ月は僕にとって、これまで経験したことのない充実した時間だった。何しろ、あの早川さんが僕の部屋に来るのである。僕は毎日のように部屋のレイアウトを変え、何度も何度も掃除をした。それでもまだ落ち着かない僕は、柄にもなく花瓶を買って花を活けてみたりもした。
そしてついに、早川さんが僕の部屋を訪れる日が来た。
僕は朝から何も手が付かず、部屋の中を何度も見まわしておかしな所が無いかチェックし、オムライスを造る材料は揃っているかと、何度も冷蔵庫を開けていた。
僕は全ての準備が整い、もういつ早川さんが来てもいいと思えたので気持ちを落ち着かせようとコーヒーを入れた。
コーヒーを飲みながら、僕はここしばらくの僕の生活の変化を思い返していた。ほんの数カ月前までは偶像に近かった早川さんが、ふとしたことから知り合うことになり、あっという間に僕の生活の中でまるで長年のパートナーのような存在になっている。
しかも高校生の頃には声を掛けることも出来なかった彼女と、今ではベッドを共にすることが出来ているのである。
これが『運命』というものなのだろうか。僕にしてみればあまりにも出来過ぎた日々の連続に、ただ流されているようにも思えるのだが、やっぱりこれは現実の話であり、実際にもう一時間もすれば彼女がここに来るのである。
貧相でコミュ障で、これといった長所など何も持たない僕が、こんな満ち足りた毎日を過ごしてもいいのか、まるで自分が自分でないような気がした。
時間は刻一刻と約束の時刻に近づいている。僕は玄関のチャイムがいつ鳴るのかと構えていたのだが、時間が来てもチャイムは鳴らなかった。
もしかすると電車が遅れたのかもしれない。僕は寛大な気持ちで彼女を待った。しかし一時間待っても早川さんは来なかった。
これまでにも早川さんが約束の時間に遅れることは何度もあった。しかしそれはどんなに長くても十分ほどであり、一時間というのはどう考えてもおかしかった。彼女に何か不都合なことが起こったのだろうか。
僕はさすがに待ちきれなくなり、彼女にラインを入れてみた。しかしどれだけ待っても『既読』にならない。
僕は次第に不安になって来た。
やたらと部屋を歩き廻り、何度も玄関の扉を開けてはみるのだが、そんなことをしても僕の気持ちが収まるはずもなく、たまらなくなって外に出ようとするとスマホが唸った。早川さんからの電話だった。僕は飛びつくようにして出た。
「早川さん。何か事故でもありましたか?」
僕は物凄く焦っていた。その気配は早川さんの方にも充分に伝わったようで、彼女は一つ二つ声のトーンを落として申し訳なさそうに言った。
「桐野君。ごめんね。でも安心して、私に何かが起こったって訳じゃないから」
「じゃあ、無事なんだよね」
「うん。気を使わせてしまって、本当にごめんね」
「いいんです。早川さんが無事なら……それで、どうしたのですか。こんなに遅れるなんて、いつもの早川さんじゃないみたいだ」
スマホの向こうの早川さんは何も語らず、僕にはその数秒の『間』がとてつもなく長く感じた。
「お待たせ」
早川さんは戻って来るなり僕の顔を見て言った。
「あれ? 桐野君、どうしたの。顔色が良くないよ」
「そ、そうかな」
「気分でも悪いの?」
「そんなことない」
「じゃあ、いいんだけど。無理して飲まない方がいいよ」
「本当に大丈夫だから」
僕はグラスの酒を一気に飲んで見せた。
それからの一ケ月は僕にとって、これまで経験したことのない充実した時間だった。何しろ、あの早川さんが僕の部屋に来るのである。僕は毎日のように部屋のレイアウトを変え、何度も何度も掃除をした。それでもまだ落ち着かない僕は、柄にもなく花瓶を買って花を活けてみたりもした。
そしてついに、早川さんが僕の部屋を訪れる日が来た。
僕は朝から何も手が付かず、部屋の中を何度も見まわしておかしな所が無いかチェックし、オムライスを造る材料は揃っているかと、何度も冷蔵庫を開けていた。
僕は全ての準備が整い、もういつ早川さんが来てもいいと思えたので気持ちを落ち着かせようとコーヒーを入れた。
コーヒーを飲みながら、僕はここしばらくの僕の生活の変化を思い返していた。ほんの数カ月前までは偶像に近かった早川さんが、ふとしたことから知り合うことになり、あっという間に僕の生活の中でまるで長年のパートナーのような存在になっている。
しかも高校生の頃には声を掛けることも出来なかった彼女と、今ではベッドを共にすることが出来ているのである。
これが『運命』というものなのだろうか。僕にしてみればあまりにも出来過ぎた日々の連続に、ただ流されているようにも思えるのだが、やっぱりこれは現実の話であり、実際にもう一時間もすれば彼女がここに来るのである。
貧相でコミュ障で、これといった長所など何も持たない僕が、こんな満ち足りた毎日を過ごしてもいいのか、まるで自分が自分でないような気がした。
時間は刻一刻と約束の時刻に近づいている。僕は玄関のチャイムがいつ鳴るのかと構えていたのだが、時間が来てもチャイムは鳴らなかった。
もしかすると電車が遅れたのかもしれない。僕は寛大な気持ちで彼女を待った。しかし一時間待っても早川さんは来なかった。
これまでにも早川さんが約束の時間に遅れることは何度もあった。しかしそれはどんなに長くても十分ほどであり、一時間というのはどう考えてもおかしかった。彼女に何か不都合なことが起こったのだろうか。
僕はさすがに待ちきれなくなり、彼女にラインを入れてみた。しかしどれだけ待っても『既読』にならない。
僕は次第に不安になって来た。
やたらと部屋を歩き廻り、何度も玄関の扉を開けてはみるのだが、そんなことをしても僕の気持ちが収まるはずもなく、たまらなくなって外に出ようとするとスマホが唸った。早川さんからの電話だった。僕は飛びつくようにして出た。
「早川さん。何か事故でもありましたか?」
僕は物凄く焦っていた。その気配は早川さんの方にも充分に伝わったようで、彼女は一つ二つ声のトーンを落として申し訳なさそうに言った。
「桐野君。ごめんね。でも安心して、私に何かが起こったって訳じゃないから」
「じゃあ、無事なんだよね」
「うん。気を使わせてしまって、本当にごめんね」
「いいんです。早川さんが無事なら……それで、どうしたのですか。こんなに遅れるなんて、いつもの早川さんじゃないみたいだ」
スマホの向こうの早川さんは何も語らず、僕にはその数秒の『間』がとてつもなく長く感じた。