第29話 開き直り

文字数 1,702文字

 僕は何気に尋ねていた。

「早川さん……いや、飛鳥さんも『したたか』なんですか」

 祥子さんは笑いを止め、急に真顔になり、何かまずいことでも口にしたかのように口元を隠した。僕はもう一度尋ねた。

「飛鳥さんはしたたかな人なんですか?」

 祥子さんは隣の部屋にいる早川さんに聞こえないように、僕の耳元で囁いた。

「あんたはここ最近のあの子との付き合いが薄いから知らないだろうけど、あれで案外と図太い所もあるのよ。やっぱり昔のことで一度人生を投げているからそうなったのかもしれないけど、妙に計算高い所もあって、私も時々だけど怖くなることがあるもの」
「そうなんですか」

 僕には全く信じられない早川さんの一面である。ただ祥子さんが言うように、昔あれだけ酷い目に遭ったのなら、人生観が変わっても仕方がないと思う。そして、それはそれで必要があって早川さん自身が変わったのだから、僕にとやかく言えるものではない。
 しかし、どう考えても僕の中の早川さんと、今祥子さんが教えてくれた早川さんとがリンクしない。僕は祥子さんが早川さんの変化について、勝手な想像で話をしているのではないかとさえ思った。


 祥子さんは監督達に連絡を入れ、三十分後にはスタッフ全員が揃っていた。監督は僕に対して相変わらず期待感などないようで、また投げやりに言った。

「もう一度やってみてダメだったら、今日は本当に撤収な。さっき会社に連絡したら、仕方がないってことでOKは貰ったから」

 僕は監督に申し訳ないと思いながらも、次は何とかしたいと思った。
 やがて早川さんの準備も整ったのか、あの胸元のえぐれた体に張り付くシャツに短いスカートでキッチンに入って来た。

 僕は改めて早川さんに頭を下げた。

「すいませんでした。でも次は何とか頑張ります」

 早川さんは変わらない笑顔で、僕の肩を何度か叩いた。

「そんなに力まないで。私が強引にお願いしたのだから、謝らなきゃならないのは私の方よ」

 すると早川さんは僕の耳元に顔を寄せ、小さな声で言った。

「この世界をまともな世界だと思ったら何も出来ないわ。別の世界に来た別の人間だと思えば出来るわ」

 そして軽くウインクすると、自分の立ち位置に向かって行った。

 僕はそんな早川さんの後姿を見て思った。こういう所が祥子さんの言う『したたかさ』なのかもしれない。単に場馴れしているだけではなく、自分がその中心にいるということを回りに認めさせる暗黙の圧力のようなものが感じられるのだ。
 そして早川さんが言った『別の世界』という言葉の意味も、おぼろげながら分かって来たような気がする。僕は別の世界に生まれ変わった別の人間だと思えばいいのだ。

 これまで持っていた僕の価値観や勝手な思い込みは、この世界では僕にとって何の呪縛にもならないのだ。そう思うと、僕の中で何かがプツンと切れた気がした。

 やがて監督のカウントする声が聞こえ、「スタート」という号令と共に、僕の体は僕の体でないような動きを見せた。

 僕は早川さんを抱いた。まるで無機質な人形を抱くように、時には荒々しく、時にはむさぼるように……早川さんはそれが本気なのか、台本に書かれていた演技なのか分からないが、僕の体の下で艶めかしく腰を振り、潤んだ目で僕を見て言葉にならない声を上げ続けて悶えている。
 さっきはこの声と仕草で思わず射精してしまったが、今度は何とか耐えることが出来ている。僕は必死だった。

 しかしそんな潤んだ瞳の早川さんの目を見ていると、僕の中に不思議な力が目覚め始めた。僕の中にある征服欲のようなものが、少しずつ満たされていくのである。それはこれまでの人生の中で感じたことの無い感覚だった。

 今の今まで知らなかった感覚だった。

 僕は早川さんの喘ぎ声を聞いて、思わず両方の乳房を揉みあげていた。そして荒い吐息を彼女の耳元に吹きかけた。それは、これまでに観たアダルトサイトの中の男達が、そうしていたのを思い出したからである。
 早川さんは僕がそんな行為を取ったことが意外だったのか、僕の方を演技ではない真面目な目で見た。僕は何事も無かったかのようにさらに力を込めて乳房をいたぶるのだった。
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