第27話 激怒
文字数 2,056文字
ただ祥子さんの『一目ぼれ』という言葉が何となく僕の脳裏に残ってしまい、何か悪い予感をさせた。彼女も暗く沈んだ表情のままだった。
「それからどうなったのですか?」
僕の質問に、祥子さんは煙草の灰を落としながら答えてくれた。
「あの子はそんな経緯もあって希望通り入社は出来たんだけど、入社してすぐからその人事部長からの誘いが始まったのよ」
「入社してすぐの新入社員に手を出したってことですか?」
「そうなのよ。その人事部長ってヤツがクソ野郎で、よくある話なんだけど社長のバカ息子だったの。しかも自分は妻子持ちのくせに女子社員の何人もと付き合って、結構トラブっていたらしいのよ」
「じゃあ早川さん……じゃなくて、飛鳥さんも犠牲者の一人ってことですか?」
「結局そうなったってことよね」
世の中にはどうしてこうも、地位や権力をひけらかして女性を弄ぶ人間が多いのか。考えただけで虫唾が走ってしまう。僕の中に小さな怒りの火がともった。
「それで何が始まったのですか」
「まぁ、初めは色々と用事を言いつけては自分の近くに置くようにして、そのうち食事だ、飲み会だと何かと声を掛けだしたってことよ」
祥子さんはどこか言い難そうに、横目で僕を何度か確認するように見ていた。
「初めはあの子も上手く逃げていたようだけど、そこは百戦錬磨のスケベ男じゃない。あれこれ仕掛けて来るわよ。しかも将来の社長になろうかという人物よ。身持ちの固かったあの子も、ついつい誘いに乗ってしまったって所ね」
「誘いに乗った……じゃあ」
僕が最後まで言う必要は無かった。祥子さんが続きを離してくれた。
「それで気がついた時にはもうズブズブの関係になっていて、それでもあの子にしてみれば、いつかは終わりにしようなんて気持ちもあったのよ。でも……」
祥子さんの変な言葉の切り方に、僕はさっき感じた嫌な予感が、さらに大きくなったのを感じた。
「でも……でも、どうなったのですか?」
祥子さんは煙草を強く捻じり消して言った。
「一年後に、あの子は妊娠したのよ」
「に、妊娠!」
僕は体中の毛穴から血液や体液が噴き出るのではないかと思った。それくらい大きな衝撃だった。
あの早川さんが妊娠。僕の女神とも思っていた早川さんが妊娠。しかも相手は妻子持ちのスケベ上司。僕の頭はクラクラしていた。
僕が受けたショックは、祥子さんにも分かったようで、彼女は心配そうに僕を見て言った。
「大丈夫? 顔色が良くないよ」
「い、いいえ。大丈夫です。それで飛鳥さんはどうしたのですか」
「当然あの子はその男に詰め寄ったわよ。でも相手は社長のバカ息子よ。簡単に引き下がらないわ。それからよ、あの子に強烈なパワハラが始まったのは」
「パワハラ」
「そう。都合が悪くなったから追い出してしまえって所ね。最低な男よ。結局、あの子は会社を辞めざるを得なかったって話よ」
「そんな……無茶苦茶な」
「そう。無茶苦茶よ。でもね、それが現実ってもんかもね」
もしかすると、達観したように語る祥子さんにも同じような過去があったのかもしれない。そして早川さんと自分を重ねていたのかもしれない。
「お腹の子はどうなったのですか。飛鳥さんが育てているのですか?」
祥子さんが今日、初めて悲しい顔をした。
「堕ろしたってさ」
僕は祥子さんが諦めで言ったのか、やり場のない怒りでそう言ったのか分からない投げやりな一言が、心臓の奥深くに突き刺さったのを感じた。
どうしてあの早川さんがそんな目に遭わなければならないのか。どうして誰も彼女を救おうとはしなかったのか。僕は喉にヒリつくような渇きを感じていた。それは怒りの炎がより激しくなった証拠かもしれない。
「それで飛鳥さんはこっちの世界に?」
「そうね。もう何もかもが信じられない。何もかもが嫌になったって言っていたわ。分かるわぁ。その気持ち。でも、こっちの世界に来てから気持ちも随分楽になったんじゃないかな」
「どうしてそう思うのですか?」
「あんたはどうよ。久しぶりのあの子を見ていて悲壮感なんて感じた?」
そうなのである。僕は今の今まで、早川さんにそんな壮絶な過去があるなんて、露ほども思っていなかった。それだけ彼女が自然で、昔のままだったという証でもあるのだ。
「全然感じませんでした」
「でしょう? 何かが吹っ切れたのかもしれないわね。だって、もう隠すものがないくらい全部を曝け出しているんだからね。それに、選んだ道とはいえ好きでもない男達にいいように抱かれ続けるんだもの、世の中の全てが綺麗ごとに見えるわよ」
「そ、そうですね」
祥子さんの言う通りである。絶対に人には見せたくない、見せてはいけない部分まで全部出しているのである。言い方を変えれば、怖いものなどあるはずがないのだ。気持ちがすっきりするのは当然かもしれない。
もしかすると、僕のような人間こそが全てを白日の下に晒せば、僕という人間が変れるのかもしれない。この嫌な性格も激変するかもしれない。僕の中に得体の知れない不思議な力が漲ってくるようだった。
「それからどうなったのですか?」
僕の質問に、祥子さんは煙草の灰を落としながら答えてくれた。
「あの子はそんな経緯もあって希望通り入社は出来たんだけど、入社してすぐからその人事部長からの誘いが始まったのよ」
「入社してすぐの新入社員に手を出したってことですか?」
「そうなのよ。その人事部長ってヤツがクソ野郎で、よくある話なんだけど社長のバカ息子だったの。しかも自分は妻子持ちのくせに女子社員の何人もと付き合って、結構トラブっていたらしいのよ」
「じゃあ早川さん……じゃなくて、飛鳥さんも犠牲者の一人ってことですか?」
「結局そうなったってことよね」
世の中にはどうしてこうも、地位や権力をひけらかして女性を弄ぶ人間が多いのか。考えただけで虫唾が走ってしまう。僕の中に小さな怒りの火がともった。
「それで何が始まったのですか」
「まぁ、初めは色々と用事を言いつけては自分の近くに置くようにして、そのうち食事だ、飲み会だと何かと声を掛けだしたってことよ」
祥子さんはどこか言い難そうに、横目で僕を何度か確認するように見ていた。
「初めはあの子も上手く逃げていたようだけど、そこは百戦錬磨のスケベ男じゃない。あれこれ仕掛けて来るわよ。しかも将来の社長になろうかという人物よ。身持ちの固かったあの子も、ついつい誘いに乗ってしまったって所ね」
「誘いに乗った……じゃあ」
僕が最後まで言う必要は無かった。祥子さんが続きを離してくれた。
「それで気がついた時にはもうズブズブの関係になっていて、それでもあの子にしてみれば、いつかは終わりにしようなんて気持ちもあったのよ。でも……」
祥子さんの変な言葉の切り方に、僕はさっき感じた嫌な予感が、さらに大きくなったのを感じた。
「でも……でも、どうなったのですか?」
祥子さんは煙草を強く捻じり消して言った。
「一年後に、あの子は妊娠したのよ」
「に、妊娠!」
僕は体中の毛穴から血液や体液が噴き出るのではないかと思った。それくらい大きな衝撃だった。
あの早川さんが妊娠。僕の女神とも思っていた早川さんが妊娠。しかも相手は妻子持ちのスケベ上司。僕の頭はクラクラしていた。
僕が受けたショックは、祥子さんにも分かったようで、彼女は心配そうに僕を見て言った。
「大丈夫? 顔色が良くないよ」
「い、いいえ。大丈夫です。それで飛鳥さんはどうしたのですか」
「当然あの子はその男に詰め寄ったわよ。でも相手は社長のバカ息子よ。簡単に引き下がらないわ。それからよ、あの子に強烈なパワハラが始まったのは」
「パワハラ」
「そう。都合が悪くなったから追い出してしまえって所ね。最低な男よ。結局、あの子は会社を辞めざるを得なかったって話よ」
「そんな……無茶苦茶な」
「そう。無茶苦茶よ。でもね、それが現実ってもんかもね」
もしかすると、達観したように語る祥子さんにも同じような過去があったのかもしれない。そして早川さんと自分を重ねていたのかもしれない。
「お腹の子はどうなったのですか。飛鳥さんが育てているのですか?」
祥子さんが今日、初めて悲しい顔をした。
「堕ろしたってさ」
僕は祥子さんが諦めで言ったのか、やり場のない怒りでそう言ったのか分からない投げやりな一言が、心臓の奥深くに突き刺さったのを感じた。
どうしてあの早川さんがそんな目に遭わなければならないのか。どうして誰も彼女を救おうとはしなかったのか。僕は喉にヒリつくような渇きを感じていた。それは怒りの炎がより激しくなった証拠かもしれない。
「それで飛鳥さんはこっちの世界に?」
「そうね。もう何もかもが信じられない。何もかもが嫌になったって言っていたわ。分かるわぁ。その気持ち。でも、こっちの世界に来てから気持ちも随分楽になったんじゃないかな」
「どうしてそう思うのですか?」
「あんたはどうよ。久しぶりのあの子を見ていて悲壮感なんて感じた?」
そうなのである。僕は今の今まで、早川さんにそんな壮絶な過去があるなんて、露ほども思っていなかった。それだけ彼女が自然で、昔のままだったという証でもあるのだ。
「全然感じませんでした」
「でしょう? 何かが吹っ切れたのかもしれないわね。だって、もう隠すものがないくらい全部を曝け出しているんだからね。それに、選んだ道とはいえ好きでもない男達にいいように抱かれ続けるんだもの、世の中の全てが綺麗ごとに見えるわよ」
「そ、そうですね」
祥子さんの言う通りである。絶対に人には見せたくない、見せてはいけない部分まで全部出しているのである。言い方を変えれば、怖いものなどあるはずがないのだ。気持ちがすっきりするのは当然かもしれない。
もしかすると、僕のような人間こそが全てを白日の下に晒せば、僕という人間が変れるのかもしれない。この嫌な性格も激変するかもしれない。僕の中に得体の知れない不思議な力が漲ってくるようだった。