第39話 微かな疑惑
文字数 1,593文字
しかし僕にしてみれば、知られているのなら変に態度を変えるのもわざとらしく思え、さも当然のように言った。
「へぇ、そうだったんだ。奇遇だね」
僕の全く気にならない様子を目にして、早川さんが抱いた驚きや恐怖心は小さくなったようなのだが、代わりに僕を疑いの目で見たかと思うと橋の欄干に寄りかかり、両腕を組んで言った。
「でも、大したものね。痩せてヒョロヒョロした桐野君が、そんな大胆だったなんて、全然知らなかったわ」
僕は早川さんに認められたと思い、内心嬉しくなった。
「そんなことないよ。僕にしたら普通だから」
「普通?」
「そう。早川さんの周りで、早川さんに危害を与える人間がいるのなら、それを排除するのは僕の役目だし、それは僕にしてみれば当たり前のことだと思うけど」
早川さんは僕の目をじっと見ていたかと思うと、やがて持っていたバッグの中から煙草を取り出すと一本を口に咥え、金色のライターで火を点けた。
早川さんが煙草を吸う姿は、僕には今日が初めてだった。
これまで何度も食事をしたり二人だけの時間を過ごして来たのだが、早川さんは煙草を口にすることなど一度も無かった。
「早川さんは煙草を吸うんだ」
彼女は煙を吐きながら色っぽい目で僕を見て答えた。
「そうよ。私ももう立派な大人だから、煙草ぐらい吸うわ」
「そうだよね。早川さんが煙草を吸ったって、おかしくはないよね」
そう言ったものの、僕はがっかりしていた。僕にとって、女の人が煙草を吸う姿はどこか『やさぐれた』感じがするのである。早川さんのそんな姿など、僕は見たくはなかった。早川さんの煙草を吸う姿で、僕が彼女に持つイメージが少し崩れた気がした。
早川さんは何度か煙を吐いた後、それを指に挟んだまま僕に訊いた。
「桐野君。私がこの世界に入った理由はもう知っているんでしょう?」
早川さんの言い方は、僕と祥子さんが早川さんのいない所で話し合ったことを知っているような口ぶりに聞こえた。
突然話の流れを変えてしまう早川さんの言葉に僕はもう慣れてしまっていて、今さら取り繕うことも無いように思えたので、僕は正直に答えることにした。
「うん。祥子さんから聞いた。色々大変だったね」
「まぁね。大変と言えば大変だったかも」
早川さんは膝を折って地面で煙草を消すと、持って来た携帯灰皿の中に吸殻を仕舞った。そして改めて僕の方を向いて言った。
「それでね。桐野君に尋ねたいんだけど」
「何?」
早川さんは、また欄干に寄りかかるようにして水面を見ながら言った。
「今朝、友達から連絡があったの」
「そうなんですか。どんな連絡ですか?」
早川さんは足元にあった小さな石を池の中に投げ込んで言った。
「あのね……私が昔勤めていた会社に仲の良かった友達がいて、その子が言うには、つい最近社長になった人が行方不明になったんだってさ」
「へぇ、そうなんだ」
「つい最近社長になった人って、桐野君知っているよね?」
その社長とは当然あの男のことであるのは分かっていた。早川さんにこれ以上ない苦痛と不運をもたらせた男である。
しかし今ここであの男のことを知っていると答えるには無理がある。なぜなら僕は諸悪の根源があの男であることは知っていても、あの男が社長になったことなど、早川さんの持っていた新聞を盗み見して知っただけで、彼女から直接聞いた訳ではなく、祥子さんから聞いた訳でもないのだ。
それなのになぜ早川さんは、僕がまるで知っているかのように尋ねるのだろう。
「僕が?」
僕が何も知らないように答えたので、早川さんは僕の方に向き直ると、真っ直ぐに僕の目を見て言った。
「桐野君。これも桐野君が関係しているんでしょう?」
「どうして。何のことかな」
「桐野君。この前一緒に焼鳥屋に行った時、私が持っていた新聞を見たでしょう」
「え?」
その時、僕は早川さんに対して初めて小さな小さな疑いを持ってしまった。
「へぇ、そうだったんだ。奇遇だね」
僕の全く気にならない様子を目にして、早川さんが抱いた驚きや恐怖心は小さくなったようなのだが、代わりに僕を疑いの目で見たかと思うと橋の欄干に寄りかかり、両腕を組んで言った。
「でも、大したものね。痩せてヒョロヒョロした桐野君が、そんな大胆だったなんて、全然知らなかったわ」
僕は早川さんに認められたと思い、内心嬉しくなった。
「そんなことないよ。僕にしたら普通だから」
「普通?」
「そう。早川さんの周りで、早川さんに危害を与える人間がいるのなら、それを排除するのは僕の役目だし、それは僕にしてみれば当たり前のことだと思うけど」
早川さんは僕の目をじっと見ていたかと思うと、やがて持っていたバッグの中から煙草を取り出すと一本を口に咥え、金色のライターで火を点けた。
早川さんが煙草を吸う姿は、僕には今日が初めてだった。
これまで何度も食事をしたり二人だけの時間を過ごして来たのだが、早川さんは煙草を口にすることなど一度も無かった。
「早川さんは煙草を吸うんだ」
彼女は煙を吐きながら色っぽい目で僕を見て答えた。
「そうよ。私ももう立派な大人だから、煙草ぐらい吸うわ」
「そうだよね。早川さんが煙草を吸ったって、おかしくはないよね」
そう言ったものの、僕はがっかりしていた。僕にとって、女の人が煙草を吸う姿はどこか『やさぐれた』感じがするのである。早川さんのそんな姿など、僕は見たくはなかった。早川さんの煙草を吸う姿で、僕が彼女に持つイメージが少し崩れた気がした。
早川さんは何度か煙を吐いた後、それを指に挟んだまま僕に訊いた。
「桐野君。私がこの世界に入った理由はもう知っているんでしょう?」
早川さんの言い方は、僕と祥子さんが早川さんのいない所で話し合ったことを知っているような口ぶりに聞こえた。
突然話の流れを変えてしまう早川さんの言葉に僕はもう慣れてしまっていて、今さら取り繕うことも無いように思えたので、僕は正直に答えることにした。
「うん。祥子さんから聞いた。色々大変だったね」
「まぁね。大変と言えば大変だったかも」
早川さんは膝を折って地面で煙草を消すと、持って来た携帯灰皿の中に吸殻を仕舞った。そして改めて僕の方を向いて言った。
「それでね。桐野君に尋ねたいんだけど」
「何?」
早川さんは、また欄干に寄りかかるようにして水面を見ながら言った。
「今朝、友達から連絡があったの」
「そうなんですか。どんな連絡ですか?」
早川さんは足元にあった小さな石を池の中に投げ込んで言った。
「あのね……私が昔勤めていた会社に仲の良かった友達がいて、その子が言うには、つい最近社長になった人が行方不明になったんだってさ」
「へぇ、そうなんだ」
「つい最近社長になった人って、桐野君知っているよね?」
その社長とは当然あの男のことであるのは分かっていた。早川さんにこれ以上ない苦痛と不運をもたらせた男である。
しかし今ここであの男のことを知っていると答えるには無理がある。なぜなら僕は諸悪の根源があの男であることは知っていても、あの男が社長になったことなど、早川さんの持っていた新聞を盗み見して知っただけで、彼女から直接聞いた訳ではなく、祥子さんから聞いた訳でもないのだ。
それなのになぜ早川さんは、僕がまるで知っているかのように尋ねるのだろう。
「僕が?」
僕が何も知らないように答えたので、早川さんは僕の方に向き直ると、真っ直ぐに僕の目を見て言った。
「桐野君。これも桐野君が関係しているんでしょう?」
「どうして。何のことかな」
「桐野君。この前一緒に焼鳥屋に行った時、私が持っていた新聞を見たでしょう」
「え?」
その時、僕は早川さんに対して初めて小さな小さな疑いを持ってしまった。