第37話 水辺公園
文字数 1,874文字
僕の部屋から水辺公園までは電車を乗り継いで最寄の駅で降り、タクシーでギリギリ一時間の所である。僕はタクシーを降りてから小走りで約束の場所に向かった。
僕が約束の橋に着くと、そこにはもう早川さんがいた。
「ごめん。待たせてしまって」
「大丈夫。平気よ」
平気だという割に、僕には今日の早川さんの顔色がいつもより青白く見えた。
「どうかしたのですか? 元気がなさそうだけど」
「そうかしら。普通だけど」
そう言う早川さんの目はどこか泳いでいた。
「急にどうしたのですか? こんな場所に呼び出したりして」
早川さんは僕の問いかけに答えず、目の前の橋の中ほどまでゆっくりと歩いて行った。
「高校生の頃、よくこの公園には来たわね」
「そ、そうですね」
僕は言葉を飲んでしまった。早川さんは周りから注目される人だったから親しい友人とこの公園によく来たかもしれないが、当時の僕が誰かに誘われたり、誰かを誘ったりしてこの場所に来た記憶なんて無い。
僕は暗い高校時代を思い出すのが億劫で、話を元に戻そうとした。
「それで、今日はどういうことなのかな。教えてくれると嬉しいけど」
早川さんに僕の声が届いているのかいないのか、彼女は橋の上から水面を眺めているだけである。僕は何か変わった物でも見えるのかと、彼女の隣に立った。
「何か見えるの?」
早川さんの顔が、一瞬陰ったように思えた。それは僕の目の錯覚のようにも思えた。早川さんは水面を見たまま言った。
「ねぇ。桐野君」
「はい」
「私達の高校の近くの工業高校は覚えている?」
早川さんの言う通り、僕達の高校から少し離れた所に私立の工業高校があって、通学路も重なることからそこの生徒とはよく一緒になった。
この高校は男子校で、こんな言い方はもう古いのかもしれないが、あまりガラの良い高校とは言えなかった。その中でも僕達の高校にも噂で伝わってくるほどの不良グループが三つほどあって、彼等の被害に遭った生徒が何人もいた。
「覚えているよ。あまり良い思い出じゃないけど」
早川さんはようやく顔を上げ、僕の方を見た。僕はその顔を見た時、微かに、ほんの微かなのだが恐怖心を覚えた。
冷たい笑いとでも言えば良いのかもしれない。どうしてそう思ったのかほんの一瞬のことだったので確実なことは言えないのだが、早川さんの目は妙に冷めていて、いつも見せてくれるあの笑みとは真逆の感じがして、どこか冷酷さが漂っていたのである。
そして早川さんは僕の顔を、それこそ犯人を問い詰める刑事の目で見た。まるで僕の心の中を覗くようにじっと……そして低い声で迫るように言った。
「じゃあ、私達が三年生の頃に、木崎って生徒がいたのを覚えているでしょう」
「うん。覚えている。髪の毛が金色で、眉が異様に細いやつだった」
木崎は僕達と同じ学年で、あの工業高校の中にある三つの不良グループの一つのリーダー格で、いつも眼つきの悪い仲間と一緒にいた。性格は粗暴で、これは噂だが何度も警察の世話になり、家族も見放しているということだった。
「じゃあ、その木崎って生徒が私の回りにうろついていたのも知っているでしょう」
そうなのである。木崎は早川さんを自分の彼女にでもしたいのか、通学路の途中や水辺公園の近くで彼女を待ち伏せしていたのを、僕は何度も目撃していた。早川さんはいつも嫌そうに逃げるのだが、木崎が執拗に追いかけていたのも僕は知っていた。
「嫌なやつだったね。木崎ってやつは」
早川さんは僕に一歩、にじり寄るように近づくと少し背伸びをするように僕の耳元に口を寄せて言った。
「でもね。いつからかいなくなったのよ」
「そうだったかも……」
僕は興味無さそうに答えた。早川さんは僕の耳元で声を落として言った。
「桐野君は、その理由を知っているんじゃない?」
「僕が? どうして」
僕の顔のすぐ近くまで来ていた早川さんの目が、ギラリと光った気がした。そしてさらに低く声を落とし、僕を威嚇するように言った。
「私、見たのよ」
「何を?」
早川さんは唇の端を怪しく吊り上げると、恐ろしげな笑みを浮かべた。冷たく乾いた笑みだった。そして言い放った。
「桐野君があいつをここに沈める所を」
早川さんはそう言って橋の上から水面を指差した。
僕達は互いの目を見つめ合ったまま動かなかった。動かなかったと言うよりも動けなかったのかもしれない。僕と早川さんの間を乾いた風が流れたように思えた。
やがて僕は何度か目を瞬かせると、一息「ふっ」と吐き出して言った。
「なんだ。知っていたのか。だったらもっと前に言ってくれたらよかったのに」
僕が約束の橋に着くと、そこにはもう早川さんがいた。
「ごめん。待たせてしまって」
「大丈夫。平気よ」
平気だという割に、僕には今日の早川さんの顔色がいつもより青白く見えた。
「どうかしたのですか? 元気がなさそうだけど」
「そうかしら。普通だけど」
そう言う早川さんの目はどこか泳いでいた。
「急にどうしたのですか? こんな場所に呼び出したりして」
早川さんは僕の問いかけに答えず、目の前の橋の中ほどまでゆっくりと歩いて行った。
「高校生の頃、よくこの公園には来たわね」
「そ、そうですね」
僕は言葉を飲んでしまった。早川さんは周りから注目される人だったから親しい友人とこの公園によく来たかもしれないが、当時の僕が誰かに誘われたり、誰かを誘ったりしてこの場所に来た記憶なんて無い。
僕は暗い高校時代を思い出すのが億劫で、話を元に戻そうとした。
「それで、今日はどういうことなのかな。教えてくれると嬉しいけど」
早川さんに僕の声が届いているのかいないのか、彼女は橋の上から水面を眺めているだけである。僕は何か変わった物でも見えるのかと、彼女の隣に立った。
「何か見えるの?」
早川さんの顔が、一瞬陰ったように思えた。それは僕の目の錯覚のようにも思えた。早川さんは水面を見たまま言った。
「ねぇ。桐野君」
「はい」
「私達の高校の近くの工業高校は覚えている?」
早川さんの言う通り、僕達の高校から少し離れた所に私立の工業高校があって、通学路も重なることからそこの生徒とはよく一緒になった。
この高校は男子校で、こんな言い方はもう古いのかもしれないが、あまりガラの良い高校とは言えなかった。その中でも僕達の高校にも噂で伝わってくるほどの不良グループが三つほどあって、彼等の被害に遭った生徒が何人もいた。
「覚えているよ。あまり良い思い出じゃないけど」
早川さんはようやく顔を上げ、僕の方を見た。僕はその顔を見た時、微かに、ほんの微かなのだが恐怖心を覚えた。
冷たい笑いとでも言えば良いのかもしれない。どうしてそう思ったのかほんの一瞬のことだったので確実なことは言えないのだが、早川さんの目は妙に冷めていて、いつも見せてくれるあの笑みとは真逆の感じがして、どこか冷酷さが漂っていたのである。
そして早川さんは僕の顔を、それこそ犯人を問い詰める刑事の目で見た。まるで僕の心の中を覗くようにじっと……そして低い声で迫るように言った。
「じゃあ、私達が三年生の頃に、木崎って生徒がいたのを覚えているでしょう」
「うん。覚えている。髪の毛が金色で、眉が異様に細いやつだった」
木崎は僕達と同じ学年で、あの工業高校の中にある三つの不良グループの一つのリーダー格で、いつも眼つきの悪い仲間と一緒にいた。性格は粗暴で、これは噂だが何度も警察の世話になり、家族も見放しているということだった。
「じゃあ、その木崎って生徒が私の回りにうろついていたのも知っているでしょう」
そうなのである。木崎は早川さんを自分の彼女にでもしたいのか、通学路の途中や水辺公園の近くで彼女を待ち伏せしていたのを、僕は何度も目撃していた。早川さんはいつも嫌そうに逃げるのだが、木崎が執拗に追いかけていたのも僕は知っていた。
「嫌なやつだったね。木崎ってやつは」
早川さんは僕に一歩、にじり寄るように近づくと少し背伸びをするように僕の耳元に口を寄せて言った。
「でもね。いつからかいなくなったのよ」
「そうだったかも……」
僕は興味無さそうに答えた。早川さんは僕の耳元で声を落として言った。
「桐野君は、その理由を知っているんじゃない?」
「僕が? どうして」
僕の顔のすぐ近くまで来ていた早川さんの目が、ギラリと光った気がした。そしてさらに低く声を落とし、僕を威嚇するように言った。
「私、見たのよ」
「何を?」
早川さんは唇の端を怪しく吊り上げると、恐ろしげな笑みを浮かべた。冷たく乾いた笑みだった。そして言い放った。
「桐野君があいつをここに沈める所を」
早川さんはそう言って橋の上から水面を指差した。
僕達は互いの目を見つめ合ったまま動かなかった。動かなかったと言うよりも動けなかったのかもしれない。僕と早川さんの間を乾いた風が流れたように思えた。
やがて僕は何度か目を瞬かせると、一息「ふっ」と吐き出して言った。
「なんだ。知っていたのか。だったらもっと前に言ってくれたらよかったのに」