第9話 姉の葬儀
文字数 1,698文字
その日の午後(つまりは、姉の切断された右手が大きな川のほとりで見つかった翌日の七月十二日の午後)、今度は川の下流域で姉の残りの死体、左腕と左足が見つかりました。
左腕にいたってはかなり下流で見つかったようで、見つけてくれた警察によれば、もう海に出そうになっていたそうです。
海に出てしまったらどうなっていたのか?
もう見つからなかったのか?
ぼくにはよくわかりませんが・・。
しかしともかく、これでぜんぶそろったのです。
これは遺族にしかわからない感覚かもしれませんが、遺族としては少しほっとしました。
たとえ姉が殺されたとはいえ、姉が死んでいるともう十分に思い知らされているとはいえ、その遺体がバラバラに切断されていた以上、そのわずかな一部分でも見つからないのであれば、姉は救いを求めていたにちがいないからです。
姉の葬儀がおこなわれたのは、そのさらに三日後。
葬儀は我が家でとりおこなわれました
けっして大きいとはいえない木造二階建ての我が家に、たくさんの人たちが来てくれました。
姉の友人や知人。彼女ら、彼らは、それぞれに悲しみをたたえ、あるいはたたえきれずにあふれさせ、涙を流し、体を震わせていました。だれもが姉の死に納得がいかないようでした。
姉の顔はうそみたいにきれいなままでした。黒い棺にかくれた、その体がバラバラに切断されているのだとはだれも思わないほどに・・。
葬儀は警察が手配してくれました。
警備も警察がしてくれたので、家の前に集まったマスコミを追いはらってくれました。
姉の葬儀に集まったマスコミはものすごい数で、中にはとなりの家の敷地からうちの裏手に忍び込んできたマスコミもいたほどでした。ひどいものです。
ひどいといえば、ネット上はさらにひどいものでした。姉に対する中傷、誹謗が止まらないのです。
「これ絶対整形」
「性格わるそう」
「いかにも人を見下げている感じ」
「この写真、加工しているよね」
「いうほど美人じゃないよね」等々。
写真も多数出回っていました。学校の卒業アルバムの写真や、姉の勤務先のホームページでアップロードされていた写真です。
姉の勤務先のホームページは初めて見ましたが、けっこうな数の姉の写真がアップロードされていました。
写真だけではなく、動画もありました。動画では、あたりまえですが、まだ姉が動いていて、勤務先の仕事の紹介をしていました。
「どうも、瀬尾まりです」
「どうも、瀬尾まりです」
「どうも、瀬尾まりです」・・。
どの動画もそういうふうにはじまっていました。
ネット上では姉ばかりではなく、ぼくに対する書き込みもありました。
「この弟、ずいぶんできがわるいんだって」
ピンポーン! そのとおりです。
「こいつ、大学にほとんど行ってないみたい」
ピンポーン! それも正解です。
ぼくはほとんど大学に行っていません。
はずかしながら、ほぼひきこもりで、昼寝て、夜オンラインゲームをやって、昼寝て、夜オンラインゲームをやってのくりかえしです。
だめだめなのです。
「可能性あるよね?」
「あるある」
「おれもそう思う」
「できのいい姉を嫉妬してってこと?」
なんと、ネット上ではぼくの犯人説まで出ていました。
しかし、嫉妬とは笑わせてくれます。
たしかに姉は「できがよく」、ぼくは「できがわるい」でおなじみです。
でもだからといって、ぼくは姉をねたんだりしたことはありません。
あまりにも、それこそ「でき」のちがいが明らかだったからです。嫉妬どころか、ぼくにいわせてもらえば自慢の姉なのです。
これは後日知ったことですが、警察はなにも葬儀や警備のためだけに、うちに来ているわけではありませんでした。
彼らは家の中や家の外に監視カメラをしかけ、参列にきた人やマスコミとともに、我が瀬尾家をとりまいているやじうまたちの顔を撮影していたのです。
その中に犯人がいる可能性があるというのです。
実際、警察はその監視カメラに撮影されていた人の中から、この事件の被疑者を見つけ出しました。
あるいは姉を殺したのかもしれない、その男の名前は横川みつお。四十二歳でした。