第12話 妻の好きなタイプ
文字数 1,754文字
「だいじょうぶですよ」と弁護士の先生は言ってくれます。「なんの証拠もないのですから」
それはそうだろうとわたしも思うのですが・・。
でも、一週間以上も留置所にいて、連日取調べを受けていると、だんだん弱ってくるのです。
この先のこと、家族のこと、会社のこと。心配がつきません。
いまのところ妻からの連絡はありません。
それとなく弁護士の先生に妻の様子を聞いてみるのですが、弁護士の先生は言葉を濁してばかりなのです。
「それはまあ・・」
「いまはその話は・・」
「それよりも、横川さん・・」等々
もちろん、妻はわたしのことをよくは思っていないでしょう。それはそうに決まっています。
でも、さすがにわたしが殺人という罪を犯してはいないとことは信じてくれていると思います。
そういえば、若い女性の切断された右手が川のそばから見つかったというニュースをわたしは自宅で妻と二人で見たのでした。
七月十一日のことです。
そのニュースは朝のニュースとして、我が家のカウンターキッチンのテーブルの上に置いている、小さなテレビから流れてきました。
わたしたち夫婦はついさきほど朝食を終え、いつものように小学二年生の元気な男の子を学校へと送り出したところでした。
「なお」とニュースのアナウンサーは言いました。「いまのところ被害者の身元はわかっておりませんが、警察ではバラバラ殺人事件として捜査を進める方針です」
「きもちわるいわね」と妻がカウンターキッチンの向こうから言いました。「この町でこんなことが起きるなんて」
「ああ」とわたし。「きもちがわるい」
ほんとにきもちがわるい、とわたしは思っていました。
なにしろこの平和な町では、殺人事件でさえそうそう起きることはないのです。それが朝からバラバラ殺人だなんて。
「かわいそうに若い女の子だって」
「うん、ほんとうに」
「それ、忘れずに飲んでよ」
「うん」
やっぱりばれていたか・・。
毎朝のことながら、わたしは飲みたくなくて、目の前にあるのに気づかないふりをしていた、青汁がいっぱいに入ったコップを手に取ると、ぐっと一気に飲み干しました。
「今日、遅くなりそう?」
「うん、遅くなるかも」
「遅くなるときは連絡してね」
「うん、わかってる」
わたしはいったいなにをわかっていたのか?
しかし殺人の容疑さえ晴れれば、妻だってわたしと少しは話してくれる気になるかもしれません。
もちろん不倫していたことについてはちゃんと謝るつもりです。
甘い考えかもしれませんが、不倫についてはあんがいあっさりと許してくるのではないかと思うのです。
これは妻が昔、自分でよく言っていたことですが、妻はいわゆる「恋愛体質」ではありません。「そこまで」と妻は言うのです。「人のこと好きになれない」と。
それまでまったく女性に縁がなかったわたしが妻と初めて会ったのは、おたがいが大学生のときでした。
ともだちの紹介というやつです。地味な印象の彼女でしたが、わたしにはまぶしいくらいでした。
わたしはあまり話さないように気をつけました。また「えっと」が出ないようにと思ったのでした。
もうトラウマなのです。だからその場はたいして盛り上がりませんでした。
しかし、それがかえってよかったのです。
ほんと、世の中なにが幸いするかわかりません。
当時から恋愛体質ではないことを自認していた彼女は、女の子の気を引くために、必要以上にがんばってトークする男が嫌いだったのです。
そしてなんと(!)、わたしは彼女とつきあうことになるのですが、デートとかプレゼントとかであんまりがんばらないでよかったので(というか、あんまりがんばると逆に嫌われることになるので)、彼女とつきあうのは、それまで女性とつきあったことのないわたしにとっては楽でした。
でも、のちのち妻の好きなタイプが「特にないけど、強いて言えばモテなさそうな人」と聞いたときには、さすがのわたしもちょっとショックでしたが。
そういう妻なので、ちゃんと謝ればあんがいあっさりとわたしの不倫を許してくれるのではないかと思っているのです。
しかしそれもこれも、すべては殺人の容疑を晴らしてからです。とはいえ、やっていないことをどう証明すればいいのか、わたしにはよくわかりませんが。