第27話 姉の声

文字数 1,736文字


 そのうち、川沿いに建つ姉のマンションが見えてきます。
 八階建ての大きなマンションです。

 姉のマンションに行くのは二回目です。
 一回目は姉の引っ越しを手伝ったときですから、姉が引っ越してからは一回も行っていないことになります。

 姉は「いつでも遊びに来てね」といってくれていたのですが、その機会がなかったのです。
 というより、姉はよく夕食を食べに家に帰ってきていましたから、そもそもその必要がなかったのです。

 姉の部屋は六階の601号室。いちばん奥の角部屋です。
 ベランダからの眺めがいい部屋です。大きな川がゆったりとカーブしているところが見えるのです。

「川のカーブってきれいだと思わない?」
「そう?」

 正直、ぼくには川のカーブの美しさなんてわかりません。

 
 マンションの駐車場に車を止めて、ダンボール箱を胸にかかえて、姉のマンションに入ります。

 不動産屋さんがいっていた通り、姉の部屋の鍵は郵便ポストに入っていました。
 姉の部屋の鍵をポケットに入れ、エレベーターで六階まで上がります。それから、廊下をいちばん奥まで歩いていきます。

 姉の部屋の前で一度止まるぼく。
 なんだか緊張して、深呼吸までしてしまうぼく。
 我ながらなんだかかっこわるいですが、しかたありません。そういうふうにできているのです。

 べつに姉の幽霊が出ると思っているわけではないのですが・・。
 というより、姉の幽霊ならばぜんぜん出てきてくれてもいいのですが。 

 深呼吸のあとで、ポケットから鍵を取り出し、静かに姉の部屋のドアを開けて、中に入ります。
 胸にダンボール箱をかかえたまま、キッチンとバスルームの間を抜けて、リビングルームへ。

 ベッドに机に本棚。きれいに片づいています。まあ、実家でもそうでしたが。でも、実家の部屋よりも少しだけ男子っぽい感じもします。

 なんでしょう? 
 どこか女子の部屋としては少しシンプル過ぎる気がするのです。
 まあ女子、男子というより、大人っぽくなっているだけなのかもしれません。

 ぼくはダンボール箱を床に下ろすと、姉のベッドのはしに腰を下ろします。すこしだけ休もうと思ったのです。

 におい?
 雰囲気? 

 なんでしょう、なんだか姉が近くにいるような気がして、ぼくはベッドに横になり、目を閉じます。

 そのうち、そんなつもりはなかったのにぼくは寝てしまいました。いいわけをさせてもらうと、いまはふだん寝ている時間なのです。

 眠りに落ちるとき、姉の声が聞こえてくるような気がしました。

「もうなにやってるのよ、あきひと」
「ちゃんと食べなさいよ、あきひと」
「だいじょうぶ? あきひと」
「無理しなくていいのよ、あきひと」
「これはお姉ちゃんがやるから、あきひと」
「それ取って、あきひと」
「バカね、あきひと」
「えらい、えらい、あきひと」
「あきひと、・・・・・・・」



 わたしは瀬尾まり。
 今回のバラバラ殺人事件の被害者です。

 警察のみなさんのおかげでバラバラにされた死体もすべて見つかり、おかげですっかり記憶をとりもどしました。

 ここではあきひとの姉として話をさせていただきたいと思います。

 弟のあきひとが自分に自信をもてないでいることは姉のわたしにもわかっています。
 あるいは、それはわたしのせいかもしれません。あまりにもわたしが面倒を見過ぎたかもしれない、という意味です。

 なにしろかわいい弟でしたので。特に小さなころはほんとにかわいらしくて、どこへ行くにもつれていっていました。いまにして思えば、ちょっとペットあつかいにしていたのかもしれません。ごめん、あきひと。

 これは親ばかならぬ、姉ばかですが、あきひとはやればできる子だと思います。ほんと、姉ばかですみません。

 だから、あきひとにはもっと自分に自信をもってほしいのです。あきひとにとってはむずかしいことだとはわかっています。
 だからいますぐにとはいいません。でも、いつかあきひとには自信をもってほしいのです。いつでもいいです。自分を信じてほしいのです。

「じゃあね、あきひと」

 わたしはわたしのベッドで寝ているあきひとのやわらかい髪を、あきひとがまるで三歳だったころのように、右手でなでながらいいます。「お父さんとお母さんをよろしくね」
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