第10話 「エット横川」

文字数 2,078文字


 わたしは横川みつお。今回のバラバラ殺人事件の被疑者として留置所に拘留されている男。
 四十二歳。デザイン会社の代表です。

 これだけははっきりと言わせてもらいますが、わたしは犯人ではありません。ほんとうです、信じてください。わたしは瀬尾まりさんを殺してはいません。

 どうしてわたしにそんなことができるというのでしょう? 
 あれほど若くて、美しく、生き生きとしている彼女を殺すだなんて・・。
 そのうえ殺害後に彼女の死体をバラバラ切断して、川に捨てるだなんて・・。

 とてもじゃありませんが、わたしにはそんな怖ろしいことはできません。わたしはごくごくふつうの男なのです。

 
 たしかにわたしと瀬尾まりさんは不倫関係にありました。それは認めます。
 また、瀬尾まりさんはわたしの会社の従業員でもありました。それでわたしは被疑者として取調べをうけているわけです。

 不倫しておきながら言うのもなんですが、わたしはそもそも不倫なんてするようなタイプではありません。
 わたしはモテないでおなじみだからです。

 若いころは特にそうでした。あまりにもモテなさ過ぎて、もうモテなくても平気なぐらいでした。モテるモテないなんて、ちがう世界のできごとだったのです。

 でももちろん、心のそこではすごくモテたくありました。それで一度だけ、すごくくやしい思いをしたことがあります。

 それはわたしが中学生のときの話です。
 なんと(!)、わたしは同級生の女の子、それもけっこうかわいい女の子に告白されたのです。

 奇しくもそれは瀬尾まりさんのバラバラ死体が見つかった川の土手でのことでした。その土手はわたしの通学路でもあったのです。

 わたしが告白されたのは学校帰りでした。
 突然、土手をかけあがってきた、その子は言いました。「わたし、横川くんのことが好きなの。つきあって」

「えっと」
「えっと」
「えっと」・・。

 あまりのことにわたしは「えっと」しか言えなくなりました。
 体中が熱く、でもなんだか寒いときのようにぶるぶると震えだしそうでもありました。あるいはそれこそが、よろこびだったのかもしれません。

 でも、もしあれがよろこびだったのだとすると、あれ以上のよろこびは味わったことはありません。
 なにしろ、それがよろこびだとは気づかないほどのよろこびなのです。


 しかし、そのよろこびは長くは続きませんでした。
 笑い声が土手を上がってきたのです。サッカー部の連中でした。みると、わたしに告白した子も笑っています。

「横川」とサッカー部のひとりが言いました。「おまえ、なに本気にしてんだよ」

 これだけは言わせてください。わたしも少しはおかしいなと思っていたんです。冷静になって考えればわかることなのです。
 わたしがモテるわけがないのです。なにしろわたしにはモテない理由がたくさんあるのです。

 イケメンではない、背が低い、雰囲気がおっさんくさい、スポーツが苦手、内気、うまく人と話せない、等々。

 それは十分にわかった上で、なにかの偶然、あるいはまちがいで、モテたのかもしれないと思っていたのです。

 いや、ほんとはわかってなかったのかもしれません。でも、モテない男子としては、かわいい女の子に急に告白されて冷静でいられるわけがないのです。

 しかし、現実はそんなに甘くありません。「横川」とまた別のサッカー部のひとりがわたしにスマホのカメラを向けながら言います。「ひとことちょうだい」

 ひとこと?
 そうです、彼らはこの惨劇(あるいはコント?)をスマホで撮影していたのです。
 というか、もともとがそういう企画だったのです。

 わたしはいたたまれなくなって、その場から走り去りました。しかし、それがまたわるい結果になりました。

 わたしの「走り方がださい」と学校中で評判になったのです。サッカー部の連中が撮影した動画を学校中に広めたのです。

 しかし、走り方がださいと言われても、わたしとしてはどうしようもありません。必死で走っただけなのですから。

 まあ、走り方がださいならださいで、「ハシダサ」なんて呼ばれるようになったらまだましだったのですけれど、わたしはそれ以降、「エット横川」と呼ばれるようになりました。

 もちろん、これはわたしが女の子に告白されて「えっと」「えっと」「えっと」と、「えっと」しか言えなくなっていたからです。

 こんなかっこわるいあだなほかにあるでしょうか? 

 卒業するまでわたしはそう呼ばれることになりました。
「エット」とカタカナ表記になった理由はわかりませんが、たしかにひらがなよりカタカナの方が人名っぽくはあります。

 もちろん、わたしが昔いくらモテなかったからといって、あるいは「エット横川」とよばれていたからといって、不倫していいという理由にはなりません。

 それはそうです。自分でもわかっているのです。ただのいいわけなのです。もちろん、反省しています。
 それこそ、なにかの偶然、あるいはまちがいで若い女の子にモテて舞い上がっていたのです。

 人生ではじめて舞い上がり、人生で最悪の結果を招いたのです。
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