第33話 黄色いスニーカーの男、再び
文字数 2,038文字
ぼくは瀬尾あきひと。深夜に姉の部屋の片づけに通っている弟。
姉の部屋はだいぶ片づいてきました。広々としてきた部屋を見るのはわるくないです。もう姉の部屋という感じがしないだけかもしれませんが。
まだ残っている大きなもの、机やベッドや洗濯機などは、近いうちにリサイクルショップに引き取りにきてもらうつもりです。
ぼくは大きなダンボール箱を胸に抱えて、姉の部屋を出ます。
大きなダンボール箱ですが、中にはプラスチック製のハンガーやら、静電気防止のスプレーやら、予備のルームフレグランスやらで、見た目よりはずっと軽いです。
ぼくは深夜のマンションの廊下を歩き、それから深夜のエレベーターに乗って一階まで下ります。
深夜なのでほとんど人に会いません。とはいえ、何度か出入りする人を見かけたことはあります。もちろん、あいさつなんかはしませんが。
そうそう、一度、廊下で丸まって寝ているおっさんを見たことがあります。十分過ぎるほどの酔っ払いだとは思いましたが、死んではなさそうなのでほうっておきました。
実際、次にその廊下を通ったときにはおっさんの姿はありませんでした。起きて自分の部屋に帰ったのだと思います。たぶん、ですけど。
ぼくはマンションの外に出ると、マンションの前の駐車場に止めている、我が家のホンダの白の軽自動車のハッチバックドアを開け、そこにそのダンボール箱をつめこみます。
いままでもう何度も繰り返してきたことです。でも、その夜にかぎってなんだか変な感じがして、ぼくは振り返りました。
すると、通りの向こうの外灯の下にひとりの男が立っていました。
まさか!
ドクンとぼくの心臓が鳴ります。
暗がりの中でも、外灯の下なので、その男がはいているのが黄色いスニーカーだとわかります。
離れているのではっきりとわかりませんが、男と目が合ったような気がしました。
いや、実際に合ったのだと思います。カンのわるいぼくですが、さすがにそのぐらいはわかります。
それから、不意に男の姿が消えました。
逃げた?
ちょうど一週間ぐらい前に、ぼくがはじめて黄色いスニーカーの男を見かけたときのように。
あのとき、ぼくは反射的に姉の部屋を飛び出して、黄色いスニーカーの男を追いかけようとしました。
しかし、みずきさんにもいわれましたが、我ながらなにも考えずに無謀なことをしたものです。あとになって怖くなりました。正直、ぞっとしました。
姉を殺したであろう、バラバラ殺人犯をただただ反射的に、なんの準備もなく追いかけようとするなんて。
それもケンカひとつまともにしたことがない、このぼくが(!)です。
またあいつがあらわれたと、みずきさんに連絡しなくてはと思いながら、ぼくは我が家の軽自動車のハッチバックドアをバタンと閉めました。
そのとき、また変な感じがして振り返ると、黄色いスニーカーの男が道路を半分渡って、こっちに向かって来ているところでした。
男は逃げたふりをしたのか、あるいはぼくが暗がりで男の姿を見失っただけなのか。
ぼくは一瞬フリーズしたあとで、一歩後ずさりしてから前を向き、マンションの中に駆け込みました。
エントランスのガラスのドア越しに振り返ってみると、男はぼくを追いかけてはきているのですが、どういうつもりかゆっくりと歩きながらです。
余裕のつもりなのでしょうか?
それとも、そうした方がぼくが怖がると思っているのか?
でも、これなら逃げることができそうです。エレベーターで六階の姉の部屋まで戻って、鍵をかけて、チェーンロックもして、それからみずきさんに連絡すればいいのです。
しかしエレベーターの前までいくと、なんとエレベーターは上昇中でした。なんで今日にかぎって、こんな深夜の一時半過ぎにエレベーターが動いているのか!
もう男はエントランスのガラスドアの前まで来ています。残念ながらこのマンションのエントランスはオートロックではありません。
男は思ったより小柄で、長めの髪はぼさぼさでした。ぶかぶかの紺のスウェットを着ていて、柄なのかスウェットには無数の白い線が走っています。
今度こそ、ほんとうに男と目が合いました。男の目は真っ赤で、憎悪で燃えているようでした。
殺される、とぼくは直観しました。
男はなおもスローモーションのように動いています。ゆっくりと右腕を上げ、ひじでガラスのドアを押して開けようとします。
そのとき、ようやくぼくは男が右手に刃物を握っていることに気づきました。
まずい、どうする?
階段を駆け上がり姉の部屋に逃げ込むか、マンションの裏口から外へと逃げるか、一瞬悩んだあと、ぼくは玄関エントランスとは反対方向に位置する、マンションの裏口から外へと出ました。
マンションの裏手には住宅街が広がっています。ぼくは下手に姉の部屋に向かうより、外に出た方が逃げる場所、もしくは隠れる場所がたくさんあると判断したのです。
ぼくは住宅街を走りはじめました。