第4話 「なんでもいい方に考える」

文字数 2,152文字


 警察署につくと、わたしはいつもの場所にスクーターをとめて、ヘルメットをシートの下に入れてから、署内にかけこみました。
 今度は階段を一階から三階まで一気にかけあがります。刑事課は三階なのです。

「すみません! 遅れました!」

 刑事課に入るなり、わたしは大きな声でいいます。
 三年ぶりの殺人事件とあって、刑事課はいつもとは全然ちがう雰囲気でした。

 いつもはつい昼寝しそうなほど静かなのに、すごくにぎやかなのです。
 みんな興奮しているのです。よその課からも、たくさんの人がかけつけています。応援なのか、ただの野次馬なのかわかりませんが。
 
 わたしは人のあいだを通り抜けて、タカバヤシさんのデスクまでいきました。
 タカバヤシさんは自分のデスクに腰かけて、なんだか偉そうに腕を組んでいました。

「すみません、遅くなりました」
 わたしはあらためてタカバヤシさんに頭をさげました。
 タカバヤシさんというのは先輩の刑事で、新米刑事であるわたしの教育係りなのです。

「なにやってたんだ?」
「すみません。寝ていました」
「電話にはワンコールで出ろといつもいってるだろう」
「すみません」
「酒を飲んでいたのか?」
「いや、飲んでいません」
「じゃあ、何時に寝たんだ」
「十時ぐらいです」
「お前、寝すぎだろう」
「すみません」

 普段お世話になっている人にこういうことは本当にいいたくはないのですが、タカバヤシさんという人はすぐ怒るし、怒鳴るし、説教は長いしで、器の小さな男なのです。

「課長にいって、おまえは捜査から外してもらったからな」
「えっ!」
「今回のお前の仕事はジンさんの運転手だ」

 運転手・・。
 なにもいえなくなるわたし。
 タカバヤシさんはうれしそうににやりと笑ってみせると、わたしに背を向けて去っていきました。

 
 ショックで、がっくりと床に両ひざをつきたいぐらいでしたが、なんとか自分のデスクまで歩き、座りました。

「お昼はやっぱり仕出しですかね?」
「まあ、そうだろう」
「どこから取ります? よしだやでもいいですか?」
「それはどこからでもいいんじゃない」
「この場合、一人頭の予算っていくらなのでしょう?」
「さあ? そんな決まりあったけ?」

 そんな、まわりの喧騒が遠くに聞こえます。
 まるでわたしは急に風邪になって、楽しみにしていた修学旅行に参加できなくなった子供のようです。

 しかしそれにしても、運転手だなんて! 
 だんだんタカバヤシさんに腹が立ってきます。

 いっそタカバヤシさんに腕ひしぎ十字固めを極めてやりたいところでしたが、そのときわたしは、そうだった(!)と母の教えを思い出したのでした。
 それは、「なんでもいい方に考える」という教えです。

 ずいぶん都合のいい教えですが、これがけっこう役に立つのです。
「どんなにわるいことが起きても」と母はいいます。「ひとつぐらいいいことがあるものなのよ」

 そうして思えば、たしかにひとついいことがあります。
 それはタカバヤシさんと組まずにすんだということです。

 わたしが遅刻しなければ、おそらくわたしはタカバヤシさんと組まされていたはずです。お世話になっている人にまたいってしまいますが、タカバヤシさんと組んでいてはとても犯人を逮捕できる気がしません。

 それにわたしは「運転手」という言葉にショックを受けていましたが、たしかタカバヤシさんは「ジンさん」の運転手といっていました。

 ジンさんといえば、かなり年配の先輩刑事なのですが、我が署では現役刑事の中で唯一、殺人犯を逮捕したことのあるレジェンド刑事なのです。まあ、何十年も前のことなのですが、でも実績は実績です。
 これはいいことふたつめとかんがえていいでしょう。

 ふたつもいいことがあるなんて、こうなるとむしろ遅刻してよかったような気がしてきました。
 タカバヤシさんと組むよりは、ジンさんの運転手をやっている方が、よっぽど犯人を逮捕できるような気がするのです。
 

 がぜんやる気を取りもどしたわたしは立ち上がり、さっそくジンさんの姿を探します。
 いつもは姿を消していることが多いジンさんですが、さすがにその日は自分のデスクに座っていました。

 窓を背に、ひとり物憂げな顔をしているジンさん。短い白髪が太陽の光をうけて輝いています。
 早くもなにか事件について考えはじめているのでしょうか。さすがレジェンド刑事、たのもしいです。

 もうなんだかいいことばかりのような気がしてきました。
 これはもしかすると、刑事ドラマではおなじみの頭脳派と肉体派がコンビを組む瞬間なのかもしれません。

 わたしはジンさんのデスクの前までいくと、「今回、運転手になりました、花森みずきです。よろしくお願いします」といって深く頭を下げました。
 レジェンド刑事とはいままで恐れ多くて一度も話したことがなかったのです。

「おう、よろしくな」とジンさん。
「車、用意してきましょうか?」
「いや、車はいい。歩きでいこう」
「歩きですか?」
「ああ、歩きだ」

 すっと立ち上がるジンさん。
 早くも手がかりをつかんでいるのでしょうか? さすが過ぎます。
 立ち上がったジンさんは行き先も告げずに歩きはじめます。わたしはそのあとについていきます。
 こうなったらもう、どこまでもついていくしかありません。
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