第19話 「はい、これ飲んでね」

文字数 2,112文字



 ぼくの病気はわるい病気。
 よくないことをしてしまう病気。
 治らない心の病気。

 だから、ぼくはずっと施設にいた。
 十四年ぐらいいた。
 施設にいるのは学校にいるよりよかった。いじめられずにすむから。

 でも、ママに会えないのはつらかった。
 ママはときどき会いにきてくれたからだいじょうぶだったけど。

「ちゃんとたべてる?」
「うん」
「たのしい?」
「うん」

 ぼくは「うん」としかこたえられなかったけど、それでもママはしあわせそうで、ママがしあわせそうならぼくもしあわせで、ぼくはママが持ってきてくれたチョコレートを指がべとべとになるまで食べて、それからオレンジジュースを飲んで、体があまくあまくなっていった。  

「ともだちができたんだって?」
「うん」
 
 そう(!)、一度だけだけど、施設ではぼくにもはじめてのともだちができた。
名前はしらないけれど、「モグラくん」と呼ばれていた。
 まあ、ぼくだって「キツツキくん」とよばれていたけど。

 ぼくが「キツツキくん」とよばれていたのは、ぼくがよく壁に頭から血が出るまでうちつけていたから。
 だから施設にいる間は、ぼくはよくおでこにカーゼをつけていた。

 モグラくんが「モグラくん」とよばれていたのはいつも地面に穴をほっていたから。

 モグラくんは施設の雑木林の中で穴をほる。雑木林の土はやわらくほりやすい。
 モグラくんは小さな子供用のスコップで穴をほる。その小さなスコップがやわらかな土をほる音は耳にここちいい。

「サク、サク、サク、サク」
「サク、サク、サク、サク」

 モグラくんが穴をほっていると、ミミズやらなにやらの幼虫がたくさん出てくる。
 そのたびにモグラくんは「ごめんね」といって、かれらのために新しい家をつくってやろうとまた新しく穴を掘りはじめるから、そこらじゅうが穴だらけになっていく。

 モグラくんはどうしているだろう?
 元気かな?
 まだ穴をほっているのかな?


 施設では先生とお話しする時間がある。
 先生の部屋はすき。壁に青空と白い雲がもこもことかかれていて、たくさんの色のきれいな気球が飛んでいるから。

 先生のこともやさしくてすきだけど、でもやっぱり、いろいろきかれるのはすきじゃない。

「どうして犬がこわいの?」
「どうしてって・・」

 そんなあたりまえのことをきかれても、うまく言葉が出てこないから。

 いえないままの言葉がぼくの胸の中でいっぱいいっぱいになって、ぼくは息苦しくなる。

 息苦しくなると、犬たちの声が聞こえてくる。ぼくを殺そうという相談をしている犬たちの声。

「どうする?」
「どうする?」
「今日の夜やろう」
「わかった。あいつを食いちぎってやろう」
「いいね、あんなやつ死ねばいいんだ」
「そうだそうだ、あんなやつ死ねばいいんだ」
「じゃあ」
「オッケー」

 その夜、ぼくが寝ているときに、たくさんの犬たちがぼくの部屋になだれこんでくる。

 あいつらはぼくのベッドに飛び乗り、ぼくの体にかみつく。うなり、よだれをたらしながら、ぼくを食いちぎる。

 むしゃむしゃ、むしゃむしゃ。
 むしゃむしゃ、むしゃむしゃ。


「どうしたの、だいじょうぶ?」
 と、ぶるぶるふるえはじめたぼくを心配する施設の先生。
「ごめんなさい。きょうはもうやめにしましょう」

 先生はそういって立ち上がり、ぼくの両肩にやさしく両手をおいて、こうつづける。
「はい、さとしくん、深呼吸して。はい、吐いて、もっと吐いて。ゆっくり、ゆっくり。はい、ちょっと吸って、大きく吐いて」
 ぼくは息を吐き、息を吸う。

 そうして、ゆっくりゆっくりとぼくの体のふるえがとまる。
 だいじょう、だいじょうぶ。

 いや、あまりだいじょうぶじゃないかもしれない。
「はい、これ飲んでね」
 ぼくは先生にオレンジと白色のカプセルの薬をもらって、部屋を出る。

 ぼくは施設の洗面所で、その薬を飲んで(洗面所の鏡に映ったぼくの顔は死んだ人みたいに真っ白で、みにくくて、すごくゆがんでいる)、それから自分の部屋にいって、ベッドにたおれこむ。

 早く薬がきいてくるのを願う。
 そうじゃないと、犬たちがぼくを殺しにやってくるから。


 ぼくがいままでたくさんの犬を殺してきたのは、そうしないと殺されるから。
 でも、殺すのはわるいことだから、ぼくは施設にいる。

 ぼくは殺した犬をバラバラにして、川に流した。バラバラにしたのは、運びやすくするためと、人に見つからないようにするため。

 川に流したのは、ママが「川の水は二週間ぐらいでもどってくる」といっていたから。「雨がふって、それが川に流れて、海に出て、水蒸気になって、雲になって、また雨がふるまで、だいたい二週間ぐらいなの」

 川の水がもどってくるのなら、川に流したバラバラ死体もまたもどってくるかもしれない。

 バラバラになった死体がもどってくるのなら、バラバラになった死体はまたくっついて生き返るかもしれない。

 そうなると、ぼくは殺したことにはならない。
 そうなると、殺してないほくはわるい子ではなくなり、ママがよろこぶ。

 生き返った犬だって、ぼくのことを殺そうとしないかもしれない。
 だって生き返った犬は、いい犬になっているかもしれないから。
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