第43話 ご飯を炊く

文字数 2,550文字


 あいかわらず、ぼくは深夜に国道に沿って歩いています。夜中の十二時に家を出て朝の六時に家に帰ってくるのです。

 家に帰ってきたぼくはシャワーをあび、それから我が家の小ぶりなダイニングテーブルの上に山積みになっている菓子パンの中からふたつほど適当に取って、二階の自分の部屋にいき、ベッドに腰掛けてその菓子パンを食べると、ベッドに横になります。あとは目を閉じ、眠るだけです。

 毎日毎日、その繰り返しです。
 ほかになにかする気にはならないのです。というか、なにをすればいいのかわからないのです。


 しかし十一月初旬のある朝、ぼくはいつものようにシャワーをあびたあとで、どういうわけか自分でもよくわかりませんが、急にご飯を炊こうと思い立ちました。

 ほとんど人にとってはご飯を炊くことぐらいなんてことはないのでしょうが、ぼくにとっては一大事です。

 なにしろ、ご飯を炊くのは小学校二年生のときの調理実習以来なのです。
 とはいえ、そのときでさえほとんどのことをクラスメートがやってくれたので、ぼくは横でほぼへらへら笑っていただけですが(そうです、やはり「へらへら」とあだなをつけられるだけのことはあったのです)。

 ぼくはまず我が家の小ぶりなダイニングテーブルの上を空けることにしました。

 玄関からダンボール箱をひとつ持ってきて、そこに山積みになっている菓子パンを入れて、床におきました。

 それからぼくは小さなキッチンワゴンの上にのっていた炊飯器を、ダイニングテーブルの上にでんと置きました。

 べつにキッチンワゴンの上でもご飯を炊くことはできるのですが、ぼくにとっては一大事ということで、大げさにしたい気分だったのです。

 さて。
 ぼくはしばらくのあいだ、我が家の炊飯器を眺めました。

 ボタンとしては、『メニュー』があり、『炊飯』『取消』『保温』があります。
 どうやら、『メニュー』を選び、『炊飯』を押すだけでよさそうです。思ったより簡単そうなのでほっとしました。

 あとはご飯を洗えばいいだけです。
 ぼくは炊飯器からうち釜を取り出し、それを持ったまま、ゆかにひざをつき、流し台の下の扉を開けます。

 そこに我が家の米びつがあるからです。ご飯を炊いたことのないぼくですが、さすがにそのぐらいはわかっているのです。

 ぼくは米びつからお米を二合とり、それをうち釜にいれます。お米二合というのは適当です。できあがりがどのくらいか想像できていません。

 それから、ぼくは流し台にうち釜を置き、水を入れて、お米を洗います。

 洗い方も適当というか、自己流ですが・・。

 途中、やっぱりスマホでちゃんとした洗い方を調べた方がいいかなと思いましたが、もう手がぬれていて、調べるのもめんどくさいのでやめました。

 お米を何度か洗い、水がきれいになると、うち釜の「2」の線まで水を入れ、それを炊飯器にセットしました。

 そこでぼくは電源コードをつなごうとしましたが、ダイニングテーブルの上からではどこのコンセントにも届きません。

 結局、ぼくは炊飯器を元の定位置である、小さなキッチンワゴンの上に戻しました。そこは壁のコンセントに近いのです。まあ、振り出しに戻ったわけです。

 ぼくは電源コードをつなぐと、『メニュー』から「白米」を選び、それから「炊飯」のボタンを押しました。すると炊飯器が「ピー!」と鳴りました。

 しかし、そのあとまったく音がしなくなる炊飯器。
 ちゃんと動いているのでしょうか? 

 なんの表示もでないので不安です。とはいえ、もうほっとくしかありませんが。


 ぼくはダイニングテーブルに腰を下ろしました。はずかしながら、これぐらいのことでもうひと仕事したような気分でした。あとは炊き上がりを待つだけです。

 しかし、どのくらい待てばいいのでしょうか? 

 待ち時間のことをまったくかんがえていなかったぼくはスマホで調べてみました。すると、なんと(!)一時間ぐらいかかるみたいです。

 一時間もどうしようかと思いましたが、ぼくは近所のコンビニに買い物にいくことにしました。かんがえてみれば、ご飯が無事に炊き上がったとしても、おかずがなにもないのです。

 ぼくは家を出て、だらだらとコンビニに向かって歩きました。

 コンビニではさんざん悩んだあげく、結局、納豆の三個パックをひとつ買って家に帰ってきました。もっといろいろ買ってもよかったのですが、今日はあくまでもご飯がメインなので、納豆だけでいいかなと思ったのです。

 家に帰ると、我が家の炊飯器がちゃんと動いていることがわかりました、蒸気が出ていたからです。

 表示には炊き上がりまであと「12分」の表示がでています。


 12分後。
 ぼくはあつあつのご飯の上に、からしをたっぷりと入れて、よくかきまぜた納豆をのせると、食べはじめました。おいしかったです。からしのきいた納豆最高です。納豆だけで正解でした

 匂いをかぎつけたのでしょうか、納豆ごはんを食べていると、キッチンにいきなり母が入ってきました。

 これにはちょっと驚きました。動いている母の姿を見ること自体がひさしぶりだったからです。

 母は、あいかわらず仕事は休んだままで、やはり一日中、居間のソファに横になっているだけなのです。

 ちなみに、父もあいかわらずで、仕事を休み、心療内科に通院中です。

 母はなにもいわないまま、ぼくの向かいに座りました。

「ご飯、食べる?」とぼくは聞いてみました。もしかして食べたいのかな、と思って。
「食べる」と母は答えました。

 食べるんだ、と思いながら、ぼくは食べかけのご飯をテーブルに置き、立ち上がりました。

 しかし、母と会話するのもまたひさしぶりのことです。まあ、たいした会話ではありませんが。

 ぼくは母にご飯をよそい、それを母の前に置くと、冷蔵から納豆とからしを取り出し、それも母の前に置きました。
 あと、お箸としょうゆも。

 母は手早く納豆をまぜると、ご飯の上にのせ、すごい勢いでかきこみはじめました。こんなに勢いよくご飯を食べる母は初めて見ました。

 ぼくがあっけにとられているうちに、母はご飯を食べ終わり、「ごちそうさま」といいました。

 それから、こうつけくわえてキッチンから出ていきました。「明日はみそ汁もお願い」

 えっ?
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