第30話 わたしにはわかるのです。
文字数 1,785文字
わたしは横川みつお、すべてを失った男。
家族を失い、愛人を失い、それから何でしょう?
ベッドを失い、ソファを失い、テレビを失い、それから・・。
マンションと車は売って、妻に慰謝料として払いました。
いや、妻ではなく、元妻でした。
弁護士の先生がわたしを気の毒に思っていわなかっただけで、元妻はわたしが逮捕された翌日にはもう離婚をきめていたようです。
これについてはわたしとしても弁護士の先生に感謝しています。
たしかに拘留されているときに聞かされるより、釈放されてから聞かされるほうがずっとましだったにちがいないからです。
もちろん養育費も払っています。
つい自分のことを「すべてを失った男」といってしまいましたが、意外にもいちばん最初に失うだろうと思っていたものが残っていました。それは仕事です。
わたしはてっきり仕事こそ真っ先に失ったものだと思っていました。
わたしの会社はデザインという、いわば外観、外側、見た目を扱っている会社なので、たとえ無罪で釈放されたとはいえ、一度は殺人事件の容疑者として、会社の社長(という外観)が逮捕された以上、もうだめだと思っていたのです。
しかしありがたいことに、ほとんどのお客さんが残ってくれていました。従業員も全員が残ってくれていました。これはほんとうにうれしかったです。いい年をして、もう泣きそうなぐらいでした。
しかし冷静に考えてみると、わたしが逮捕されてから釈放されるまでの約二週間という期間が、もちろんそれは留置所にいるわたしにとっては長い長い二週間でしたが、我が社のお客さんや従業員にとってはなにかしらを判断するには短すぎただけなのかもしれません。
とはいえ、仕事が残っていたのはわたしにとってはほんとうにありがたいことでした。
仕事に復帰して驚いたことがひとつあります。
それは、ほとんどのお客さんが残ってくれていただけではなく、むしろ新規のお客さんは増えているということです。
これはもしかするとですが、みなさん、バラバラ殺人事件の犯人として逮捕されたわたしに興味があるのかもしれません。どんなやつか、一度顔を見ておこうというわけです。
そう思うのはわたしの気のせいでしょうか?
被害妄想というやつでしょうか?
いや、気のせいじゃないかもしれません。
社員たちがときおりわたしのことを白い目で見ているような気がするのです。
たとえばわたしがお昼に社内でコンビニ弁当を食べているときなんかにです。ひどいときには全員がわたしを蔑むような目で見ている気がしてくるほどです。
全員というのはさすがにわたしの被害妄想かもしれません。でもたしかにそういう視線を感じるときがあるのです。
悲しいことにこれはたぶん間違いのないことです。中学生のときにいじめられていたわたしにはわかるのです。
「それ、わかる。みんな被害『妄想』というけど、あの感じは絶対『妄想』じゃないよね」と大学生のときの友だちもいっていました。
その子も中学生の頃にはずいぶんいじめられていたそうです。彼はこう続けました。
「どんなに遠くからでも、自分がバカにされていることはわかるよね。たしかになんの証拠もないことだけど」
白い目で見られているような気がするのは、なにも会社の中だけではありません。会社の外でもそうなのです。
コンビニのレジ係り、エレベーターで乗り合わせた人、それから通りすがりの人。みんながみんな、わたしを責め立て、嘲笑い、罵っているような気がしてくるのです。あるいは、恐れ、気味悪がり、嫌悪されているような気がしてくるのです。
「あれ?」という人の視線。「いまの人、殺人犯じゃない?」
「そうよ、まちがいないわ」
実際、そういう視線を感じたあとで、急に警察官に取り囲まれたことが二度ほどあります。わたしを見た人が110番したにちがいないのです。
だからこれは、被害『妄想』ではないのです。実際に被害にあっているのですから。
「たいへん失礼いたしました」
警察官たちはわたしが「例のあの男」だとわかると、礼儀正しく、囲みをといてくれますが、その礼儀正しさの中にさえ、わたしは彼らの隠された嘲笑を感じるのです。
「いえいえ」といって歩きだすわたし。
とまどい、怒り、安堵、悔しさ、寂しさ。
そのときの自分がどんな顔をしていのか想像もつきません。