第9話 専業主夫は見た

文字数 2,200文字

 慌しく眼鏡を送り出すと、どっと疲れが押し寄せてきた。

 昨晩のうちに使い方を何とか覚えたコンロなどの調理器具を使って、朝食を作り、「うんこが止まらない」とほざいて遅刻寸前までトイレに篭って出てこない眼鏡を追い出し、朝食の後片付けをしたら、もう9時だ。

 このまま一休みしたいところだが、俺には向こう数日を費やしてこなさねばならぬ大事な任務があった。

 床に散らばる安っぽいおもちゃや衣類、扇情的なポーズの女が描かれた本や何かの箱。
 清潔な服も脱いだ服も一緒くたの脱衣所。
 カビだらけの水回り全般。

 ここは器は素晴らしいが、中に詰まった眼鏡の所帯道具が最低だ。
 見渡す限りのゴミ、ガラクタ、ゴミ、ガラクタ……。
 そして臭い。酸っぱい臭いがする。
 昨日一昨日と、寝る場所がなく、俺は臭い布団だけ借りて廊下の壁に寄りかかって寝た。20歳の頃に行ったモラトリアム帝国との熱帯雨林でのゲリラ戦の夜を思い出した。

 ようは全く休まらなかった。

 だが、当分2人で住む以上、人が人間らしく住めるために大掃除をするのは喫緊の課題だ。

 道具は昨晩、掃除機というモーター付きの塵を吸い込む機械に眼鏡の使い古しのタオルを雑巾がわりに使って良いと眼鏡から許可が出ている。
 どちらもゴミの山から発掘されたものだが、贅沢は言えない。

 本音は新しい道具を買いに行きたい。
 眼鏡には一月分の小遣いとして、この世界の紙幣をもらっているので、支払いに問題はないはずだが、まだ一人で外出して、しかも買い物までする気は起きなかった。

 昨日眼鏡に連れられて歩いたこの世界の街並みは、あまりに俺が元いた世界とかけ離れていた。
 何に使うのか分からない魔法のような機械が眼鏡の部屋以上に溢れていて、危険極まりない。
 また、街並みだけじゃなく、この世界の住人たちは皆、俺や眼鏡と似たり寄ったりの薄い顔に黒髪、精精焦げ茶色の髪をしているのも衝撃的だった。
 ルサンチマン王国では、俺の一族は希少価値の高い高貴で美しい民族と尊ばれていた。
 王族含め、白い肌に金色や赤色の髪、彫りの深い顔がルサンチマン王国の圧倒的マジョリティだった。

 同胞が多いのは喜ぶべきことなのかもしれない。が、途方もなく遠い別世界に来てしまったと実感させられ、そんな気持ちにはなれない。

 どこから手をつけていいのか途方に暮れるゴミ部屋だが、少しずつでも動かねば始まらない。
 寝る場所を作るのを今日の目標にしよう。

 まずはリビング兼居室をターゲットに決めた。

 一人で黙々と作業をするのは参ってしまいそうなので、テレビという魔法の箱のスイッチを入れる。

 政治や経済についての情報を伝える新聞のようなものから芸人が出てくる演芸まで、何でも見られる魔法の箱だ。

 確かいくつか放送局とやらがあって、見たい番組とやらを選べるはず。
 眼鏡がやっていたのを思い出しながら、俺はテレビの操作を始めた。

 情報収集は何をするのにも大事である。

 もしかしたら、異世界情報も放映している可能性がある。
 芸能人と呼ばれている連中は、個性が強かったり、一芸に秀でた者が多いらしいし、異世界人が混ざっているかも知れない。

 期待に胸を高鳴らせ、放送局を順番に切り替えていったが、どれも俳優の不倫の話ばかりでつまらなかった。

 失望し、これで最後と思って切りかえた放送局は料理の過程を流していた。

 簡単美味しい和風ハンバーグの作り方

 興味はないが、他よりはマシだったので、これにしよう。
 和風ハンバーグの作り方を聞きながら、部屋のガラクタを捨てるものと取っておくもの、後で眼鏡に聞いて判断してもらうものとに分別する作業に取り掛かった。

 掃除をしながら、今後のことを考える。

 元の世界に帰る方法も愛刀も未だ見つからない。誇りだった近衛師団の軍服は眼鏡に無残にも子供サイズにされてしまった。
 この世界での身分証明が一切ない俺にできるのは、自分にそっくりのクソ眼鏡が散らかした部屋を片付けるだけ。
 ボニー様にも二度と会えないかも知れない。

 敢えて考えないようにしていたが、一度考えてしまうと、悲観的な思いはどんどん増大する。

 底抜けに明るいテレビの音が気に食わなくて、コンセントというテレビの原動力となる電気を送るケーブルを抜いた。

 しんとする部屋。
 ゴミ、ガラクタ、すえた臭い……。
 俺と同じ顔のくせにだらしなく、いつも上から目線で人を馬鹿にした態度のクソ眼鏡のにやけ顔が目に浮かんだ。
 異世界に急に飛ばされて、ただでさえ不安なのに、よりによって何であんな奴しか頼る人がいないのだろう。
 これも戒めなのか?

 腹いせにうず高く積まれたガラクタを思い切り蹴飛ばす。
 軍事訓練で鍛えた蹴りは、勢い余ってガラクタだけでなく腰高の本棚まで倒してしまった。

 しまった。やり過ぎた。

 感情的になってしまったのを後悔し、倒れた本棚を起こそうとした俺は、散らばった書籍に混ざり、薄汚れたノートが1冊床に落ちているのを見つけた。

 手にとってみると、表紙には下手くそな字で『設定資料集』と書いてある。
 タイトルの周りには十字架や鎖や羽の絵が描いてあった。
 不思議に思い、ページをめくった。
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