第4話 パピィの過去

文字数 1,947文字

「どうして俺がさっちゃんがルサンチマン王国から来たってすぐ信じたって不思議に思わない?」

 うさぎ放牧場内のベンチに腰を下ろした眼鏡父は唐突に切り出した。
 俺は無言で頷いた。
 膝にはまださっきのデブおっさんうさぎが乗っている。いつの間にか懐かれてしまっていた。

「不思議には思ったけれど、性格変だし、そんなものなのだろうと」

「本人に面と向かって変って言える君も大分ずれていると思うよ」

 眼鏡父の右手が伸びてきて、俺の頭をそっと撫ぜた。
 誰かに見られたら恥ずかしいのでやめてもらいたいのに、逆らえない。

「おじさんさ、昔、ルサンチマン王国行ったことあるんだよね」

「そうか……ん? え?!」

 からかわれているのかと思ったが、眼鏡父は至って真面目だった。

「ちょうど君と同じくらいの頃かな。うん、そうそう薩摩くんがマミィのお腹にいた頃だし。おじさん仕事で嫌なことが重なって、いっぱいいっぱいになっちゃったのに、もうすぐ薩摩くんは生まれてきちゃうし、家族とか責任とか背負いきれない気になっちゃって、何かもう頭パーン寸前よ。で、軽くパーンってなって、会社の屋上から飛んじゃったんだ。そしたら目が覚めたらルサンチマン王国よ」

「はあ」

「絶対死んだと思ってたんだけど、生きてるは異世界行っちゃうわで大変だったよ。でも、現地の人たちに助けられて、ようやく一生あっちで生活することを受け止めた頃に戻って来れたんだ。何とか薩摩くん生まれるのに間に合って良かったわ」

 眼鏡父はアヒャヒャヒャヒャと変な笑い声を立てたが、俺は笑えなかった。
 このおっさんは本気で虚言ではなく話しているのか? 眼鏡以上にふざけているのか本気なのか読めない。

「ルサンチマン王国はどんな国だった?」

「どんな国って、当時の俺と同年代くらいの若い王様とその一族が治めてる絶対王政ってやつ? 政治制度とか科学技術とかは日本より遅れてるけど、住んでる人たちは素朴で、森と湖が綺麗ないい国だったよ。基本ヨーロッパ風だよね、俺ヨーロッパ行ったことないけど」

「どの地域にいたんだ?」

「リヴァージョ村ってとこ。田舎だった」

「世話になった人たちの名前は?」

「木こりのジャックって奴の家に居候してた。気さくないい男だったねぇ」

 背中を冷たいものが走った。眼鏡父のルサンチマン王国関連の知識はでたらめにしては事実に即している。
 ルサンチマン王国が絶対王政国家であること、国土に森と湖が多いこと、全て正しい。
 さらに31年前、ルサンチマン国王は30代前半の若き君主だった。
 リヴァージョ村も実在の村で、俺の実家があり、木こりのジャックという人物も存在していた。ジャックは村はずれの小屋に住む豪快な風来坊で、現代日本流に喩えるなら辛うじて放浪していない寅さんだった。

 ルサンチマン王国はこちらの世界では、少年時代の眼鏡の妄想の産物としてとしか存在確認が出来ず、肝心の眼鏡本人が隠したがっているせいで、実質、眼鏡しか知り得ない国家だ。
 いくら親でも、ここまで詳細な情報を語れる理由が見当たらない。

 本当に眼鏡父はルサンチマン王国に行ったことがあるのか?

「どうした? まだ信じられないか? 何だよ、自分だってルサンチマン王国からこっちの世界に来てるんだ。反対ができない訳ないだろ。おじさんを信じなさい」

 余裕たっぷりに眼鏡父は胸を張る。
 信じて、良いのか?

「俺の両親に会ったことは?」

「あるけど、ジャックの家に住んでたから。話したことないんだよ。ほら、君のおやじさん、顔は俺そっくりだけど、お堅い仕事してて忙しかったじゃない」

 父は憲兵をしていて、遅くまで働き、あまり家にいなかった。
 たまに家にいても規則や道徳に煩く、家族を自分の部隊とでも思っているのかと疑いたくなるような、厳しくて、恐ろしくて、つまらない男だった。

「……どうやってこっちの世界に帰れたんだ?」

 俺にとっても有益な情報を得られるかもしれない。固唾を飲んで答えを待った。
 しかし、答えは期待外れだった。

「何か寝て覚めて気づいたら戻ってた。一応こっちの世界でも同じだけの時間が流れていて、俺は妊娠中の嫁さん放り出して数か月失踪してたってことになってたから、後始末が大変だったよ。あ、俺が失踪してた話は薩摩には内緒ね。あの頃の大人だけの黒歴史だから」

「はい」

 良い子だね、さっちゃんは、と髪をぐしゃぐしゃにかきまぜられる。

 されるがままになりながら、帰ったら眼鏡に今日聞いたことを全部話して相談しようと決意した。

 俺は『良い』でも『子』でもない。

 真っ黒な大人だ。
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