第7話 失ったもの
文字数 2,238文字
サキ姉ちゃんの家のトイレは掃除が行き届いていて、ほのかに芳香剤の香りがした。
便座やトイレットペーパーホルダーのカバー、マットの類は全て薄ピンクで統一されていて、程よい可愛らしさを演出している。
こちらの世界で入ったトイレの中では一番落ち着く雰囲気だ。
ちなみに当たり前だが、うんこはしてない。
しばらく便座に座って時間稼ぎをした後、クソババアとサキ姉ちゃんのいるリビングに向かった。
築年数は重ねているようだが、田舎の年寄りの一人暮らしの家にしては洒落た家だ。
隅々まで丁寧に手入れがされていて、壁には小洒落たパッチワークキルトがかけてある。
どことなく、俺の本当のお婆様の暮らしていた家に似ていた。
4人掛けのダイニングテーブルにかけて、サキ姉ちゃんとクソババアは抹茶プリンを食べていた。
俺の姿を認めると、サキ姉ちゃんは柔らかく微笑み、手招きしてくれた。
「お手洗いは間に合ったのかしら? こっちにいらっしゃいな。キミちゃんが持ってきてくれたプリン、一緒に食べましょう。美味しいわ」
クソババア、抹茶プリンなんて洒落たもの、いつのまに入手していたんだ。
クソババアは柄にもなく、気恥ずかしそうによそ見をし、口を挟まなかった。
「ほら、座って」
お言葉に甘えさせていただき、クソババアの隣に腰掛ける。
サキ姉ちゃんはテーブルの上に置いてある洋菓子店の箱から抹茶プリンと使い捨てスプーンを取り出し、俺の前に置いてくれた。
「姉ちゃん、夜に食べるんじゃなかったのかい?」
「良いのよ。今回はサツマさんに差し上げるわ。また買ってきて頂戴な」
この世界で、ルサンチマン王国での俺のお婆様にあたるポジションはサキ姉ちゃんなのではないかと思えてくる。
それくらい彼女は優しく上品で少女のように可憐だ。
「ところでキミちゃん。トシオさんの復活計画だけど、守備はどうかしら。次のチャンスは来月の20日よね」
俺がプリンを頬張っているのを横目に、サキ姉ちゃんは唐突に切り出した。
クソババアはギロリとこちらを睨んでから声を潜めてささやく。
「姉ちゃんその話は2人の時に……」
「あら良いじゃない。この子だって、よその世界から来たのでしょう? 分かってくれるはずだわ」
「え?」
クソババアの方を見ると、目を逸らされた。
俺がトイレに行っている間に話したのか。
でも、あの短時間で俺が異世界人版白波薩摩と理解するなんて柔軟すぎないか。
サキ姉ちゃんはするすると銀色の指輪をはめた左手を伸ばし、俺の左手の上に乗せた。
シワだらけだが、暖かくて優しい手だ。
「大変でしょう? 知らない世界にたった一人でやってきて。さぞ、寂しいだろうに」
「あ……」
こっちの世界に来て、ここまで真正面から自分の気持ちを慮られたのは初めてで、俺は面食らった。
「私の主人、トシオさんはね、結婚して1週間で戦争に行ってしまって、それきりなの。もう75年も会えてないのに、一緒にいられた時間の何倍もの時間が過ぎたのに、まだ私は寂しくて不安なの。キミちゃんや皆さんがずっと優しく寄り添ってくれてても、私はわがままだから満足できない」
困ったわ、とサキ姉ちゃんは苦笑した。
「私はたった一人と会えなくなっただけでこうなのに、あなたは元いた世界全てとお別れしてしまったのでしょう? ご家族もお友達も街もみんな。どれだけ辛く寂しいか」
言われてみればそのとおりなのだが、あまり深く考えたことはなかった。
特に再転移させられてからは、戻ったってあの世界には俺の居場所なんてないという事実から目を逸らしたくて、考えないようにしていた。
同情してもらえるのはありがたいが、今はそのことはまだ考えたくない。
話題を変えよう。
「あ、あの……」
「なあに?」
無垢と言っても良い清廉な瞳に、俺はたじろぐ。家で散々考えた正論を躊躇せずに彼女にぶつけられる程、さすがの俺も無神経ではなかったようで、少しほっとした。
「あの、戦争で大事な人が亡くなるって、どんな感じなのですか? 確かに悲しいですけど、国や残された人達を守るには必要な死ですよね」
優しげな瞳に悲しみの色が広がり、同じように俺の胸にも後悔が広がる。
「そうね。頭では分かってる。けど、必要な犠牲が私の主人である必要もまたなかったはずと思っちゃうの。そもそも、本当に必要な犠牲だったのかということすら、今でも分からない。無事に帰ってきたよその旦那さんを見るたびに、『何でトシオさんじゃないのよ』って思ってしまった。ふふ、勝手でしょう?」
「姉ちゃんは勝手じゃない。誰だって同じだよ。あたしだって同じさ」
クソババア、いやグランマが神妙な面持ちで口を挟んだ。
「あら、キミちゃんも?」
「あたしは女学校の友達だけどね。一緒に年重ねて、旦那の愚痴言ったり、子供連れて遊園地行ったり、旅行行ったりしたかったって今でも思うよ。時が経てば経つだけ、ありもしない今を想像してしまうね。意味なんてないって分かりながら」
二人はそれから、湿っぽい話をしたのが嘘のように、世間話やら儀式の話やら、娘時代に帰ったかのように和気藹々と続けたが、俺はグランマの隣で一言も発せずにいた。
抹茶プリンは残さず頂いたのに、どんな味だったのか、全く覚えていなかった。
便座やトイレットペーパーホルダーのカバー、マットの類は全て薄ピンクで統一されていて、程よい可愛らしさを演出している。
こちらの世界で入ったトイレの中では一番落ち着く雰囲気だ。
ちなみに当たり前だが、うんこはしてない。
しばらく便座に座って時間稼ぎをした後、クソババアとサキ姉ちゃんのいるリビングに向かった。
築年数は重ねているようだが、田舎の年寄りの一人暮らしの家にしては洒落た家だ。
隅々まで丁寧に手入れがされていて、壁には小洒落たパッチワークキルトがかけてある。
どことなく、俺の本当のお婆様の暮らしていた家に似ていた。
4人掛けのダイニングテーブルにかけて、サキ姉ちゃんとクソババアは抹茶プリンを食べていた。
俺の姿を認めると、サキ姉ちゃんは柔らかく微笑み、手招きしてくれた。
「お手洗いは間に合ったのかしら? こっちにいらっしゃいな。キミちゃんが持ってきてくれたプリン、一緒に食べましょう。美味しいわ」
クソババア、抹茶プリンなんて洒落たもの、いつのまに入手していたんだ。
クソババアは柄にもなく、気恥ずかしそうによそ見をし、口を挟まなかった。
「ほら、座って」
お言葉に甘えさせていただき、クソババアの隣に腰掛ける。
サキ姉ちゃんはテーブルの上に置いてある洋菓子店の箱から抹茶プリンと使い捨てスプーンを取り出し、俺の前に置いてくれた。
「姉ちゃん、夜に食べるんじゃなかったのかい?」
「良いのよ。今回はサツマさんに差し上げるわ。また買ってきて頂戴な」
この世界で、ルサンチマン王国での俺のお婆様にあたるポジションはサキ姉ちゃんなのではないかと思えてくる。
それくらい彼女は優しく上品で少女のように可憐だ。
「ところでキミちゃん。トシオさんの復活計画だけど、守備はどうかしら。次のチャンスは来月の20日よね」
俺がプリンを頬張っているのを横目に、サキ姉ちゃんは唐突に切り出した。
クソババアはギロリとこちらを睨んでから声を潜めてささやく。
「姉ちゃんその話は2人の時に……」
「あら良いじゃない。この子だって、よその世界から来たのでしょう? 分かってくれるはずだわ」
「え?」
クソババアの方を見ると、目を逸らされた。
俺がトイレに行っている間に話したのか。
でも、あの短時間で俺が異世界人版白波薩摩と理解するなんて柔軟すぎないか。
サキ姉ちゃんはするすると銀色の指輪をはめた左手を伸ばし、俺の左手の上に乗せた。
シワだらけだが、暖かくて優しい手だ。
「大変でしょう? 知らない世界にたった一人でやってきて。さぞ、寂しいだろうに」
「あ……」
こっちの世界に来て、ここまで真正面から自分の気持ちを慮られたのは初めてで、俺は面食らった。
「私の主人、トシオさんはね、結婚して1週間で戦争に行ってしまって、それきりなの。もう75年も会えてないのに、一緒にいられた時間の何倍もの時間が過ぎたのに、まだ私は寂しくて不安なの。キミちゃんや皆さんがずっと優しく寄り添ってくれてても、私はわがままだから満足できない」
困ったわ、とサキ姉ちゃんは苦笑した。
「私はたった一人と会えなくなっただけでこうなのに、あなたは元いた世界全てとお別れしてしまったのでしょう? ご家族もお友達も街もみんな。どれだけ辛く寂しいか」
言われてみればそのとおりなのだが、あまり深く考えたことはなかった。
特に再転移させられてからは、戻ったってあの世界には俺の居場所なんてないという事実から目を逸らしたくて、考えないようにしていた。
同情してもらえるのはありがたいが、今はそのことはまだ考えたくない。
話題を変えよう。
「あ、あの……」
「なあに?」
無垢と言っても良い清廉な瞳に、俺はたじろぐ。家で散々考えた正論を躊躇せずに彼女にぶつけられる程、さすがの俺も無神経ではなかったようで、少しほっとした。
「あの、戦争で大事な人が亡くなるって、どんな感じなのですか? 確かに悲しいですけど、国や残された人達を守るには必要な死ですよね」
優しげな瞳に悲しみの色が広がり、同じように俺の胸にも後悔が広がる。
「そうね。頭では分かってる。けど、必要な犠牲が私の主人である必要もまたなかったはずと思っちゃうの。そもそも、本当に必要な犠牲だったのかということすら、今でも分からない。無事に帰ってきたよその旦那さんを見るたびに、『何でトシオさんじゃないのよ』って思ってしまった。ふふ、勝手でしょう?」
「姉ちゃんは勝手じゃない。誰だって同じだよ。あたしだって同じさ」
クソババア、いやグランマが神妙な面持ちで口を挟んだ。
「あら、キミちゃんも?」
「あたしは女学校の友達だけどね。一緒に年重ねて、旦那の愚痴言ったり、子供連れて遊園地行ったり、旅行行ったりしたかったって今でも思うよ。時が経てば経つだけ、ありもしない今を想像してしまうね。意味なんてないって分かりながら」
二人はそれから、湿っぽい話をしたのが嘘のように、世間話やら儀式の話やら、娘時代に帰ったかのように和気藹々と続けたが、俺はグランマの隣で一言も発せずにいた。
抹茶プリンは残さず頂いたのに、どんな味だったのか、全く覚えていなかった。