第1話 死ぬかと思った

文字数 1,521文字

 世界が暗転し、目を開けるとそこは異世界。

 緑の草原に横たわる俺をティンカーベルみたいなあられもない服装の金髪巨乳エルフが心配そうに見下ろしていて、「マスター、目を開けてくだしゃい。うーん、起きない。かくなる上はキスを」と桜貝みたいな唇をそっと俺の唇に重ね……

 なんてことはない。

 あるわけねーだろ、ラノベじゃねーんだよ。

 そんなうまいことトラックにはねられてたまるか。

 危うく豚尽くしで人生終わるところだったけれど、運転手さんの決死のハンドル捌きのおかげで、俺はちゃっかり生き残っていた。

 あと1秒遅かったら死んでただろうけど。

 もちろんトラックも豚さんたちも無事だった。
 今頃、着実にドナドナへの道を走っているだろう。合掌。
 物損事故すらこれまたギリギリで回避できたのも幸運だった。
 勤務外に自署管内で交通事故に遭うとか洒落にならない。

 びっくりしたし、死ぬかと思ったし、ショックだったけど、まあ死ななくて良かったよ、マジで。

 確かに俺の毎日はパッとしない。

 基本、おじさんだらけの職場でおじさんにまみれながら自分も少しずつ、だが確実におじさんになっていく生活だ。
 きつくて汚くて危険な仕事の割に給料は微妙だし、彼女いないし、最近変態絡みの事件の捜査応援で定時退庁できないし、足臭いし、彼女いないし、上司の口臭いし、不満だらけだけど。

 でも、一回死んで生まれ変わりたい程ではない。

 小学校の教室にかかっていた黄ばんだカーテンみたいな汚れた世界だけど、妹とかアニメとか好きなものもあるし、全部リセットされたら、それはそれで俺は神様に対して怒るだろう。

 街灯の少ない畦道をとぼとぼ歩きながら、俺は満天の星空を見上げた。
 一人暮らしをしているアパートまでもう少しだ。

 今の生活全部捨てるのは嫌だけど、エッチで頭の弱いエルフは惜しいよな。そうだ、空から女の子降ってこないかな、なんて馬鹿なことを考える。

 チョロチョロとケチくさい水量の小川を渡れば、住み慣れた我が家、というところで、俺は嫌な物を発見し、足を止めた。

 橋のたもとに真っ黒な粗大ゴミが放置されていた。
 どこからどう見ても不法投棄だ。
 廃棄物処理法違反はっけーん。本職認知しちゃったよ。

 でも、もう夜中だし、本職勤務時間外だし、既に被疑者らしき気配もないし、明日でいいよね。

 どう頑張っても視界に入ってくる粗大ゴミを見て見ぬふりをし、小走りで橋を渡り切ろうとした時だった。

 突如、ゴミが動いた。

 それはもぞもぞとうごめき、野生の狼みたいな(って、日本狼は大昔に絶滅してた。例えだよ、例え)唸り声を上げた。
 濡れているのか、身動ぎをする度にびちゃびちゃと湿った音がした。

 びっくりした。浮浪者か? 駅前の繁華街はともかく、この辺りでは珍しい。

 放っておけばいいのに、ついつい職業病で俺は黒尽くめの浮浪者に声をかけてしまった。

「こんばんは。大丈夫ですか?」

 女でもそうそういないくらい長い髪を振り乱し、盛大にしぶきを飛ばして、浮浪者もどきは俺を見上げた。

 瞬間、雲が晴れて月明かりがスポットライトみたく、俺たち2人を照らした。

 べっとりと泥に塗れた黒髪が張り付き、獣のように目を爛々とさせた野生的な面に、黒縁眼鏡をかけた陰気臭い死んだ魚のような目のマヌケ面に、俺たちはほぼ同時に息をのみ、硬直した。

 浮浪者もどきの顔は一卵性双生児のように俺そっくりだった。
 髪型とか表情とか色々違うところはあるけれど、土台が全く同じだった。

 今度こそ驚きすぎて死ぬかと思った。
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