第7話 最後の晩餐

文字数 1,722文字

 王宮の奥、国一番の庭師に整えさせている庭園を見下ろす私室のバルコニーに、ボニー様は佇んでいらした。

 正絹製のドレープがふんだんに施された部屋着用のドレスや豊かな金髪に月光が降り注ぎ、ダイヤモンドを散らしているように輝いていた。

「久しぶりね、元気そうで良かった」

 お優しい響きの声が懐かしくて、涙が落ちそうなのをこらえ、小さく白い手の甲に跪いて口づけた。

「異世界にいたと聞いたわ。どんなところだったか知りたい。中でたっぷりお話を聞かせてくれないかしら。夕食を持って来させるから」

「もちろんです。しかし、ご期待に添えるかはわかりません。なんせ、パッとしない田舎町に留まっておりましたので」

「でも、異世界のあなたと一緒にいたのでしょう? 今近衛師団の本部にいるという。どんな人か知りたいわ」

「下品で気持ちの悪い男ですので、お話しするまでもありません」

「あら、あなたそっくりなのに下品で気持ち悪い男なんて、逆に興味がわくわ」

「ご冗談を」

 手を引かれ、室内に戻ると、見慣れない美青年の執事がテーブルに夕食を運び、退室するところだった。
 ウェーブがかかった茶色の髪に、丸く大きな瞳がやんちゃな子犬を連想させられる。

「新しい執事ですか?」

「ええ。あなたがいない間に雇ったの。前の人はいなくなったから」

 先代の執事は銀髪のビスクドールのように整った顔の男だった。
 だが、美形の割に存在感が希薄で、はっきりと顔が思い出せない。
 いつもそつなく振る舞い、感情の起伏が少ない男だったので印象に残らなかったのだろう。

 あの男は何でいなくなったのだろう。俺が消した記憶はないのだが。
 家事都合で辞めたとかか。
 ボニー様の執事で円満に退職する者は少ないが、美形でありながら影のように存在感のないあの男なら、淡々と辞職の申し出をして、いつの間にかいなくなっていることもさもありなんだった。

「サツマ、乾杯をしましょう?」

 ボニー様がぶどう酒の注がれた銀杯を片手に小首を傾げた。
 愛しさに俺の心は炎上する。

「長い間、留守にしてしまい申し訳ありませんでした」

「無事でなによりよ。乾杯」

 暗い赤紫色のぶどう酒は喉を滑らかに通り、五臓六腑に染み渡った。
 美味い。川岸町で飲んだ安物の赤ワインとは段違いだ。
 芳醇で香り高く、それでいて野性味がある。

「うふふ、サツマの髪、相変わらず綺麗。後で触らせてもらって良い?」

「お気に召すままに」

 眼鏡達には散々、ニート臭いとか鬱陶しいと詰られ、就職の妨げにもなったが、断固として維持して本当に良かった。
 幸福のあまりとろけそうな意識の中、小羊のローストに手をつける。

「ねえ、異世界に行ってしまった夜のこと、本当に何も覚えていないの?」

「ボニー様をお守りする任務についていたことは覚えています。人喰い川を渡った先にある山小屋で逢引をする予定だったのですよね」

「ええ。体だけの関係の殿方でしたが、よい暇つぶし相手でした」

 ボニー様は特定の恋人もなく、独り身でいらっしゃるが、火照る女盛りの身を鎮めるため、時折お忍びで高級男娼と逢引をされていた。
 公になったら王家の醜聞になりかねないため、護衛は側近中の側近かつ王国最強の騎士(ナイト)である俺がつくことが慣例だった。
 ボニー様がお楽しみの間、俺は山小屋の外で馬車と一緒に待機だ。

「山小屋に向かうために出発した次の記憶は、お恥ずかしいことに、もう人喰い川に落ちて苦しかったというものなのですよね」

「かわいそうに。嫌な記憶は早く忘れてしまった方が良いわ」

「お気遣いありがとうございます」

 国一番のシェフの料理に舌鼓を打ち、ボニー様と取り止めのない会話を交わしている今は、一瞬一瞬がかけがいもなく、ずっとこのまま時が止まれば良いと願った。

 が、この細やかな幸福をぶち壊す無粋者が乱入してきた。

 そいつは下品でデリカシーがなく、王宮にはそぐわぬ騒々しい変態眼鏡だった。
 眼鏡はノックもなく王女私室のドアを乱暴に蹴破り、怒鳴った。

「ちょっと待ったぁ!」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み