第1話 窓際刑事

文字数 1,136文字

 恥の多い生涯を送ってきました。

 己に向かって真っすぐに迫ってくるヘッドライトを見つめながら、中学の時にはまった某作家の某作品の名文が頭を過った。

 街灯も人家も人影もない深夜零時の国道。
 俺、白波(しらなみ)薩摩(さつま)は荷台部分に数十頭もの豚を乗せた大型トラックにはねられ31年の人生を終えようとしていた。

 漫画家になりたくて、安定した収入とアフターファイブの確保すべく、公務員試験を受けまくった大学時代。
 県庁も裁判所事務官も国家公務員II種も合格圏内だったのに、当時大流行した麻疹に感染し、さらにストレス性腸炎を発症させ、何とか引っかかったのが、試験期間が遅めだった県警だけだった。

 どうして、同じく試験時期の遅い市役所に出願しなかったのか、この10年ずっと悔やんできた。

 大義もやる気もなかったけれど、文武両道の天才タイプ故に、超絶体育会系ブラック役所にも関わらず惰性で生き残ってしまった。

 組織風土に一切馴染めず、管理職なんて忙しそうだしなりたくないので昇任試験も放棄し、でも転職活動するのも面倒で、中村主水並みの昼行灯としてやり過ごしていた。

 けれど、今日でその悪運も尽きるようだ。

 時間の流れが急に遅くなり、1秒が1分の体感になっているのに、俺の両足は靴底に根が生えたみたいに薄汚れた横断歩道から一歩も動こうとしない。
 決して死にたい訳ではないのに、人生最大の死の危険に瀕しているのに体が動かない。
 警察官という職業柄、非常事態への対処能力は高いと自負していたけれど、存外一般人と変わらないようだ。
 いや、単に俺がこの若さで窓際、この若さで給料泥棒のダメ刑事だからか。

 急ブレーキと荷台の豚たちのいななきが田舎道の静寂を切り裂く。

 人生最後に話したのは生安の飛行艇に乗る豚似のおっさん刑事で、人生最後に食べたのは冷めた出前の豚丼。
 そして人生最後の聴覚記憶はこれから幸せな食卓に出荷される豚たちの悲鳴。

 何この豚尽くし。

 ま、いいか。パッとしない恥だらけの拗らせ人生にしてはむしろ笑える最期じゃないか。

 万が一、ラノベみたいに異世界転生できたら、あっちの世界ではもうちょっとマシな生き方できるかもしれない。
 一応腐っても警察官だし、あっちの世界でチートできるかもしれない。
 あ、でもどっかで読んだ作品みたいに豚に転生するのは嫌だな。
 あっちの世界って何だよ、ってのはともかく。

 引きつった顔でハンドルを目一杯右転把しているトラック運転手と目が合った。
 豚みたいに太った中年だった。

 また豚……。

 グッドバイ。黄ばんだ生温い世界。
 口の中でつぶやくと、俺はそっと瞑目した。
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