第1話 労働の対価
文字数 1,512文字
ある日の昼下がりのことだった。
近所のスーパーへ買い出しに行った帰り、俺は散歩がてらに川沿いの遊歩道を歩いていた。
最近めっきり春めいてきて、頬にさしこむ陽射しは優しく暖かだ。
柔らかな風に自慢の黒髪を遊ばせるのも心地が良い。眼鏡の家の風呂場には、最初は安いリンスインシャンプーしかなかったので、小遣いで俺専用にしかるべき値段のシャンプーとコンディショナーを買い足した。
おかげで、俺のカラスの濡れ羽色のサラツヤロングはますます艶めきを増している。
奮発して良かった。
ほんのりと鼻腔をくすぐる芳香に、辺りを見回すと、遊歩道沿いの民家の庭では梅の花が満開だった。
品の良い芳しい香りはボニー様のように可憐だ。
ボニー様の麗しいお姿や鈴を転がすようなお声を思い出し、幸福な気持ちになる。
遊歩道の終わりが近づいたので、土手を下り、道路に戻ったところで、俺は一気にうららかで平和で美しい世界をぶち壊された。
土手とは道路を挟んで反対側に位置する側溝の蓋を開け、中に溜まった泥やゴミを漁っている男二人を見つけた。
二人とも作業着に長靴、マスク、軍手の気合の入った扮装で、竿のような棒を手にして懸命に泥をかき混ぜている。
片方は熊みたいな体格の中年男性、もう片方は見覚えのありすぎるクソ眼鏡だった。
今日は仕事に行ったはずなのに、こんなところでゴミ漁りとは。
多分、仕事をサボって、側溝に落ちている小銭でも探しているのだろう。
何と浅ましい。
眼鏡には最初から期待なんてしていないけれど、幻滅した。
関わり合いになりたくないので、道を変えようと思ったが、その直前に熊と目が合ってしまった。
熊は目を細め、こちらに向かって大きく手を振った。知り合いでいたっけ?
「さっちゃん! お買い物かい?」
俯いて作業に没頭していた眼鏡も顔を上げ、こちらを一瞥した。
俺は仕方なく二人に近づき、熊の方に挨拶をした。
「はじめまして。白波君の上司かつ白波君のお父上の元部下の御手洗です。はは、二人から話は聞いているよ。本当に若い頃の白波部長そっくりだなあ」
「はあ。あの、お二人は何を探しているのですか? 小銭ですか? エロ本ですか?」
ちげーよ! と眼鏡が口を挟んだ。
「何か勘違いしてるみたいだけど、別に俺ら好きでこんな汚ねえとこ漁ってるんじゃねーからな。詳しくは言えないけど、これも犯罪捜査の一環だから」
「犯罪捜査?」
落ちている小銭を拾って懐に入れるつもりじゃないのか?
「そんなとこだね。結構大変なんだよ、この仕事」
ヘドロ状態の異臭を放つ泥をかき混ぜながら、御手洗さんは苦笑した。
これが犯罪捜査? 仕事? 何て地味できつく汚い仕事なんだ。
警察って大変なんだ。
「そうなんですね。頑張ってください」
仕事なら邪魔をしてはならない。
挨拶もおざなりに俺はその場を離れた。
さっきまで浮かれていた自分が恥ずかしかった。
いい年の健康な青年のくせに、真っ昼間から散歩なんかして、春の訪れを満喫しているなんて。
異世界人だなんて、もう働かない言い訳にはならない。
俺が遊んでいる間に、眼鏡はあんな汚い側溝をほじくって働いているのだ。
ゴミ漁りをしている不審者に間違えられる屈辱を味わいながらも懸命に働いているのだ。
そして、養う義理はないのに、労働の対価として得た金から、遊んでいる俺に小遣いをくれる。
自分が情けなくて、同時に眼鏡に申し訳なくなった。
俺も働きたい。
仕事を探そう。
そう強く決心した。
近所のスーパーへ買い出しに行った帰り、俺は散歩がてらに川沿いの遊歩道を歩いていた。
最近めっきり春めいてきて、頬にさしこむ陽射しは優しく暖かだ。
柔らかな風に自慢の黒髪を遊ばせるのも心地が良い。眼鏡の家の風呂場には、最初は安いリンスインシャンプーしかなかったので、小遣いで俺専用にしかるべき値段のシャンプーとコンディショナーを買い足した。
おかげで、俺のカラスの濡れ羽色のサラツヤロングはますます艶めきを増している。
奮発して良かった。
ほんのりと鼻腔をくすぐる芳香に、辺りを見回すと、遊歩道沿いの民家の庭では梅の花が満開だった。
品の良い芳しい香りはボニー様のように可憐だ。
ボニー様の麗しいお姿や鈴を転がすようなお声を思い出し、幸福な気持ちになる。
遊歩道の終わりが近づいたので、土手を下り、道路に戻ったところで、俺は一気にうららかで平和で美しい世界をぶち壊された。
土手とは道路を挟んで反対側に位置する側溝の蓋を開け、中に溜まった泥やゴミを漁っている男二人を見つけた。
二人とも作業着に長靴、マスク、軍手の気合の入った扮装で、竿のような棒を手にして懸命に泥をかき混ぜている。
片方は熊みたいな体格の中年男性、もう片方は見覚えのありすぎるクソ眼鏡だった。
今日は仕事に行ったはずなのに、こんなところでゴミ漁りとは。
多分、仕事をサボって、側溝に落ちている小銭でも探しているのだろう。
何と浅ましい。
眼鏡には最初から期待なんてしていないけれど、幻滅した。
関わり合いになりたくないので、道を変えようと思ったが、その直前に熊と目が合ってしまった。
熊は目を細め、こちらに向かって大きく手を振った。知り合いでいたっけ?
「さっちゃん! お買い物かい?」
俯いて作業に没頭していた眼鏡も顔を上げ、こちらを一瞥した。
俺は仕方なく二人に近づき、熊の方に挨拶をした。
「はじめまして。白波君の上司かつ白波君のお父上の元部下の御手洗です。はは、二人から話は聞いているよ。本当に若い頃の白波部長そっくりだなあ」
「はあ。あの、お二人は何を探しているのですか? 小銭ですか? エロ本ですか?」
ちげーよ! と眼鏡が口を挟んだ。
「何か勘違いしてるみたいだけど、別に俺ら好きでこんな汚ねえとこ漁ってるんじゃねーからな。詳しくは言えないけど、これも犯罪捜査の一環だから」
「犯罪捜査?」
落ちている小銭を拾って懐に入れるつもりじゃないのか?
「そんなとこだね。結構大変なんだよ、この仕事」
ヘドロ状態の異臭を放つ泥をかき混ぜながら、御手洗さんは苦笑した。
これが犯罪捜査? 仕事? 何て地味できつく汚い仕事なんだ。
警察って大変なんだ。
「そうなんですね。頑張ってください」
仕事なら邪魔をしてはならない。
挨拶もおざなりに俺はその場を離れた。
さっきまで浮かれていた自分が恥ずかしかった。
いい年の健康な青年のくせに、真っ昼間から散歩なんかして、春の訪れを満喫しているなんて。
異世界人だなんて、もう働かない言い訳にはならない。
俺が遊んでいる間に、眼鏡はあんな汚い側溝をほじくって働いているのだ。
ゴミ漁りをしている不審者に間違えられる屈辱を味わいながらも懸命に働いているのだ。
そして、養う義理はないのに、労働の対価として得た金から、遊んでいる俺に小遣いをくれる。
自分が情けなくて、同時に眼鏡に申し訳なくなった。
俺も働きたい。
仕事を探そう。
そう強く決心した。