第3話 川岸うさぎ園
文字数 1,907文字
『川岸うさぎ園まで直進あと1キロ!』
と表記された看板に描かれたデフォルメされた白ウサギのイラストは満面の笑顔で目から鮮血の涙を流していた。
ホラーだ。
「あの看板ね、昔はかわいい白うさちゃんだったんだけど、古くなって目のペンキが溶けて怖い感じになっちゃったんだ。大丈夫。うさぎ園はかわいいままだから。30年前と変わらず市内一の癒しスポットだよ」
運転しながら、眼鏡父は血の涙を流すうさぎについて解説してくれた。
「これから行くのか?」
「うん! さっちゃんはうさぎさん好き?」
「好きだ。狩りたてをローストにすると美味い」
ボニー様の前で、憲兵団長や陸軍将校達とうさぎ狩り合戦を披露した時は楽しかった。
勝利の後の宴も美味かったし。
しかし、眼鏡父はとんでもない、と憤慨した。
「食べちゃダメ! 物騒だな。うさぎ園は世界の色んなうさぎさん達を抱っこしたり、野菜をあげたりして、子供に命を大事にする優しい心を育てる健全な施設だから」
命を大事にする優しい心。
失って久しい。
うさぎを愛でることで、うさぎの命を尊く思えるようになったからと言って、人の命を何とも思わないままというのも、随分とブラックジョークが効いている。
「まあ深いことは考えずに、うさぎさんを存分に愛でると良いさ」
俺の内心を見透かしたように、眼鏡父は呟いた。
川岸うさぎ園はテレビで見た千葉の大型遊園地の100分の1クラスにショボかった。
園へのゲートすら、国道沿いにあった看板と似たり寄ったりの薄汚れたベニアでできている。
チケット売り場もうさぎグッズやうさぎに与える餌を売っている売店小屋も、係員はみな眼鏡父より年上に見える半分寝ているような爺さんか、無愛想なおばさんしかいなかった。
日曜の昼過ぎだというのに、園内は閑散としていて、客は俺たち二人しかいない。
ほんのり獣の臭いと餌の臭いが混ざった独特な臭いがして臭かった。
毛玉のついたセーターを着たおばさんから餌を購入した眼鏡父は迷いのない足取りで売店小屋から外に出た。
ついていくと、すぐに年代物の木柵の中でうさぎが十数話放牧されていた。
水飲み場やワラでできたベッドの置かれた屋根のあるスペースを含むと、眼鏡の家より広い。
かつてこの国の住宅事情は諸外国から『うさぎ小屋みたいな狭さ』と揶揄されたらしいが、俺と眼鏡はうさぎ小屋以下の狭い家にひしめき合って住んでいるのかと思うと少し虚しくなった。
「さっちゃぁん! うさぎさんだよお!」
はしゃいで木柵の中を走る眼鏡父。蜘蛛の子を散らすように逃げ惑ううさぎ達。
何だこれ?
「ほうら。うさぎさん捕まえた。抱っこしてみ」
眼鏡父は太り過ぎで動きの鈍いうさぎを一羽捕獲し、重そうに抱えて近づいてきた。
捕まえられたうさぎは丸々と肥えており、大きめの猫くらいのサイズだ。
灰色の斑模様はなんとなく汚らしく、実際所々毛が束になって固まっていて薄汚れていた。
顔の作りも憮然とした中年男性を彷彿させられる。太っているが美味そうでもない。
「俺はいい……」
「ほらほら、せっかく来たんだから。入園料1人2千円もしたんだし、抱いてけって」
地味に高いな、入園料。
「な、な。先っぽだけ」
先っぽ?
後退りで逃げたのだが、木柵の際まで追い詰められ、無理矢理うさぎを渡された。
柔らかく温かい手触りと確かな重量を感じ、命を預かっている実感がわく。
毛だらけの顔を見下ろすと、しきりに鼻腔を膨らませている。
鼻炎のおっさんみたいだ。
俺はしっかりとうさぎを抱き直した。
「どうだ?」
満足気な表情の眼鏡父が尋ねてきた。
「……別に」
とても残念そうにため息をつかれた。期待した反応をしなければならないとか窮屈だ。
「来週はドッグカフェ行こうか。色んなワンちゃんいるよ」
「いや、別に俺は動物好きではないので」
「じゃあ何が好きなのさ」
何が好きって、ルサンチマン王国の皇族の皆様に決まっているであろう。好きという表現は些か恐れ多いが。
あの方々にお仕えするのが俺の生きる意味そのものだった。
今だって、再びお仕えできる日がくるという希望は失っていない。
愛刀を失い、誇り高き近衛師団の軍服をだめにされ、眼鏡の着古したジャージを着せられ、世間知らずの無職の烙印を押されても耐えられるのだ。
俺の話を眼鏡父はうんうんと相槌を打ちながら聞いていたが、眼鏡の奥の俺とよく似た一重まなこは何故だか寂しげだった。
と表記された看板に描かれたデフォルメされた白ウサギのイラストは満面の笑顔で目から鮮血の涙を流していた。
ホラーだ。
「あの看板ね、昔はかわいい白うさちゃんだったんだけど、古くなって目のペンキが溶けて怖い感じになっちゃったんだ。大丈夫。うさぎ園はかわいいままだから。30年前と変わらず市内一の癒しスポットだよ」
運転しながら、眼鏡父は血の涙を流すうさぎについて解説してくれた。
「これから行くのか?」
「うん! さっちゃんはうさぎさん好き?」
「好きだ。狩りたてをローストにすると美味い」
ボニー様の前で、憲兵団長や陸軍将校達とうさぎ狩り合戦を披露した時は楽しかった。
勝利の後の宴も美味かったし。
しかし、眼鏡父はとんでもない、と憤慨した。
「食べちゃダメ! 物騒だな。うさぎ園は世界の色んなうさぎさん達を抱っこしたり、野菜をあげたりして、子供に命を大事にする優しい心を育てる健全な施設だから」
命を大事にする優しい心。
失って久しい。
うさぎを愛でることで、うさぎの命を尊く思えるようになったからと言って、人の命を何とも思わないままというのも、随分とブラックジョークが効いている。
「まあ深いことは考えずに、うさぎさんを存分に愛でると良いさ」
俺の内心を見透かしたように、眼鏡父は呟いた。
川岸うさぎ園はテレビで見た千葉の大型遊園地の100分の1クラスにショボかった。
園へのゲートすら、国道沿いにあった看板と似たり寄ったりの薄汚れたベニアでできている。
チケット売り場もうさぎグッズやうさぎに与える餌を売っている売店小屋も、係員はみな眼鏡父より年上に見える半分寝ているような爺さんか、無愛想なおばさんしかいなかった。
日曜の昼過ぎだというのに、園内は閑散としていて、客は俺たち二人しかいない。
ほんのり獣の臭いと餌の臭いが混ざった独特な臭いがして臭かった。
毛玉のついたセーターを着たおばさんから餌を購入した眼鏡父は迷いのない足取りで売店小屋から外に出た。
ついていくと、すぐに年代物の木柵の中でうさぎが十数話放牧されていた。
水飲み場やワラでできたベッドの置かれた屋根のあるスペースを含むと、眼鏡の家より広い。
かつてこの国の住宅事情は諸外国から『うさぎ小屋みたいな狭さ』と揶揄されたらしいが、俺と眼鏡はうさぎ小屋以下の狭い家にひしめき合って住んでいるのかと思うと少し虚しくなった。
「さっちゃぁん! うさぎさんだよお!」
はしゃいで木柵の中を走る眼鏡父。蜘蛛の子を散らすように逃げ惑ううさぎ達。
何だこれ?
「ほうら。うさぎさん捕まえた。抱っこしてみ」
眼鏡父は太り過ぎで動きの鈍いうさぎを一羽捕獲し、重そうに抱えて近づいてきた。
捕まえられたうさぎは丸々と肥えており、大きめの猫くらいのサイズだ。
灰色の斑模様はなんとなく汚らしく、実際所々毛が束になって固まっていて薄汚れていた。
顔の作りも憮然とした中年男性を彷彿させられる。太っているが美味そうでもない。
「俺はいい……」
「ほらほら、せっかく来たんだから。入園料1人2千円もしたんだし、抱いてけって」
地味に高いな、入園料。
「な、な。先っぽだけ」
先っぽ?
後退りで逃げたのだが、木柵の際まで追い詰められ、無理矢理うさぎを渡された。
柔らかく温かい手触りと確かな重量を感じ、命を預かっている実感がわく。
毛だらけの顔を見下ろすと、しきりに鼻腔を膨らませている。
鼻炎のおっさんみたいだ。
俺はしっかりとうさぎを抱き直した。
「どうだ?」
満足気な表情の眼鏡父が尋ねてきた。
「……別に」
とても残念そうにため息をつかれた。期待した反応をしなければならないとか窮屈だ。
「来週はドッグカフェ行こうか。色んなワンちゃんいるよ」
「いや、別に俺は動物好きではないので」
「じゃあ何が好きなのさ」
何が好きって、ルサンチマン王国の皇族の皆様に決まっているであろう。好きという表現は些か恐れ多いが。
あの方々にお仕えするのが俺の生きる意味そのものだった。
今だって、再びお仕えできる日がくるという希望は失っていない。
愛刀を失い、誇り高き近衛師団の軍服をだめにされ、眼鏡の着古したジャージを着せられ、世間知らずの無職の烙印を押されても耐えられるのだ。
俺の話を眼鏡父はうんうんと相槌を打ちながら聞いていたが、眼鏡の奥の俺とよく似た一重まなこは何故だか寂しげだった。