第1話 パピィ降臨
文字数 1,651文字
ある日曜日の昼下がりだった。
眼鏡は休日出勤だったので、一人でテレビを見ながら、インスタントラーメンを食べているとチャイムが鳴った。
眼鏡が頼んだAmazonかセールスかと思って、ドアスコープを覗いて絶句した。
ドアの向こう側には、15年前に絶縁した父が立っていた。
15年前に比べて白髪が増えて、老化しているが間違いなく父だ。こちらの世界風の服装をしているが、分厚い眼鏡の奥の鋭い眼光に衰えは一切ない。
「おーい。さつまぁ。パピィだよーん。早く開けてくりー。パピィ寒くて死んじゃう」
寒すぎてこちらが凍死しそうな軽口に俺は混乱した。
うちの父は白波一族の家長にふさわしい貫禄のある、厳格で生真面目な男だった。
父が冗談を言っているところを俺は15年一緒に暮して一度も見たことがなかった。
ということは、この父は俺の父ではなく、眼鏡の父の方……。
俺と眼鏡同様そっくりの容姿をしているくせに、性格が全く違う。
記憶の中の父とドアの向こうにいる安っぽいおっさんの落差に慄いた。
俺の存在について、眼鏡が実家の家族に相談している様子はない。
となると、今俺がドアを開ければ、あの安いおっさんは多胎児だったはずのない息子にそっくりの男に遭い見えてしまう。
初老に足を踏み入れたおっさんには危険すぎる衝撃だ。
ここは居留守を使ってやり過ごすしかない。
幸いまだ返事はしていないしな。
気配を消して、諦めて帰ってくれるのを待とう。
眼鏡父は数回チャイムを鳴らしたが、反応がないと分かると、残念そうに嘆息した。
「あれえ? いないのかな? あ、もしかして今日仕事だった? 何だよぉ、パピィせっかく薩摩君の好きな三万石饅頭持って来たのに」
少し気の毒な気がしたが、致し方ない。
とぼとぼと廊下を歩き去っていく足音が叙々に遠くなっていくのを確認し、俺は胸を撫で下ろし、テーブルに戻った。
やや伸びてしまったラーメンを口に運びかけた時だった。
いきなり背後からガチャリという金属音の後、勢いよく開いた玄関ドアが壁に激突する轟音が聞こえた。
「なーんちゃって! 合鍵持ってるもんねー! 薩摩ぁおめえは相変わらずあめえんだよ! パピィを謀るなんて100年早いわクソガキが。ヒャーヒャヒャヒャヒャ」
振り返ると、玄関で眼鏡父が雑魚キャラみたいな高笑いをしていた。
が、固まっている俺と目が合うと、眼鏡父も硬直して口をつぐんだ。
「こ、こんにちは」
何とかしなければと思ったが、どうして良いか分からず、とりあえず挨拶をしてみた。
ルサンチマン王国でもこの世界でも、挨拶は全ての基本だ。
すると眼鏡父もぎこちなく片手を上げて、返してくれた。
「チャ、チャオ……」
もしかして、眼鏡と間違えてくれたか、と淡い期待を描いたが、生みの親はそう簡単に騙されてくれるはずもなかった。
眼鏡父の顔から笑顔が消え、テンションの低い時の眼鏡そっくりの冷めた表情になった。
「君誰? おじさんの息子の薩摩じゃないよね。似てるけどさ。薩摩の部屋で何してんの?」
冷徹な口ぶりに背筋に冷たいものが走る。
初めて会った時の眼鏡同様の妙に玄人っぽい殺気が眼鏡父からゆらりと立ち上っていた。
危険を察知した瞬間、俺は箸を投げ出し、ベランダに向かって走っていた。
ベランダの鍵にあと数センチで指先が届く。
そう認識した直後、俺の視界は反転し、続くのは床に背中を叩きつけられた衝撃と体の前面にのしかかる眼鏡父の体重、そして加齢臭。
せっかく片付けた部屋の中が、今の投げ技で再び散らかってしまった。
逃れたいのに関節を押さえられていて身動きが取れない。
「逃げることないじゃん。おじさんとゆっくりお話ししようよ。おじさんの息子どこにやった?」
また威圧感しかない『お話ししよう』だ。
どこからどう説明すれば良いのか、途方に暮れた。
眼鏡は休日出勤だったので、一人でテレビを見ながら、インスタントラーメンを食べているとチャイムが鳴った。
眼鏡が頼んだAmazonかセールスかと思って、ドアスコープを覗いて絶句した。
ドアの向こう側には、15年前に絶縁した父が立っていた。
15年前に比べて白髪が増えて、老化しているが間違いなく父だ。こちらの世界風の服装をしているが、分厚い眼鏡の奥の鋭い眼光に衰えは一切ない。
「おーい。さつまぁ。パピィだよーん。早く開けてくりー。パピィ寒くて死んじゃう」
寒すぎてこちらが凍死しそうな軽口に俺は混乱した。
うちの父は白波一族の家長にふさわしい貫禄のある、厳格で生真面目な男だった。
父が冗談を言っているところを俺は15年一緒に暮して一度も見たことがなかった。
ということは、この父は俺の父ではなく、眼鏡の父の方……。
俺と眼鏡同様そっくりの容姿をしているくせに、性格が全く違う。
記憶の中の父とドアの向こうにいる安っぽいおっさんの落差に慄いた。
俺の存在について、眼鏡が実家の家族に相談している様子はない。
となると、今俺がドアを開ければ、あの安いおっさんは多胎児だったはずのない息子にそっくりの男に遭い見えてしまう。
初老に足を踏み入れたおっさんには危険すぎる衝撃だ。
ここは居留守を使ってやり過ごすしかない。
幸いまだ返事はしていないしな。
気配を消して、諦めて帰ってくれるのを待とう。
眼鏡父は数回チャイムを鳴らしたが、反応がないと分かると、残念そうに嘆息した。
「あれえ? いないのかな? あ、もしかして今日仕事だった? 何だよぉ、パピィせっかく薩摩君の好きな三万石饅頭持って来たのに」
少し気の毒な気がしたが、致し方ない。
とぼとぼと廊下を歩き去っていく足音が叙々に遠くなっていくのを確認し、俺は胸を撫で下ろし、テーブルに戻った。
やや伸びてしまったラーメンを口に運びかけた時だった。
いきなり背後からガチャリという金属音の後、勢いよく開いた玄関ドアが壁に激突する轟音が聞こえた。
「なーんちゃって! 合鍵持ってるもんねー! 薩摩ぁおめえは相変わらずあめえんだよ! パピィを謀るなんて100年早いわクソガキが。ヒャーヒャヒャヒャヒャ」
振り返ると、玄関で眼鏡父が雑魚キャラみたいな高笑いをしていた。
が、固まっている俺と目が合うと、眼鏡父も硬直して口をつぐんだ。
「こ、こんにちは」
何とかしなければと思ったが、どうして良いか分からず、とりあえず挨拶をしてみた。
ルサンチマン王国でもこの世界でも、挨拶は全ての基本だ。
すると眼鏡父もぎこちなく片手を上げて、返してくれた。
「チャ、チャオ……」
もしかして、眼鏡と間違えてくれたか、と淡い期待を描いたが、生みの親はそう簡単に騙されてくれるはずもなかった。
眼鏡父の顔から笑顔が消え、テンションの低い時の眼鏡そっくりの冷めた表情になった。
「君誰? おじさんの息子の薩摩じゃないよね。似てるけどさ。薩摩の部屋で何してんの?」
冷徹な口ぶりに背筋に冷たいものが走る。
初めて会った時の眼鏡同様の妙に玄人っぽい殺気が眼鏡父からゆらりと立ち上っていた。
危険を察知した瞬間、俺は箸を投げ出し、ベランダに向かって走っていた。
ベランダの鍵にあと数センチで指先が届く。
そう認識した直後、俺の視界は反転し、続くのは床に背中を叩きつけられた衝撃と体の前面にのしかかる眼鏡父の体重、そして加齢臭。
せっかく片付けた部屋の中が、今の投げ技で再び散らかってしまった。
逃れたいのに関節を押さえられていて身動きが取れない。
「逃げることないじゃん。おじさんとゆっくりお話ししようよ。おじさんの息子どこにやった?」
また威圧感しかない『お話ししよう』だ。
どこからどう説明すれば良いのか、途方に暮れた。