第5話 執念

文字数 1,802文字

 それはさっちゃんが良くなかったねえ。

 俺の話を聞いたパピィは開口一番にそうこぼした。
 どうやら俺はまたやらかしたようなのだが、何がいけなかったのか分からない。

 とっくにドライヤーは終えたのに、パピィは俺の髪をいじりながら続けた。

「お婆ちゃんはね、苦労知らずのわがままババアどころか苦労人だよ。元はお嬢様だったけど、戦争のせいで生きるか死ぬかの瀬戸際立たされて、大切な物も人も目の前でたくさん失ったんだ」

「戦争? この国が?」

「70年ちょい前まではしてたよ。バリバリ。最初は調子良かったから、外国まで領土広げて良い感じだったけど、結局めっちゃ負けて、国中焼け野原だったし、人もいっぱい亡くなったのさ。ま、パピィも戦後生まれだからお婆ちゃんたちから聞いた話と歴史のお勉強でしか知らないけどね」

 にわかに信じがたい。こんな平和で、悪くいえば民の団結力に欠ける国が戦争をしていたなんて。

「信じらんないだろ? 俺だって信じらんないよ。生まれた時には今よりは国は貧乏だったかもしれないけど、基本今と同じ感じのゆるい空気だったし、焼け野原なんてとっくになくなってたし。でも、お婆ちゃんが若い頃は違ったんだ。まあさっちゃん異世界人だし、こっちで普通に暮らしてるだけだと知りようがないからしょうがないよ。明日一言謝っとけばお婆ちゃんも分かってくれるって」

「サキ姉ちゃんがどうこうとか、力がどうこうというのも関係あるのですか?」

 老人会で四角い顔の老人ともめた時、当人たちはもちろん、他の老人たちも少し様子がおかしかったのを思い出した。

 あーっとため息をついてから、パピィは噛み砕くようにして説明してくれる。

「サキさんはお婆ちゃんが子供の頃から遊んでくれた幼なじみのお姉さん的な人さ。お婆ちゃんより5歳くらい年上だったから、戦争中に結婚したんだけど、旦那さんが結婚してすぐ兵隊に取られて亡くなっちゃったんだ。結局再婚もしないで、2丁目の一軒家で一人暮らしを続けてるんだ。お婆ちゃんの実家は今はないけど、代々祈祷師の家系だったとかで、死んだ人の霊を呼び寄せて、生きてる人とお話しさせてあげられる力があるなんて言われてたらしいんだ。だから、お婆ちゃんはその力を使って、サキさんと亡くなった旦那さんを会わせてあげようとずっと頑張ってるんだよ」

「そんな力……」

「あるはずない」

 パピィは断言した。

「でも、サキさんもお婆ちゃんもそんな迷信じみたものにすがるしかなかったんだ。70年以上も」

 よいしょと掛け声を上げて、パピィは立ち上がった。その拍子にパキパキと関節の鳴る音がした。

「お婆ちゃんやサキさんの苦しみを知らない俺たちが、諦めろって言う資格ないだろ。死んだ爺さんは多少口出ししてたみたいだけど、聞かなかったらしいし」

「……」

「このこと俺から聞いたのは内緒な。婆ちゃん怖いから。何も知らないふりして謝っとけ」

 にかっと歯を出して笑い、パピィはドライヤー片手に部屋を出て行った。

 取り残された俺は、しばらくぼんやりと電球の傘を見上げていた。

 戦争か。

 ルサンチマン王国も俺が生まれてからの間だけでも、数回他国との戦争や小さな内乱はあった。
 ただ俺自身は近衛兵という性質上、前線には出ていない。
 けれど、戦なら人が死ぬのは当然だし、自分だって敵を殺さねば生き残れないなんてことは当然に分かっている。

 王家に刃向かう者やその疑いのある者をこの手で闇に葬り去ってきたけれど、そこに余計な感傷はなかったし、今も罪の意識も後悔もない。
 ボニー様が望んでおられなかったのに、消してしまった者もいたことは後悔しているけれど。
 その分、敵の手にかかって命を散らした仲間もいるわけで、いわばおあいこだ。

 悲しみは受け入れて、前に進まねばならない。
 最大多数の幸福のためには、少しの犠牲も必要だ。全部守ろうとすれば、必ず綻びが生じる。
 必要な犠牲を受忍できないクソババアは勝手者にさえ思えた。

 70年以上もたった一人の人間の死を受け入れられずに、死者との再会なんて非現実的なことに情熱を傾けるクソババアやサキ姉ちゃんの気持ちは、いくら考えても俺には理解できなかった。
 もうそれは、情熱というより無意味な執念と呼ぶべきものに思えた。
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