第5話 写生をしよう

文字数 1,469文字

 絵画教室は市民文化センターの教室で開催された。
 地元在住の画家だといういかにも芸術家然としたヒゲのおっさんが講師で、簡単に基礎的な絵の描き方の説明をすると、残りの時間は庭で写生をするよう言いつけた。

 生徒は中高年ばかりで、俺も眼鏡も新しく友人を作れる気がしなかったので、足早に画材を抱えて外に出た。

 5月の晴天の空は青々と澄み切って気持ちが良い。ぽかぽか陽気に誘われ、ロケ場所決めを忘れて日向ぼっこしていると、眼鏡が呆れた様子で言ってきた。

「俺、あっちで描いてるから。お前もさっさと何描くか決めろよ。それから、あんま日に当たってると焼けるぞ。5月の紫外線量なめてっとマジやべえから」

 女子か! とは言えない。俺の自慢の白い餅肌が眼鏡のようなおっさん肌になってしまってはいけない。

 慌てて日陰に移動した。

 しかし、何を描こう。

 中庭の中心にある大きな楠木には先客が集まっているし、玄関の前の噴水も既に数名の生徒がスケッチブックに模写していた。

 モチーフを探して、館内をうろうろしていると、建物裏に何とも言えぬ金属製の古びたマシンを発見した。
 黒く錆び付いた無骨なマシンの傍には名前は分からないけれど、白く愛らしい花を宿した木が一本、すらりと立っていた。

 そのある意味アンバランスな光景に惹かれ、俺はそのマシンと木を描くことに決めた。

 文化センターの窓下のコンクリの出っ張りに腰掛け、スケッチブックに鉛筆を走らせる。

 一心不乱に絵を描いていると、色んな雑念が頭の中から追い出される。
 日陰とはいえ、気持ちの良い陽気の下にいるのも、雲が流れていき、間に間から青空がのぞくように、心のわだかまりもすっと何処かに流れ去っていき、新しい爽やかな自分になっていくような気になった。

 どれくらい時間が経っただろう。

 ぶらぶらと眼鏡が歩いてきて、俺のスケッチブックを覗き見した。
 感想を求めると、無愛想な奴に珍しく、引きつった愛想笑いを浮かべた。

「あー、うん。独創的で良いんじゃないかな? この黒いの何?」

「太陽だが」

「……。この虫は?」

「虫じゃなくて犬だ。ちょっと寂しいから、実際にはいないが描き込んでみた」

「うん……」

「ていうか、何で焼却炉が中心に描いてあるの?」

「フォルムがスチームパンクっぽくてかっこいいと思った」

「……そう」

 微妙な空気になったので、眼鏡のも見せるようにせがむと、若干抵抗した後に恥ずかしそうにスケッチブックを渡してくれた。

 眼鏡のことだろうから、どうせ小学生の男子が描いたような大雑把で下手くそな絵に違いないとなめてページを開いた俺は目を丸くした。

 文化センターの中庭の隅にあった葉桜の写生だったが、よく見ると木の幹には妙齢の美女の顔が刻まれており、伸びやかに広がる枝葉は美女の髪のように見えた。

 緻密な筆致で描かれ、鉛筆のみの白黒の世界なのに、深い物語性が秘められているようで、圧巻の出来だった。
 上手すぎて、不気味で恐ろしい。
 ホラー漫画のような妖しく残酷な世界観が画用紙の上で爆発していた。

「上手いが、何故桜の木に女の顔があるのだ?」

「え? 何となく。何か桜だけだと寂しいし」

 図らずとも写生なのに現実には存在しないものを俺も眼鏡も付け足してしまっているのだが、だからって木にリアルな人の顔を描き込む眼鏡の心理が心配になってきた。

 人のことを異常だとけなすが、自分も病んでいないか? こいつ。
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