第7話 魔獣
文字数 1,830文字
五回、六回と背中に鞭が振り下ろされる。鞭があたった瞬間は痛みというより熱いといった感覚だった。その場で転がり回りたくなる耐えきれないような痛みが襲うのは、その一瞬後だった。
目尻から勝手に涙が次々に溢れてくる。
「申し訳ございません。奥さま、申し訳ございません……」
呻き声を漏らしながらエルはそれだけを繰り返した。やがて荒い息を吐きながら鞭撻が止んだ。
「ほらっ、ぐずぐずしてないで、さっさと後片付けをするんだよ。水遣りも忘れるんじゃないよ!」
荒い息の合間でイザベリアはそう言い放つとその場を後にした。
イザベリアが去った後も頭を垂れていたエルはそのままの格好で必死に痛みに耐えていた。背中がどういう状態になっているのかを考えると恐ろしくなってくる。でも、早く立ち上がって食器洗いの続きをしなければ、また何を言われるのか、何をされるのか分かったものではない。
痛みが少しだけ引いてきた気がしたので、流れ出た涙を拭いながらエルはゆっくりと立ち上がった。その途端、背中に激痛が走ってエルは呻き声を漏らす。
しかし、エルは歯を食いしばりながら立ち上がった。再び涙が溢れてくる。痛みによる涙ではない。悲しかったのだ。悲しいなんて感情は既にすり減ってなくなってしまったかと思っていたが、どうやらそんなこともないようだった。
奴隷とはいえ、何でこんな扱いを受けなければならないのだろうか。そして、いつまでこんなことが続くのだろうか。いや死ぬまで続くのだろう。そうであるならば、そこには絶望以外に何も見出すことができない……。
その夜、エルは粗末な寝台の上で時折、呻き声を上げていた。鞭を受けた背中が痛みと共に燃えるように熱い。うつ伏せになって濡らした布をあてがってみたが、気休めにもなっていなかった。
以前にもあの鞭状の革紐で打たれたことはあったが、ここまで酷く打たれたことはなかった。悲しいのか、悔しいのか、痛いのか……。
ごちゃ混ぜになった様々な感情がエルの中で荒れ狂っていた。望みもしない涙をエルが拭っていた時だった。二階から短い悲鳴が聞こえてきた。
何事かとエルは聞き耳を立てる。悲鳴はもう聞こえないが、何かを壊すような音が継続して聞こえてくる。
どうしたのだろうか。もしかして盗賊にでも入られたのだろうか。不穏なものを感じて、エルは痛む背中を堪えながら寝台から立ち上がると、そっと部屋の扉を開けた。
エルの部屋は一階の端にあって、部屋を出た長い廊下の先には二階へと続く階段があった。その階段の上から降りてくる黒い影があった。
……魔獣!
背中の痛みも忘れてエルはそのまま廊下にへたり込んだ。初めて目にしたが間違いなかった。そこには禍々しい雰囲気を醸し出している人よりも大きな魔獣がいた。
魔獣は全体が銀色の毛で覆われており、そこに黒い縞が入っている。
魔獣は階下のエルに気がついたようで、階段の中頃で足を止めると緑色の瞳をエルに向けた。
エルは魔獣の口先から何かが出ていることに気がついた。いや、出ているのではない。魔獣が咥えているのだった。暗がりの中、よく見ると魔獣の口元は鮮血で染まっていた。
白く細いまだ小さな二本の両足。この屋敷の中でそんな小さな足を持つ者は一人しかいないはずだった。エルの顔から血の気が引いていく。
魔獣は煩わしそうに頭を振ると、口に咥えていたものを階下に放り投げた。
べちゃっといった音を聞いた気がした。下半身だけとなった子供の体がエルの眼前に放り出された。
「セ、セシル様……」
痛みも忘れてエルは茫然としたまま、まだ鮮血が流れ出ているセシルの下半身を両手でその胸に意味もなく抱き寄せた。
その巨体からは想像できないような静けさで、魔獣は音もなく階段を降りてエルの眼前に立った。こんな大きな魔獣から逃げられるはずがない。そもそもが恐怖で腰が抜けたようにエルは動けなくなっていた。自分はこれで死んでしまうのだとエルは他人事のように思っていた。
諦めに似た気持ちだったのかもしれない。でもどこかで安堵する気持ちが間違いなくあった。これでやっと死ぬことができるのだと。
綺麗な銀色の毛並みの魔獣だなと場違いなことをエルは思う。セシルのようにあの大きな口で噛みつかれてしまうのだろうか。嚙み千切られてしまうのだろうか。あまり痛くなければいいな。そんなことをエルが考えていた時だった。
短い悲鳴と共に黒い物体が階段の上から転がって落ちてきた。
目尻から勝手に涙が次々に溢れてくる。
「申し訳ございません。奥さま、申し訳ございません……」
呻き声を漏らしながらエルはそれだけを繰り返した。やがて荒い息を吐きながら鞭撻が止んだ。
「ほらっ、ぐずぐずしてないで、さっさと後片付けをするんだよ。水遣りも忘れるんじゃないよ!」
荒い息の合間でイザベリアはそう言い放つとその場を後にした。
イザベリアが去った後も頭を垂れていたエルはそのままの格好で必死に痛みに耐えていた。背中がどういう状態になっているのかを考えると恐ろしくなってくる。でも、早く立ち上がって食器洗いの続きをしなければ、また何を言われるのか、何をされるのか分かったものではない。
痛みが少しだけ引いてきた気がしたので、流れ出た涙を拭いながらエルはゆっくりと立ち上がった。その途端、背中に激痛が走ってエルは呻き声を漏らす。
しかし、エルは歯を食いしばりながら立ち上がった。再び涙が溢れてくる。痛みによる涙ではない。悲しかったのだ。悲しいなんて感情は既にすり減ってなくなってしまったかと思っていたが、どうやらそんなこともないようだった。
奴隷とはいえ、何でこんな扱いを受けなければならないのだろうか。そして、いつまでこんなことが続くのだろうか。いや死ぬまで続くのだろう。そうであるならば、そこには絶望以外に何も見出すことができない……。
その夜、エルは粗末な寝台の上で時折、呻き声を上げていた。鞭を受けた背中が痛みと共に燃えるように熱い。うつ伏せになって濡らした布をあてがってみたが、気休めにもなっていなかった。
以前にもあの鞭状の革紐で打たれたことはあったが、ここまで酷く打たれたことはなかった。悲しいのか、悔しいのか、痛いのか……。
ごちゃ混ぜになった様々な感情がエルの中で荒れ狂っていた。望みもしない涙をエルが拭っていた時だった。二階から短い悲鳴が聞こえてきた。
何事かとエルは聞き耳を立てる。悲鳴はもう聞こえないが、何かを壊すような音が継続して聞こえてくる。
どうしたのだろうか。もしかして盗賊にでも入られたのだろうか。不穏なものを感じて、エルは痛む背中を堪えながら寝台から立ち上がると、そっと部屋の扉を開けた。
エルの部屋は一階の端にあって、部屋を出た長い廊下の先には二階へと続く階段があった。その階段の上から降りてくる黒い影があった。
……魔獣!
背中の痛みも忘れてエルはそのまま廊下にへたり込んだ。初めて目にしたが間違いなかった。そこには禍々しい雰囲気を醸し出している人よりも大きな魔獣がいた。
魔獣は全体が銀色の毛で覆われており、そこに黒い縞が入っている。
魔獣は階下のエルに気がついたようで、階段の中頃で足を止めると緑色の瞳をエルに向けた。
エルは魔獣の口先から何かが出ていることに気がついた。いや、出ているのではない。魔獣が咥えているのだった。暗がりの中、よく見ると魔獣の口元は鮮血で染まっていた。
白く細いまだ小さな二本の両足。この屋敷の中でそんな小さな足を持つ者は一人しかいないはずだった。エルの顔から血の気が引いていく。
魔獣は煩わしそうに頭を振ると、口に咥えていたものを階下に放り投げた。
べちゃっといった音を聞いた気がした。下半身だけとなった子供の体がエルの眼前に放り出された。
「セ、セシル様……」
痛みも忘れてエルは茫然としたまま、まだ鮮血が流れ出ているセシルの下半身を両手でその胸に意味もなく抱き寄せた。
その巨体からは想像できないような静けさで、魔獣は音もなく階段を降りてエルの眼前に立った。こんな大きな魔獣から逃げられるはずがない。そもそもが恐怖で腰が抜けたようにエルは動けなくなっていた。自分はこれで死んでしまうのだとエルは他人事のように思っていた。
諦めに似た気持ちだったのかもしれない。でもどこかで安堵する気持ちが間違いなくあった。これでやっと死ぬことができるのだと。
綺麗な銀色の毛並みの魔獣だなと場違いなことをエルは思う。セシルのようにあの大きな口で噛みつかれてしまうのだろうか。嚙み千切られてしまうのだろうか。あまり痛くなければいいな。そんなことをエルが考えていた時だった。
短い悲鳴と共に黒い物体が階段の上から転がって落ちてきた。