第21話 大きな矛盾
文字数 1,699文字
そんな声がエルの耳に届いてきた。エルは足を止めて声がした方に視線を向ける。
……奴隷の子供? 処刑?
エルの中で嫌な予感が生まれていた。一方でまさかとの思いもある。だが、例え大都市のライザックとはいえ子供の奴隷は決して多くない筈だった。エルは反射的にファブリスの顔を見た。
「放っておけ。厄介ごとに巻き込まれるだけだ」
その言葉を聞く限りでは、ファブリスにも気がつくものがあったのだろう。だが、エルに向かって無表情なままでファブリスはそう言うのだった。
ファブリスの言う通りなのかもしれなかった。でも、それを聞いた以上は放っておくことがエルにはできそうもなかった。
エルは次いでマーサに視線を向けた。マーサも首を左右に振った。
「奴隷の身だったエルの気持ちも分かるけど、エルが行ったところで何ができるって話だよ」
そうなのか。きっとファブリスやマーサの言う通りなのだろう。
でも……。
次の瞬間、エルは広場に向かって走り出していた。
目抜き通りのほぼ中央に位置していた広場からは、静かながらも明らかに異様な熱気が感じられた。広場を中心として人の輪が何重にもできていて、皆が小声で囁きあっている。
「ごめんなさい、通して下さい。お願いします」
エルはそう言いながら辛うじて輪の最前列に躍り出た。
最前列に躍り出たエルの目の前には人々と相対する向きで、十数名の鎧や盾で武装した兵士が小さな輪を作っていた。その中心で仁王立ちとなっているでっぷりと太った五十歳ぐらいの男がいる。
でっぷりと太った男の足下には小さな二つの影があり、兵士が片膝をついてその影を押さえ込んでいた。
エルは息を飲み込んだ。
やはりあの時の姉弟だった。姉弟は両手首を背後で縛られて両膝を大地につけている。二人とも口には猿轡があり、涙で濡れたその顔は恐怖で大きく歪んでいる。
エルは自分の喉元が閉まっていく感覚があった。呼吸が上手くできない。
「この者たちには度重なる粗相があった。よって魔族奴隷法により、このダルシア家の当主カシアスが私的制裁を加える」
でっぷりと太った男の声が広場に響き渡る。広場に集まっている民衆の熱量が高まっていくのをエルは肌で感じとっていた。
集まった民衆の誰もがこの悲劇という名の刺激を求めていた。
いや、違う。ここに集まった民衆のほぼ全てが人族で、その人族が悲劇という名の刺激を求めているのだ。
息が苦しい。
エルは空気を求めて口をぱくぱくと開閉する。
このままではあの姉弟が殺されてしまう。何とかしなければ。
その衝動に突き動かされてエルは一歩、二歩と前に足を進めた。そんなエルの肩を掴む腕があった。
「ファブリスさん……」
「どこへ行くつもりだ? 行けばお前も殺されるだけだ」
「でもこのままでは、あの子たちが殺され……」
エルの言葉にファブリスが少しだけ赤い瞳を細めた。
「ならば、どうする?」
ならばどうする?
そう。どうすればいいのだろうか……。
エルは心の中でファブリスの言葉を繰り返した。
「……助けて。お願いします、ファブリスさん。あの子たちを助けて下さい……」
「俺は正義を重んじる騎士でもなんでもない。俺はお前たち魔族、人族の敵だ」
「それでも、それでもお願いします……ファブリスさん」
エルの赤い瞳に涙が浮かぶ。それを見たファブリスの顔に少しだけ苛立ちの色が浮かんだ。その苛立ちが何によるものなのか、エルには分からなかった。
「あの奴隷を助ければ、そのために誰かが死ぬことになる。それでもお前はあの奴隷を助けるのか?」
ファブリスの言葉を聞いてエルか固く口を結んだ。
分からなかった。どれが正しいのかエルには分からなかった。
でも、それでもエルはあの姉弟の奴隷を助けようと思った。それによって沢山の血が流れようともだ。
二つの命を助けるために多くの命が失われるかもしれない。大きな矛盾だった。でもエルはその矛盾を抱えたままでファブリスの言葉に頷いた。
「……お願いします。力を貸して下さい。お願いします……」
エルの言葉にファブリスは一瞬だけ間を置いて口を開いた。
「……マーサ、逆らう者は根絶やしだ」
……奴隷の子供? 処刑?
エルの中で嫌な予感が生まれていた。一方でまさかとの思いもある。だが、例え大都市のライザックとはいえ子供の奴隷は決して多くない筈だった。エルは反射的にファブリスの顔を見た。
「放っておけ。厄介ごとに巻き込まれるだけだ」
その言葉を聞く限りでは、ファブリスにも気がつくものがあったのだろう。だが、エルに向かって無表情なままでファブリスはそう言うのだった。
ファブリスの言う通りなのかもしれなかった。でも、それを聞いた以上は放っておくことがエルにはできそうもなかった。
エルは次いでマーサに視線を向けた。マーサも首を左右に振った。
「奴隷の身だったエルの気持ちも分かるけど、エルが行ったところで何ができるって話だよ」
そうなのか。きっとファブリスやマーサの言う通りなのだろう。
でも……。
次の瞬間、エルは広場に向かって走り出していた。
目抜き通りのほぼ中央に位置していた広場からは、静かながらも明らかに異様な熱気が感じられた。広場を中心として人の輪が何重にもできていて、皆が小声で囁きあっている。
「ごめんなさい、通して下さい。お願いします」
エルはそう言いながら辛うじて輪の最前列に躍り出た。
最前列に躍り出たエルの目の前には人々と相対する向きで、十数名の鎧や盾で武装した兵士が小さな輪を作っていた。その中心で仁王立ちとなっているでっぷりと太った五十歳ぐらいの男がいる。
でっぷりと太った男の足下には小さな二つの影があり、兵士が片膝をついてその影を押さえ込んでいた。
エルは息を飲み込んだ。
やはりあの時の姉弟だった。姉弟は両手首を背後で縛られて両膝を大地につけている。二人とも口には猿轡があり、涙で濡れたその顔は恐怖で大きく歪んでいる。
エルは自分の喉元が閉まっていく感覚があった。呼吸が上手くできない。
「この者たちには度重なる粗相があった。よって魔族奴隷法により、このダルシア家の当主カシアスが私的制裁を加える」
でっぷりと太った男の声が広場に響き渡る。広場に集まっている民衆の熱量が高まっていくのをエルは肌で感じとっていた。
集まった民衆の誰もがこの悲劇という名の刺激を求めていた。
いや、違う。ここに集まった民衆のほぼ全てが人族で、その人族が悲劇という名の刺激を求めているのだ。
息が苦しい。
エルは空気を求めて口をぱくぱくと開閉する。
このままではあの姉弟が殺されてしまう。何とかしなければ。
その衝動に突き動かされてエルは一歩、二歩と前に足を進めた。そんなエルの肩を掴む腕があった。
「ファブリスさん……」
「どこへ行くつもりだ? 行けばお前も殺されるだけだ」
「でもこのままでは、あの子たちが殺され……」
エルの言葉にファブリスが少しだけ赤い瞳を細めた。
「ならば、どうする?」
ならばどうする?
そう。どうすればいいのだろうか……。
エルは心の中でファブリスの言葉を繰り返した。
「……助けて。お願いします、ファブリスさん。あの子たちを助けて下さい……」
「俺は正義を重んじる騎士でもなんでもない。俺はお前たち魔族、人族の敵だ」
「それでも、それでもお願いします……ファブリスさん」
エルの赤い瞳に涙が浮かぶ。それを見たファブリスの顔に少しだけ苛立ちの色が浮かんだ。その苛立ちが何によるものなのか、エルには分からなかった。
「あの奴隷を助ければ、そのために誰かが死ぬことになる。それでもお前はあの奴隷を助けるのか?」
ファブリスの言葉を聞いてエルか固く口を結んだ。
分からなかった。どれが正しいのかエルには分からなかった。
でも、それでもエルはあの姉弟の奴隷を助けようと思った。それによって沢山の血が流れようともだ。
二つの命を助けるために多くの命が失われるかもしれない。大きな矛盾だった。でもエルはその矛盾を抱えたままでファブリスの言葉に頷いた。
「……お願いします。力を貸して下さい。お願いします……」
エルの言葉にファブリスは一瞬だけ間を置いて口を開いた。
「……マーサ、逆らう者は根絶やしだ」