第55話 魔族のごみ

文字数 1,608文字

 自分の耳を響かせ、体内でも響く叫び声が自分の口から発せられたものとは思えなかった。それほどまでにエルが発した叫び声は大きなものだった。

 その叫び声と共にエルはそれまで身を隠していた茂みから、考える間もなく飛び出していた。視界の中でファブリスの体は長剣に貫かれて、そのまま力なく大地へと倒れ込んでいく。

 自分が駆け寄ったところで何かができるわけではない。そんなことはエルにも分かっていた。それでもエルはファブリスに必死で駆け寄ろうとしていた。自分の身が危険となるかもしれないといった考えは露ほども頭に浮かんでこなかった。

「ファブリスさん、ファブリスさん!」

 ファブリスに駆け寄るとエルは両膝を大地に着けて、両手でファブリスの頭を抱え込んだ。膝の上に乗せられたファブリスの瞳は固く閉じられている。

 胸から流れ出る出血が止まらない。ファブリスから流れ出る血は、たちまちエルの太腿を濡らして大地に染み渡っていく。その大地に染み渡る血の量がファブリスの尋常でない状態を示していた。

「ファブリスさん!」

 エルはもう一度、呼びかける。だが、ファブリスの瞳は変わらず固く閉じられたままだった。

 エルは救いを求めて左右を見渡した。アイシスならば回復魔法を使えるだろうし、マーサにしても何かファブリスを救う手立てを持っているかもしれない。そう思ったのだった。

「魔族のごみ、どこから湧き出た?」

 冷たい声がエルの頭上から響いてきた。エルは声がした方に赤色の瞳を向けた。誰がその嫌な声を発したのか。見るまでもなかった。

「ごみ、聞いているのか?」

 視線が合うとアズラルトはもう一度、エルに問いかけた。エルは固く口を結ぶ。

 何も答えようとしないエルに業を煮やしたのだろうか。アズラルトがファブリスの胸を貫いた長剣を振りかざした。

 エルは反射的に身を丸めると、更に強くファブリスの頭を両手で抱きしめた。それにどれ程の意味があるとも思えない。だけれども、エルは身を丸めて、固くして強くファブリスを守るように抱きしめたのだった。

 予期していたような衝撃が一向に訪れない。エルは恐る恐る顔を持ち上げた。すると、そこにはアズラルトの意外そうな顔があった。

「ごみ、古代種か? それも純粋な……」

 アズラルトはそう言うと、その顔に満面の笑みを浮かべた。嫌な笑みだった。エルの背筋を凍らせる狂人の如き笑みだった。

「面白い。やはり全ては俺を中心に回っているのだ」

 アズラルトは独りごちると、長剣を持たない片手をエルに向かって伸ばしてくる。

「嫌!」

 反射的にエルが叫んだ時だった。アズラルトの頭上で金色の何かが弾けた。

 雷撃だった。その雷撃がアズラルトの頭上を直撃したのかと思ったが、どうやら片手に持つ長剣でアズラルトは雷撃を受け止めたようだった。

「西方の魔女、邪魔するな。貴様如きが出る幕じゃない」

 アズラルトが上空に佇む幼女に鋭い視線を向けた。アイシスはそのようなアズラルトの視線に構うことはなく口を開いた。

「ほう、妾を知っておるのか……まあ、よい。いずれにしても、邪神とその娘にはそれ以上、手出しをさせぬぞ」
「魔導士如きが随分と上からの物言いだな」
「ふん、勇者如きが大した余裕じゃ」

 アイシスはそう言うとエルに黒色の瞳を向けた。

「魔族の娘、ぼうっとするでない。邪神はその程度では死なぬ。大丈夫じゃよ。早く連れて逃げるのじゃ」
「で、でも……」

 アイシスにそう言われたものの、どうやって逃げるというのか。意識がないファブリスをエルでは抱えて逃げられるはずもない。

 それにこの出血。アイシスは大丈夫と言っていたが、その根拠が分からない。邪神の力があるにしても単純にこの出血では死に至るのではないかと思う。

 エルの赤い瞳から涙が溢れそうになる。

 でも、泣いてる場合じゃない。マーサやアイシスのように戦えるわけではないけれど、今は自分が何とかしなければいけないのだ。
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