第70話 幕切れ

文字数 1,601文字

「逃げて、後ろ!」

 エルの細い悲鳴のような声とほぼ同時に、ファブリスは首を背後から掴まれた。そして、そのまま持ち上げられて体が宙に浮く。

 首を捻って背後を辛うじて振り返ったファブリスの視界には、片手で自分を持ち上げるアズラルトの姿があった。

「暫く見ない間に随分と化け物じみたものだな」

 その言葉に反応するように、ファブリスの体はアズラルトの正面に向けられ、両手で首を絞められる。それと同時にエルの叫び声も聞こえてくる。

 人のものとは思えない力だった。このまま首の骨を折られてしまうのではと思るほどだった。

 ファブリスは片手でアズラルトの左手首を掴んだ。そして、掴んだ手首に力を込める。それで少しだけアズラルトの力が弱まったようだった。

 アズラルトの体はそれまでと同様だった。鮮血が吹き出すことは止まっていたものの、腰の辺りまで二つに裂け、邪神封じの魔剣は腰の位置に変わらず刺さったままだった。それは、異様な光景と言ってよかった。

 ただ、裂けた体は互いにくっつこうとしているのか、細い触手のようなものが互いに伸ばされ合って、宙で絡み合っている。

「何だ……その姿は……勇者はいつから化け物になった?」

 ファブリスは首を絞められながらも途切れ途切れに言う。

「油断したぞ。油断したぞ、ファブリス」

 呪詛めいたアズラルトの声が聞こえてくる。

「だが、ファブリス、俺はこれぐらいでは死なぬ」

 その言葉と共にアズラルトは更に力を込めたようだった。このままでは本当に首の骨を折られかねない。

「その力、邪神のものか?」

 アズラルトはファブリスの問いには答えない。

「死ね、ファブリス。俺がこの力で全てを滅ぼす!」

 全てを滅ぼす? お前が?
 アズラルトが何を言おうとしているのか分からなかった。そもそも人族のアズラルトが何故、邪神の力を持っているのかも分からない。

 まあ、いいとファブリスは思う。自分はあの赤毛の少女を救うだけだ。どのような理由だとしても、再び自分の傍にいる者を失うわけにはいかないのだ。もう、あのような思いをするつもりはなかった。

 あのような思いをすることは嫌だった。それを邪魔しようとする者は殺す。それだけのことだとファブリスは思う。

「邪神の力は俺が全て貰う。死ね、ファブリス!」

 アズラルトの声が周囲に響き渡った。

「……お前がな」

 低く呟いたファブリスは、片手を伸ばしてアズラルトの体に刺さったままとなっている邪神封じの魔剣を握った。

 それを引き抜くと同時に、ファブリスは邪神封じの魔剣をアズラルトの心臓部に突き立てる。

 ファブリスを宙に持ち上げながら首を圧迫していたアズラルトの両腕から途端に力がなくなり、ファブリスは両足で床に降り立った。

 邪神封じの大剣を胸に突き立てられ、そのまま床に崩れ落ちたアズラルトは唖然とした顔でファブリスを見ている。

「邪神を倒す方法は一つだけだ。その心臓を邪神封じの魔剣で切り裂くこと」
「馬鹿な?」
「邪神封じの魔剣で身を斬り裂かれても生きていた。だから、まだ自分が邪神ではないとでも思ったか。邪神ではないから、邪神封じの魔剣など通用しないとでも思ったか。知らなかったのか? お前は立派な邪神だ。化け物なんだよ。俺と同じだ」

 ファブリスがその顔に狂気の笑みを浮かべた。

「ファブリス、ふざけるな! 俺が魔族全てを殺すのだ、ファブリス!」

 最後の力を振り絞るかのように呪詛の響きを込めて、立ち上がろうと床でもがきながらアズラルトが叫ぶ。その顔には憎しみ、恨み、妬み、不安、怒りなど全ての負の感情が宿っているかのようだった。

「もういい。セリアの仇だ。そして皆のな。お前はもう死ね」

 ファブリスは片足を持ち上げると、全ての負の感情を宿したかのようなアズラルトの顔を踏みつけた。踏みつけた瞬間、周囲に飛び散る鮮血などと共に、固い物から内容物が弾け飛ぶかのような破裂音が辺りを響かせた。
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