第65話 化け物
文字数 2,189文字
自分たちが助かるために国民たちが王家を差し出す。全のために個を切り捨てる。アイシス自身も国家の運営で幾度となく行ってきたことだ。
だが自分がその当事者となった時、アイシスの心情が、感情が許さなった。
国民たちは疲れていたのだ。終わることがない戦争。自分たちのためではなく、盟主国の理屈によって兵として動員される日々。
オリス魔法国王家のために自分たちの大切な者たちを失う日々に、国民たちは疲れ切ったのだ。
今ならば、それらのことが分からないでもないとアイシスは思う。だが、その時のアイシスには分からなかった。国民たちが浅ましくも自分たちを犠牲にして生き残ろうとしているとしか思えなかった。
アイシスは玉座で宰相に命じた。
「捕らえている古代魔族を地下の祭事場へ」
その言葉に初老の域に達している宰相は、苦悩の色を顔に浮かべながらも黙って頷いた。
「宰相、子供たちを頼みます。私は地下で邪神の力を……」
「女王陛下、私はいかなる時も陛下の忠実な臣下です。女王陛下の言には従います。ですが、これだけは言わせて下さい。国民たちを犠牲にすることは反対です。国民があってこその王家なのですぞ」
「先に裏切ったのは国民たちです。子供たちを頼みましたよ」
アイシスは冷たい声で宰相に言い放つと、ゆっくりと玉座から立ち上がったのだった。
かつての記憶がアイシスの中で蘇る。全ての始まりは、やはり自分なのだろうとアイシスは改めて思う。
「獣人族、転移するぞ。邪神には勇者ひとりを相手にしてもらうのじゃ」
それで全ての意味が通じたのか、魔獣に変化しているマーサは頷く素振りを見せた。
自らも含めて他者をも強制的に転移させる。
この転移は結構、疲れるのじゃがな。
アイシスはそう心の中で呟いた。
ファブリスの視界からマーサやアイシスたち瞬時に消え去った。何らかの転移魔法を誰かが発動したのだろうとファブリスは思う。
残されたのは自分とアズラルト、そして捕えられているエルだけとなっていた。マーサやアイシスの行方が気にならないわけではなかったが、彼女たちであれば大丈夫だろうとも思う。
今、自分がすることはアズラルトを殺すことだけなのだから。
ファブリスは剣を持って対峙するアズラルトに向けて左右の口角を持ち上げてみせた。
「アズラルト、これから死ぬ気分はどうだ。殺される気分はどんな感じだ?」
「お前は馬鹿なのか。それとも本当に頭がおかしいのか。邪神が何故勇者に勝てる。その理屈がどこにある?」
「さあ、どうなのだろうな」
ファブリスは上段から大剣を振り下ろした。アズラルトがそれを受け止める。
「アズラルト、知っているか? 邪神の力はこの世の理を変える力らしい。ほら、顔が必死だぞ。お前は強い勇者様ではなかったのか?」
その言葉にアズラルトの顔が屈辱で歪んだようだった。
「舐めるな、魔族風情が。魔族は死ね。俺が全てを殺してやる!」
魔族の全てを殺す?
ファブリスはアズラルトの言葉を心の中で繰り返した。アズラルトは魔族全てに敵意を抱いているということなのだろうか。
上段で受け止めていたファブリスの大剣を力任せに弾くと、アズラルトは長剣を水平にする。そして、そのまま長剣をファブリスに目掛けて突き入れた。
流れるような突きだった。
認めたくもないが、やはり勇者としてアズラルトの剣技はファブリスよりも優れているということなのだろう。
次の瞬間、アズラルトの長剣がファブリスの左胸を違わずに刺し貫いていた。
だが、ファブリスの動きは止まらなかった。長剣で刺し貫かれたまま、ファブリスは片手に握る大剣を振り上げた。
「どういうことだ? 貴様! 何をした! 何故、魂喰らいが発動しない?」
魂喰らいの魔剣で胸を貫いたにもかかわらず、動きを止めることがないファブリスを見てアズラルトに焦りの色が浮かぶ。
常であれば勇者が持つ剣。魂喰らいの魔剣に貫かれた者は、その動きを止める。やがて、意識下において魂喰らいの獣に喰われて結果、死に至るはずだった。
「魂喰らいの獣だったか? あの黒い化け物は。あれならば既に俺が喰らったぞ」
「馬鹿な? そんなことをできる訳が……貴様、この化け物が!」
「化け物? 今更だな。俺は邪神だぞ」
驚愕の表情で長剣を引き抜こうと力を込めたアズラルトだったが、長剣はアズラルトの意に反して抜くことができないようだった。ならばとばかりにアズラルトは、ファブリスに突き入れた長剣で円を描くようにしてファブリスの体をこねくり回す。
痛みが全身を走り、る。ファブリスの口から顎へと鮮血が流れ落ちていく。
だが、こんな痛みなど大したことではない。魂喰らいが発動しない剣など、ただの剣でしかない。
ただの剣で心臓を貫いたとしても、邪神が動きを止めるはずもないのだ。
ファブリスは振り上げている大剣の柄を更に強く握りしめた。
瞬間、ファブリスの脳裏にセリアの顔が浮かんだ。殺された家族の顔が浮かんだ。
彼らはこの結末を望んでいるのだろうか。そんな思いが同時にファブリスの脳裏をよぎる。
だが、そのようなことなどは、どちらでもいいことなのだとファブリスは思う。
今ここで、この結末を望んでいるのはファブリス自身なのだから。
その思いと共に、ファブリスは片手に持つ大剣を上段からアズラルトの肩口に向かって一気に振り下ろした。
だが自分がその当事者となった時、アイシスの心情が、感情が許さなった。
国民たちは疲れていたのだ。終わることがない戦争。自分たちのためではなく、盟主国の理屈によって兵として動員される日々。
オリス魔法国王家のために自分たちの大切な者たちを失う日々に、国民たちは疲れ切ったのだ。
今ならば、それらのことが分からないでもないとアイシスは思う。だが、その時のアイシスには分からなかった。国民たちが浅ましくも自分たちを犠牲にして生き残ろうとしているとしか思えなかった。
アイシスは玉座で宰相に命じた。
「捕らえている古代魔族を地下の祭事場へ」
その言葉に初老の域に達している宰相は、苦悩の色を顔に浮かべながらも黙って頷いた。
「宰相、子供たちを頼みます。私は地下で邪神の力を……」
「女王陛下、私はいかなる時も陛下の忠実な臣下です。女王陛下の言には従います。ですが、これだけは言わせて下さい。国民たちを犠牲にすることは反対です。国民があってこその王家なのですぞ」
「先に裏切ったのは国民たちです。子供たちを頼みましたよ」
アイシスは冷たい声で宰相に言い放つと、ゆっくりと玉座から立ち上がったのだった。
かつての記憶がアイシスの中で蘇る。全ての始まりは、やはり自分なのだろうとアイシスは改めて思う。
「獣人族、転移するぞ。邪神には勇者ひとりを相手にしてもらうのじゃ」
それで全ての意味が通じたのか、魔獣に変化しているマーサは頷く素振りを見せた。
自らも含めて他者をも強制的に転移させる。
この転移は結構、疲れるのじゃがな。
アイシスはそう心の中で呟いた。
ファブリスの視界からマーサやアイシスたち瞬時に消え去った。何らかの転移魔法を誰かが発動したのだろうとファブリスは思う。
残されたのは自分とアズラルト、そして捕えられているエルだけとなっていた。マーサやアイシスの行方が気にならないわけではなかったが、彼女たちであれば大丈夫だろうとも思う。
今、自分がすることはアズラルトを殺すことだけなのだから。
ファブリスは剣を持って対峙するアズラルトに向けて左右の口角を持ち上げてみせた。
「アズラルト、これから死ぬ気分はどうだ。殺される気分はどんな感じだ?」
「お前は馬鹿なのか。それとも本当に頭がおかしいのか。邪神が何故勇者に勝てる。その理屈がどこにある?」
「さあ、どうなのだろうな」
ファブリスは上段から大剣を振り下ろした。アズラルトがそれを受け止める。
「アズラルト、知っているか? 邪神の力はこの世の理を変える力らしい。ほら、顔が必死だぞ。お前は強い勇者様ではなかったのか?」
その言葉にアズラルトの顔が屈辱で歪んだようだった。
「舐めるな、魔族風情が。魔族は死ね。俺が全てを殺してやる!」
魔族の全てを殺す?
ファブリスはアズラルトの言葉を心の中で繰り返した。アズラルトは魔族全てに敵意を抱いているということなのだろうか。
上段で受け止めていたファブリスの大剣を力任せに弾くと、アズラルトは長剣を水平にする。そして、そのまま長剣をファブリスに目掛けて突き入れた。
流れるような突きだった。
認めたくもないが、やはり勇者としてアズラルトの剣技はファブリスよりも優れているということなのだろう。
次の瞬間、アズラルトの長剣がファブリスの左胸を違わずに刺し貫いていた。
だが、ファブリスの動きは止まらなかった。長剣で刺し貫かれたまま、ファブリスは片手に握る大剣を振り上げた。
「どういうことだ? 貴様! 何をした! 何故、魂喰らいが発動しない?」
魂喰らいの魔剣で胸を貫いたにもかかわらず、動きを止めることがないファブリスを見てアズラルトに焦りの色が浮かぶ。
常であれば勇者が持つ剣。魂喰らいの魔剣に貫かれた者は、その動きを止める。やがて、意識下において魂喰らいの獣に喰われて結果、死に至るはずだった。
「魂喰らいの獣だったか? あの黒い化け物は。あれならば既に俺が喰らったぞ」
「馬鹿な? そんなことをできる訳が……貴様、この化け物が!」
「化け物? 今更だな。俺は邪神だぞ」
驚愕の表情で長剣を引き抜こうと力を込めたアズラルトだったが、長剣はアズラルトの意に反して抜くことができないようだった。ならばとばかりにアズラルトは、ファブリスに突き入れた長剣で円を描くようにしてファブリスの体をこねくり回す。
痛みが全身を走り、る。ファブリスの口から顎へと鮮血が流れ落ちていく。
だが、こんな痛みなど大したことではない。魂喰らいが発動しない剣など、ただの剣でしかない。
ただの剣で心臓を貫いたとしても、邪神が動きを止めるはずもないのだ。
ファブリスは振り上げている大剣の柄を更に強く握りしめた。
瞬間、ファブリスの脳裏にセリアの顔が浮かんだ。殺された家族の顔が浮かんだ。
彼らはこの結末を望んでいるのだろうか。そんな思いが同時にファブリスの脳裏をよぎる。
だが、そのようなことなどは、どちらでもいいことなのだとファブリスは思う。
今ここで、この結末を望んでいるのはファブリス自身なのだから。
その思いと共に、ファブリスは片手に持つ大剣を上段からアズラルトの肩口に向かって一気に振り下ろした。