第64話 取り憑かれた男

文字数 1,725文字

 ファブリスの眼前にはアズラルトがいる。その手には魂喰らいの長剣が握られ、顔には変わらず薄笑いのようなものが貼りついている。

 ファブリスは上段から一気に大剣を振り下ろした。アズラルトはそれを長剣で難なく受け止める。

「低脳魔族が! 何度やっても同じだ。俺は邪神討伐の勇者だぞ。貴様に勝てる道理がない」
「道理? 知らんな。お前はここで死ぬのだからな」

 ファブリスの無機質な言動にアズラルトの片頬がひくついた。アズラルトは力任せにファブリスの大剣を弾くと、長剣を横から払った。

 ファブリスは大剣を垂直に立ててその斬撃を弾く。以前と同様、邪神の力を持つファブリスにアズラルトが力負けすることはないようだった。それが勇者の力というものなのだろうか。そんな疑問がファブリスの脳裏をよぎる。

「ファブリス様!」

 背後からマーサが声をかけてきた。背後を振り返ることはせずにファブリスは口を開いた。

「アイシスと一緒にガルディスとマルヴィナの相手を。死ぬなよ、マーサ」

 ファブリスからかけられた言葉にマーサは一瞬だけ驚いた素振りを見せたが、すぐさま無言で大きく頷いた。

 ファブリスの視界の左側から飛来する無数の刃となった氷の礫が見えた。ファブリスはそれに構うことはなく、再び大剣を振り上げる。

 刃となった氷の礫はファブリスに当たることはなく、その直前で霧散する。アイシスが何らかの防御壁を発動させたのだろう。

「魔導士、お主たちの相手は妾じゃぞ」

 ファブリスの背後からそのような声が聞こえてきた。それを聞きながら、ファブリスは振り上げた大剣をアズラルトの頭に向かって振り下ろした。
 大剣がアズラルトを捉えるに思えた瞬間、見えない何かによって大剣が弾かれた。

「馬鹿力でも、これは簡単に破れないみたいね」

 マルヴィナの揶揄するような声が聞こえてくる。ファブリスは舌打ちをしてマルヴィナに視線を向けた。

 それと同時に、魔獣へと姿を変えたマーサがマルヴィナに飛びかかっていく。

「アズラルト!」

 ファブリスは吠えると、弾かれた大剣をそのまま再度、アズラルトに向けて振り下ろしたのだった。




 アイシスの視界には、大剣を振り下ろそうとするファブリスの姿があった。邪神の力に取り憑かれた男。

 いや、違うのかとアイシスは思い直す。邪神の力に取り憑かれているのは、きっとあの勇者の方なのだ。

 全てを薙ぎ倒す暴風のようなファブリスの斬撃。それをことごとく受け止めているアズラルトの顔が自分と重なる。かつての自分の顔と重なっていく。




 「アイシス女王陛下、既に魔導士団、騎士団ともにほぼ壊滅。城内にガジル帝国将兵の侵入を許したようです」

 アイシスは玉座の上で宰相からの報告を聞いていた。列強三国に囲まれた弱小国家のオリス魔法国。これまでに列強三国、そのいずれかの国にアイシスの国が併合されても不思議ではなかった。

 だが、時には属国となり、時には主従を誓った盟主国を裏切り、オリス魔法国は長い歴史を独立国として生き永らえてきた。

 しかし、いよいよ命運も尽き、国としての最後を迎えようとしているようだった。オリス魔法国の周囲にある魔法による障壁を施された高く固い城壁。その城門をこともあろうに、オリス魔法国の国民が開けてしまったのだ。

 理由は明白だった。長く続く終わりが見えない他国との戦いに国民は嫌気がさしたのだ。これ以上はオリス魔法国のために戦う理由を見出せなかったのだ。

 自分だけであれば仕方がないことなのだと納得できたのかもしれない。女王である以上、アイシスはそう思わなくもなかった。だが、まだ八歳と六歳にしかならないアイシスの愛する子供たちはどうなってしまうのだろう。

 国が併合されてしまえば、王家に連なる者たちは全てが殺されるはずだった。それが慣例だ。国民たちは王家の人間を差し出して、自分たちが生き残る道を選んだのだ。

 これまで善政だけを行ってきたと言うつもりはないが、悪政のみを行ってきたつもりもない。だが、国民たちは王家を差し出すこと。これを選択したのだった。

 そう。自分はまだいい。アイシスは再度、そう思った。女王なのだから国と滅びることは理に叶うのかもしれない。だが、子供たちは……。
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