閑話15「SDG’sぢゃて?」その3

文字数 1,126文字

【閑話15】

 前回は、300年前の日本・イギリス・フランスの歴史的背景みたいな、つまらぬ話をしましたのでな、今回は儂らしいエグい話でもしましょうかの。
 ほんでは、れっつらごー!なのぢゃ!

 ヨーロッパ諸国で下水道が敷設(ふせつ)されたのは、産業革命以降ぢゃから、その時代に、はまだ下水道は存在しなかったのぢゃな。

 そもそも、トイレなんぞと云う設備は、古今東西の民衆の住まいには、存在せぬものだったのでな、部屋の中の“おまる”に用を足すか、もしく、おおらかに野外で行っていたのぢゃな。
  所謂(いわゆる)“野糞”ぢゃよ。

 ヨーロッパの都市部にすむ民衆は、一日分の“もの”が溜まった“おまる”の中身を、部屋の窓から外に投棄しておった。
 そう、そのまま……、階下にベシャッと……。
 パリやロンドンの、小洒落たストリートの石畳は、民衆のアパルトマンの窓々から投棄せられた、糞尿で溢れていたそうぢゃな。

 当時の貴族が履いていたハイヒールは、糞尿を踏む靴底の面積を最小限にするために発明され、ひらりと肩から羽織ったマントは、突如として空から降ってくる“もの”から、大切な衣服を守るため、またイザと言うときには、ガバと被って頭部を汚物から守るために着用しておったのだとか……。

 はたまた、欧米の美徳が如く喧伝されておる“レディー・ファースト”なる習慣ぢゃがな、これも、貴族諸氏が同行の女性を先に歩かせ、頭上に汚物の危険が無いかどうかを確かめた上で、安全にその後を歩くためぢゃったそうな。 ケケッ。

 我が国では、平安時代の貴族や有力な武家は、寝殿造の部屋の一室を御簾(みす)で囲って樋殿(ひどの)と称し、樋箱(ひばこ)を置いてトイレとしていたのぢゃな。
 一方、民衆はおしなべて“野糞”でしてな、なぜか辻々の塀に向かって用を足していたらしいのぢゃ。
 そのへんのところは、当時の「餓鬼草子」と云う絵巻に面白可笑しく描かれておるので、興味のある方はぐぐってみて下され。

 鎌倉時代になると、鎌倉の若宮大路や小町大路には排水路があったようで、大路に隣接して屋敷を構えていた有力御家人の屋敷には、その排水路を引き込んで汚物を流す川屋と云うトイレがあったとか。
 これは本邦の水洗トイレの発祥ぢゃが、歴史的には、ヨーロッパのそれより、全然早いのぢゃよ。
 しかし、かの頼朝殿が幕府を開いた鎌倉の大路は、特に夏ともなれば臭気芬々だったのじゃろうことは容易に想像されるわい。

  また鎌倉時代には、地面に穴を掘って、穴の上に二枚の板を渡し、 その板の上にしゃがんで用を足す、と云う日本式“便所”の原型が出来たらしいわい。
 んで、これが、我が国の稲作の進歩と大いに関係があって、しかも、SDG'sと大いに関係ある話なのぢゃ! 


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