閑話30「身も蓋もない話」なのぢゃ!

文字数 1,302文字

【閑話30】

 今回は、身も蓋もない話をしますぞい。

  男女が服を着て行うのが、恋愛。
 男女が服を脱いで行うのが、性愛。
 恋愛とは……、性愛に至るまでの、一連の手続き……。
(あ~、炎上しそうぢゃわい)
(それに、今の時代、男女と限定してはならんの……。男男も女女もありですぞ)

  まず、愛という言葉ぢゃがな、日本古来の「愛」とは、愛玩・愛撫・愛好・愛着などの熟語からも分かるように、「かわいがる」とか「いとおしむ」という意味合いぢゃったし、それ以上の意味は無かったのよね。

  そこに、キリスト教の「アガペー」の概念が入り込んでから、ややこしくなるのぢゃな。 
 「アガペー」とは、神からの加護や、神の人間に対する「無限の愛」のことで、「無償の愛」とも「不朽の愛」とも云われるものですぢゃ。

 人間と云う存在は、現世ではなかなか「無償の愛」を実践することは困難ぢゃ。
  簡単に云えば、「自分の命を捨てても相手を救う」と思えるか? パッと実践できるか? つーことですぢゃ。
 本人が「愛」と思っていることでも、突き詰めてみると、自分の「エゴ」でしかなかったりする場合が多いのぢゃな。

 この「究極の愛」と云うべき「アガペー」を、明治時代に「愛」と訳してしまったときから、日本では、

「かわいがる」&「いとおしむ」=「アガペー」

 と云う図式になってしまった訳ぢゃ。
 ここから様々な誤解が生じる……。

「恋愛とは、至上の尊いものなのよ」
「愛人って、愛がつくから、奥さんより尊くて大事な存在なんでしょ! キィィ~ッ‼️」

明治時代に、「アガペー」を「愛」と訳さず、

 「慈悲」

 と訳せば良かったのぢゃ!
さすれば、現在のように「愛」と云う言葉が、過大評価されることはなかったのぢゃよ。

 そして、「恋愛」の「恋」と云う言葉ぢゃがな、「恋着」と云う熟語に代表されるように、「執着する」と云う意味合いが強いのぢゃな。
 さすれば、「恋愛」の「愛」がアガペー的な愛だとすれば、執着する「恋」と、手放す「愛」は、相反する言葉だと云えましょうな。

 儂が別に投稿しておる昔話で、平中(へいちゅう)が侍従の君に懸想した話を紹介したがの、恋着の情が昂じてしまうと、相手のオマルの中身まで見たくなってしまうと云う変質的な偏執、妄執に囚われてしまう訳ぢゃな。

  しかしこれ、平中ばかりを変態呼ばわり出来ないのぢゃよ。
  今から約二百年前の文政年間に活躍した、八代目市川団十郎は、当時絶世の美男と称されておってな、江戸市中の婦女子らの憧れの的であったのぢゃ……。
そのあまりの人気に、

「団十郎が舞台で浸かった(たらい)の水が、徳利一本一分(いちぶ)で売れた」
(一分は現在の2万円ほど)

「団十郎が吐いた痰を薄紙に挟み、団十郎様御痰(おたん)として、お城の奥女中らが肌守りにした」

などと云う逸話が残っておるのぢゃわい。

「 好きなお方のものならば、ご不浄のものでも嬉し、肌身に着けて置きたし」

 と云う恋着の情は、古今東西に関わらず、人間の(さが)というべきものなのぢゃな。ふむ。

話はまだ続くが、続きはまた次回ぢゃ!
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