閑話20「SDG’sぢゃて?」その7

文字数 1,529文字

【閑話20】 
 
 今回は、平安時代のSDG'sの話なのぢゃ。
 これまで、鎌倉時代の下肥(しもごえ)の活用法について縷々(るる)述べて来ましたがの、平安時代の農業には、まだ下肥は活用されておらんかったようぢゃな。
 
 と言うことは、毎朝体内から排泄される物体は、無用の長物として処理または放置されていた訳ぢゃな。
 その場合、古今東西で問題となるのが、都市生活者の処理方法なのぢゃ。

 この閑話では、これまで300年のロンドンやパリの、「ただ外に捨てるだけ~」の処理事情をお話して来ましたがの、千年前の平安京では、どのようにSDG'sしていたのでしょうか?なのぢゃ。

 まず結論から申し上げますとぢゃな、平安京に住む庶民の皆様は、毎朝、公衆便所ならぬ、“公衆便地”に出かけて行って、皆の衆で仲良く用を足していたのぢゃな。
 そう、町外れの空き地で、囲いも目隠しもな~んも無い空き地で、老若男女の区別無く、それぞれ思い思いに用を足していたのぢゃよ。

 「え~っ、ウッソ~」と思った方は、ネットで『餓鬼草子』と検索してみて下され。
 さすれば、千年前のめくるめく絵草紙が、皆の衆の目の前に出現さるはずぢゃ。

 この『餓鬼草子』は、様々なシチュエーションに様々な餓鬼共が描かれておるのぢゃがな、今回取り上げるのは、『食糞(じきふん)餓鬼の巻』ぢゃ。

  画面では、老若男女5人が仲良く用を足しておりますのう。
 餓鬼共は、彼らのひりたてのブツを喰らうために、待ち構えておるのぢゃよ。

 左端の杖をついたお爺は、いきなり中腰のままひり出しておりますのでな、すぐそばに構えていた餓鬼が、目を剥いて驚いておりますわい。
 きっとこのお爺は膝でも悪くて、しゃがめないのぢゃろうな。

 その右隣では、生成りの着物を着た妙齢の女子がしゃがんでおるのう。
 手前の餓鬼2匹は這いつくばって、まるで女の股ぐらを覗き見しているようですぞ。

 その隣の赤っぽい着物を頭から被った女は、背中を見せて黄色のブツをひり出しておりますぞ。
 このブツの色と形から見て、この女の健康状態は良好なのでしょうな。

 その手前には、全裸の少年が大人用の大きな下駄を履いき、棒切れに右手をついてしゃがんでおりますな。
 この少年は下痢しておりますわい。
  奥の女に何か話かけているようにも見えますな。

「お母ちゃん、おいら、今日もまた下痢だよ~。お腹痛いよ~」

 とでも言っておるのかのう。

 右端では、頭巾を被ったお婆が尻を向けてしゃがんでおって、ここでも餓鬼が今か今かと待ち構えておるのう。

 で、この場所が、“公衆便地”である証拠に、空き地には、先客のひり出したブツやら、紙やら、棒切れやらが散乱しておるのぢゃ。

 棒切れと云うのは、籌木(ちゅうぎ)と云うてな、これは用便後のおしりを拭く道具ぢゃ。
 全裸の少年が右手をついていた棒切れがそうぢゃ。

 あんな棒切れで、お尻の穴をどう拭いたら綺麗に出来るのか、現代人の我々には想像もつかんがの、貧乏な庶民は、この棒切れを使っていたそうぢゃ。

 画面には、使用済みの紙も落ちておるから、用便後に紙を使える比較的裕福な階層の人々も、この“公衆便地”を使っていたのではないかな?

 あとは、この5人の登場人物全員が高下駄を履いておるぢゃろ?
 これは、当時の“便所スリッパ”ぢゃ。
 当時は、普段は草履か裸足だったが、用便の際には、着物の裾にウンチが付かないように、また、オシッコのハネを避けるために、高下駄必需品だったのぢゃな。
 あの、おフランスのハイヒールの誕生と同じぢゃな。

 あらまっ! 目がショボショボしてきたと思ってら、1000次文字をだいぶ超過しておるではないか。
 儂の目も限界ぢゃ。
 皆の衆、続きは、また次回ぢゃ!
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