第3話

文字数 2,618文字

「このタイミングで、新曲だって?!」

 驚きの声を上げた河本くんは、今まで見たことのない形相でモニタを振り返る。
 予想外の事態に地下室の全員が黙り込み、VR空間のアオハルココロちゃんを映す画面に釘付けになっていた。

「わたしが宣伝大使を務めたテレビアニメ『無限星霜マギサマキア』、劇場版が制作されることは発表されてたよね? 実はそのテーマソングを歌うのがなんとなんと~、わたしなんです!」

 アオハルココロちゃんの告白に、コメント欄が爆発的に加速する。

「えええええっ! ほんとですか?!」

 一番大きな声を上げたのも桐子だった。
 当然だ、劇場版はまだプロモーション映像が発表されただけで、来年の公開ということ意外はまだ何も分かっていない。
 完全な初だし情報にアオハルココロファンだけでなく、配信を見ている全ての人間が盛り上がってコメントしていた。

「やられた……」

 河本くんが初めて見る苦々しい顔で言葉を漏らす。

「まさか、守秘義務をぶち抜いてまで、切り札を使ってくるなんて……完璧な不意打ちだ」

 自分を責めるように、河本くんは拳を握りしめている。不敵が持ち味のスミスさんでさえ、渋い表情をしていた。
 そんな重苦しい地下室に向かって、アオハルココロちゃんは画面の中のVR空間からどうだと言わんばかりに微笑みかける。

「それでは聞いてください……」

 アオハルココロちゃんは手にしていたままだった剣を、地面に突き立てる。
 剣の先から波紋が広がり、VR空間を塗り替えていく。
 廃墟のコロシアムから、寒々とした夜の荒野へ。

「【空っぽの詩】」

 囁くように言ったアオハルココロちゃんは、剣から姿を変えたマイクスタンドを掴む。

 ☆♪☆♪☆【空っぽの詩】☆♪☆♪☆

 爪弾くベースサウンドが漣のように寄せてくる。
 荒涼とした平原にアオハルココロがぽつんと立っている。
 もしそれが心象風景だったなら、常人が耐えられるとは思えない孤独な場所。
 夜風のように澄んだ歌声が響き渡る。


 気づいたら一人ぼっち

 波にのまれて足跡も消えていた

 地図もコンパスもない

 きみの温もりだけ握りしめていた


 その声は服も皮膚も通り抜け、身体の奥に染み入り焦燥を掻き立てる。
 誰もが後悔している、失った人、失った時、失った場所の記憶を刺激する。
 アオハルココロはそんな苦しみから人々を開放するために、巡礼の旅に出る。


 北極星を目指して歩いても

 凍える風に押されて進んでも

 きみの影さえ見つからない

 それは多分ぼくが悪いから


 アオハルココロは流れる雲のように歩きながら、荒野に歌いかけていく。
 自問なのか、いなくなってしまった誰かへのメッセージなのか分からない。
 何かを取り戻そうと、切なげに虚空へと手を伸ばしていた。


 優しくされたくて話しかけたけど

 空っぽのぼくはどもってしまう

 褒められたくて頑張ったけど

 空っぽのぼくは役に立たない

 でも、きみは一緒に居てくれた……


 伸ばした手は虚空を掴めず、ゆっくりと下がっていく。
 ここまでの振り付けは最小限だが、それが曲調と相まって彼女の輪郭を幾重にも大きく見せている。
 暖炉の火に魅入られるのように、人々はアオハルココロから目が離せないのだ。
 そうして視線を奪っている間に、間奏と共に景色が移ろぐ。
 荒野からニューヨークのタイムズスクエアへと変わっていく。


 きみがいるのはどっち

 名前も知らない国までやってきた

 言葉も分からない

 きみの写真だけ胸にしまっていた


 夜の異国の街を行き交う人々は早足で、誰一人としてアオハルココロのことを気に留めない。まるでそこに存在していないかのように、通り過ぎていく。
 アオハルココロは絢爛豪華な高層ビルが立ち並ぶ街路を進んでいく。


 道路標識を頼りに歩いても

 高いビルを目印に進んでも

 きみの声さえ聞こえない

 それは多分ぼくが悪いから


 アオハルココロが進むに連れて、華やかな町並みが徐々に暗さを増していく。
 宝石やブランド品が並ぶショーウィンドウから壁の落書きへと街の様子が変わっていた。
 ダウンタウンへと足を踏み入れたのだ。
 猥雑で危険に満ちた道を行こうとする彼女を止めるように、空からは雨が降ってくる。


 笑って欲しくて戯けたけど

 空っぽのぼくは怒らせた

 許して欲しくて謝ったけど

 空っぽのぼくは見つめられない

 でも、きみは一緒に居てくれた


 降りしきる雨の中、うらびれた教会がアオハルココロの眼の前に現れる。
 雨露を凌ごうと教会の扉を叩くが、堅く閉ざされたままだ。
 この世界の理不尽を訴えるように、アオハルココロは天を仰いで歌う。


 ソラの空っぽ ぼくの空っぽ

 満たしてくれる きみの声

 包んでくれる きみの眼差し


 アオハルココロは祈り続ける。
 たとえ天に届かなくても、その声が枯れるまで。


 愛されたくて愛したけれど

 空っぽのぼくは空っぽのままで


 どれほどの想いの後だろうか。
 雲が割れ、幾筋もの光が差し込む。
 その光線が照らしているのは、ここまでアオハルココロを見守っていた人(アバター)たちだ。


 愛されたくて愛したけれど

 空っぽのぼくは空っぽのままで


 光に包まれた人(アバター)たちがアオハルココロの歌声に導かれ、天へと昇っていく。
 選ばれし民だけが、天国の扉をくぐれるかのような光景だ。

 誰もがアオハルココロに身を任せる中でただ一人、灰姫レラだけは地上にとどまり続けていた。


 それでもきみは見つけてくれた

 この広い世界で…

 こんなぼくをみつけてくれた……


 地上最後の一人となった灰姫レラに、アオハルココロは自ら手を伸ばす。
 永遠の幸福を約束すると、優しいまなざしが言っている。


 きみの目にだけ映る世界で…

 こんなぼくをみつけてくれた……


 灰姫レラは最後まで、その手を掴むことは無かった。
 アオハルココロは曲の終わりと共に、天へと昇っていく。
 寂しげな微笑みを地上に残して――。

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