第7話

文字数 7,025文字

【前回までのあらすじ】
「中学の頃、学校に行っていない時期があったんです」
桐子の告白はどこに向かうのか?
運命の配信の先にあるものは?

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(配信で言っちゃった……私が中学の頃に不登校だったこと……)

 桐子の告白にコメント欄は案の定、荒れていた。

〈引きこもりだったの?〉
〈リアル高校生?〉
〈俺も学校いってない〉
〈不登校?〉
〈wwwwwww〉
〈今もニートでしょ〉
〈いじめられてたとか?〉
〈学校はクソだからな〉
〈過去形?〉
〈無理して行く必要ないし〉

 コメント欄は流星のように過ぎ去っていく。
 過去に投げつけられた言葉のように思えて、手が震えてしまう。

(なにか言わなくちゃ……何か……)

 焦れば焦るほど、嫌な笑い声が頭の中にこだまする。

(ダメ……)
「大丈夫だよ、香辻さん」

 囁く声は春の日差しのように穏やかで――。

「さあ、続けて」

 河本くんに少し強めに肩を叩かれると、心を覆っていた氷が音を立てて剥がれた。
 声に出す代わりに桐子は力強く頷いた。

「学校に行けなかった私は時間がいっぱいあって……何かしなくちゃって焦って、絵を描いてました。勉強は得意じゃなかったけど、もしかしたら絵なら誰にも迷惑をかけないで、生きていけるかもしれないって思って……。だから、ほんの少しだけ絵が描けるんです」

 桐子の重い話とは対象的に、過去動画の灰姫レラは上機嫌だ。

『せっかくだから、もっとアオハルココロちゃん描いちゃうよ!』

 キャンバスの余白に別の衣装を描きはじめる。

「それで参考にってVチューバーさんの動画を見るようになって……私はアオハルココロちゃんに出会ったんです」
『アオハルココロちゃんって、どんな衣装も可愛いよね!』
「アオハルココロちゃんの言葉に励まされて、私はまた学校に行けるようになりました」

 桐子の真剣さが伝わったのか、重過ぎるヤバイ奴だと思われたのか、コメント欄が完全にストップしていた。

(この雰囲気、ど、どうしましょう!)

 どうやって話を続けたらいいかと、桐子が戸惑っていると、河本くんが新たなカンペを出す。

【どうしてお絵かき配信がこれ一回だけなのか話して】

 また針で爪の間を刺すような痛い指令だった。

(なんで河本くんはこんなに人の弱点を突くのが上手いの!?)

 彼の穏やかな笑みが、実は悪魔の誘いなんじゃないかと思えてくる。
 それでも、信じるって決めたのだから、どんなことだって話すしかない。

「えっと……この配信中の私、すっごくウキウキしてるんです」
『見てみて、このちょっと斜めな顔! アオハルココロちゃんの可愛いところが出てるよね!』
「……見れば分かりますね。配信中もコメント欄も評判が良くて……すごく期待しちゃったんです」

 その後に桐子が話す内容を察したのか、現在のコメント欄が〈あっ〉で埋まる。

「全然まったくダメダメでした。アーカイブの再生数も伸びないし、アオハルココロちゃんのファンに下手くそだって怒られちゃいました」

 緊張しながら開いたダイレクトメールに罵詈雑言が書かれていてとてもショックだったし、描くのが怖くなってしまった。

「でも、よく考えたら、イラストレーターさんとか絵の上手い人達がネット上には沢山いて、ファンアートとかの凄い絵をいっぱい発表してるんです」

 他人と比べるなんて無意味だと言われても、弱い自分はどうしても比べてしまう。

「私のへたっぴな絵なんて、誰も必要としてないんだなって思ったら虚しくなってしまって……、それだったらゲーム配信とか誰にも迷惑をかけない配信がいいかなって……それで、お絵かき配信はこれっきりになっちゃいました」

〈もったいないよ〉
〈変なやつの言うことなんて聞く必要ないでしょ〉
〈上手いと思うけど〉
〈もっとお絵かきみてみたい!〉

 コメント欄には灰姫レラを気遣う優しい言葉が溢れていた。普段は異常に気になる負のコメントがなぜかまったく目に入らなかった。

「ありがとうございます。それじゃあ今度、第2回お絵かき配信しますね!」

 今日の配信で桐子は、はじめて心からの笑顔を見せることができた。

『はい、イベントパーカーを着たアオハルココロちゃんでした!』

 ちょうど過去の灰姫レラがイラストを描き終えたところで、河本くんが動画を切り替える。

「次は#79の雑談配信です」

 再生は思いっきり動画の途中から始まった。

『それで友達がフラペチーノを頼んだんだけど、さっきクレープを食べたばかりなのによく食べられるなって――』

 得意げに女子高生っぽいトークを繰り広げる過去の灰姫レラ。
 桐子は頭を抱えずにはいられなかった。

「これ、今まで一番キツイやつですけど……少しだけお付き合いください……」

 恥ずかしくて消え去りそうな桐子の声に、コメント欄も戸惑っている。

〈これ、何のはなし?〉
〈女子トーーーク〉
〈少女漫画でありそう〉
〈だいぶ浅瀬な話してるぞ〉
〈浅瀬ちゃぷちゃぷw〉

 ゲーム配信での醜態や、お絵かき配信での告白も情けなかったけれど、この雑談動画は振り返りのキツさという意味では段違いだ。

『そうそう、学校で友達同士でネイルにハートを入れ合うのが流行ってて、昼休みはワタシの机にみんなが集まって――』
「この頃は特にネタ切れが激しくて……」

 歯切れの悪い桐子に代わって、過去の灰姫レラは絶好調で友達との自撮りを語っている。

『昨日はどれだけ変な指の曲げ方が出来るかって友達と話しして、一番すごかったのが右手と左手が別々の動きで、こう、わちゃわちゃっと曲げ伸ばしして――』
「これ全部、インチキなんです。私のことじゃなくて、クラスメイトが楽しく話してるのを盗み聞きしたり、ネットで調べたことを話してるだけなんです。私、友達がいなくて……」

〈知ってた〉
〈そんな感じする〉
〈僕も友達いない〉
〈あー、わかるわかる〉

 空虚な雑談を繰り広げる過去の灰姫レラの音声がフェードアウトしていく。

「灰姫レラのキャラクターも、私のクラスに居る素敵な女の子を参考にさせてもらってたんです」

 名前は出さなかったけれど、夜川さんのことだ。

「嘘、偽物、借り物……それで誰かを笑顔にさせられるわけないですよね」

 桐子はきっかけをくれた河本くんを見る。

「全部話したらスッキリしました。聞いてくれてありがとうございます」

 胸のつっかえがとれた桐子が深くお辞儀をすると、灰姫レラも多少ぎこちなかったけれど同じように頭を下げた。

〈元気だして!〉
〈新しい灰姫レラ頑張って!〉
〈応援します!〉
〈ずっと見てきたし、これからも見るよ!〉

 真摯な言葉が通じたのか、コメントが優しい言葉で満ちる。
 振り返り動画はこれで終わり。
 後は台本は締めの言葉を言うだけだ。

「それでは……?」

 言いかけた桐子の言葉が止まる。
 また別の動画が映し出されていた。

(あれ? 河本くん、何か間違ってるんじゃ)

 尋ねるように横を見ると、河本くんはあと少しだけと言うように人差し指を一本立てていた。
 予定外の事態に桐子が戸惑っているうちに、動画が始まってしまう。

『は、はじめまして、ワタシは灰姫レラ!』

 少し上ずった声が聞こえ、ひどく緊張した様子で胸の前で手を握る灰姫レラの姿が映し出された。

「私が初めて配信した自己紹介……」
『東京のお嬢様学校に通いながら、えっと、いろんな人達と交流したくてVチューバーを始めたの! な、仲良くしてね!』

 たどたどしい喋りは聞きづらいけれど、初々しさの中に希望の光が輝いている。

『あれ? 背景がまっくろ? うそ? どうやって直すの? 背景のお城、どこ行っちゃったの?』
「ソフトの使い方も全然理解してないのに、勢いだけで配信を始めちゃって……」
『あ、直った!』

 過去の慌てる灰姫レラと、現在の落ち着いている灰姫レラが画面上で並ぶ。

『って! 今度は、なんかカクカクしてる?! あー、うーー、回線はいいはずなんだけど……さっきチェックした時も回線速度でてたし……もしかして近所で回線工事でもしてる?』
「あはっ、私、回線が悪いことばかり言ってますね」
『あ、品質って項目が最高になってるから? これを下げて……あ、いい感じ? かも?』
「この時から失敗ばっかり……やる気だけは溢れてて、自分を変えたいって気持ちだけはありました……結局、空回りばっかりしちゃいましたけど」

 桐子が昔を思い出してしんみりしていると、河本くんのカンペが現れる。

【なんで無理して陽キャを演じていたの?】

 前までだったら誤魔化してしまったかもしれない質問だったけれど、今なら本当のことが配信でみんなに言える。

「私、アオハルココロちゃんみたいになりたかったんです。ネットの向こうにいる皆を元気づけられるようなVチューバーに……憧れて」
『これからいっぱい配信をしていくから、いっぱい応援してね!』
「でも実際に始めてみたら、全然上手くいかなくて……失敗ばっかりだし、全然見てもらえないし……」

 桐子は過去動画の灰姫レラを見つめる。
 不出来であまり可愛くないモデルだ。
 自分の失敗を詰め込んだような姿をしている。
 けれど、今はとても愛おしく思えた。

『いつかアオハルココロちゃんみたいな素敵なVチューバーになるのが夢なの!』
「私は……誰かに楽しんでもらいたかったんです。絶望していた私が、アオハルココロちゃんに笑顔をもらえたから……」

 昂ぶる感情に桐子の声は震えていた。

『ゲームに雑談! 朗読! 歌と踊りも! なんでもやっちゃうよ!』
「クソザコな私でも何か出来るって……し、示したかったんです! み、みんなに、うぐ、見てもらいたかったんです!」

 鼻がずびずびと情けない音を立て、モニタが滲んでいる

〈泣かないで〉
〈すぐ泣く〉
〈ガチ泣き頂きました!〉

「な、泣いてません! Vチューバーは配信で泣いたりしないんです! ちょっと、あの、中身の、えっと、バーチャルです! バーチャル体液が漏れちゃってるだけなんでずぅ! 泣いでまぜんからぁああ! げほげほっ」

 嘔吐いてむせていては説得力は皆無だけれど、視聴者のコメントはあたたかい。

〈頑張れ!〉
〈がんばれーー!〉
〈応援してる!〉
〈初見でしたが、また見に来ます〉

『まずは登録者100人を目指して頑張ります!』
「だ、だから……笑顔を届けられるように、が、がんばりますから、えっぐ……これからもよろしくお願いします!」

(やっと、これで配信終わり……)

 ではなかった。
 河本くんが慌てた様子で手を伸ばし、台本の最後の行を指差す。

「わ、忘れてました! げほっ、よかったら、チャ、チャンネル登録おねがいします」
『チャンネル登録お願いします!』

 過去と現在、二人の灰姫レラが一緒に頭を下げる。

〈8888888〉
〈おつー〉
〈おつおつ!〉
〈登録しました!〉
〈おつおつおー〉
〈がんばってー〉

 視聴者のコメントに見送られ、配信画面がサムネイル画像に切り替わる。

「あああぁああああ! みんなぁ、やざじぃぃいよぉおおお!」

 配信マイクが切れる前から桐子は声を上げて泣いてしまっていた。
 気づいたけれど声にならない獣みたいな泣き声は続いた。
 河本くんは何も言わずに桐子が泣き止むのを待ってくれた。

「えっぐっ……ひっ……はぁはぁ……お、おわっだぁ……、こんなに……つ、疲れたのはじめてぇ……」

 差し出されたティッシュで涙を拭いて鼻をかむ。デロデロになったティッシュが恥ずかしくて、机の横のゴミ箱に隠すように捨てた。
 桐子が落ち着くのを待って、河本くんはモニタに映ったままだった配信のチャンネルページを指差す。

「チャンネル登録者数、100人突破おめでとう!」
「ひゃくぅ……?」

 信じられなくて、ページを更新すると103人になっていた。

「えっ……うぅ、河本くんはいじわるですぅうう! なんで泣いてる時に言ってくれないんですかぁああああ!」

 流し尽くしたと思っていた涙が溢れてしまって、またティッシュで拭いて鼻をかまなければならなくなった。

「うぐっ……ぐす……こんなクソザコな私を、ひゃ、ひゃくにんもぉ……えぐっ、なんで受け入れてくれたんですか……」
「もちろん香辻さんが頑張ったからに決まってる。言葉にしなくても、香辻さんの根っこの部分が伝わってたんだよ」
「えぇ……昔の灰姫レラの陽キャ演技、完璧じゃなかったですか?」
「どこからその自信が?」

 呆れる河本くんに桐子は釈然としないと口を尖らせる。

「いいじゃないですか、夢見たって!」
「そうだね、あはっ、そうだよね、あはははっ」

 ひとしきり笑った河本くんは目元を拭って、ふっと真剣な表情を見せる。

「言わないと伝わないこともあるけど、言わなくても伝わることだってある。どっちにしたって、いちばん大切なことだけは、絶対に伝わるって僕は信じてる」
「謎かけみたいです」
「そうかもね」

 白い歯を見せる河本くんに、桐子も頬を緩める。

「今日の配信で、私が最初に持ってた想いが思い出せました。河本くんの言いたいことが私には伝わったからかも」

 どうだろうと首を傾げた河本くんは、モニタに映ったままの灰姫レラを見る。

「本当に大切なものだけ譲らなければ、キャラ付けとか問題じゃない。灰姫レラの魅力は視聴者に伝わったよ」
「だと良いですね」

 二人は肩を並べて、モニタを見つめる。
 配信を終えた灰姫レラは、眠るように目を閉じていた。

(な、なんだか胸が……緊張して……)

 配信が終わったはずなのに、桐子の胸はドキドキと高鳴ったままだった。

「僕は見つけたかもしれない……」

 河本くんの呟きが聞こえた。

「え? 何が」
「あっ! もうこんな時間!」

 桐子の尋ねる声に河本くんの声が被さる。
 時計は21時30分を過ぎていた。

「配信終わったのにダラダラしちゃってごめん。もう帰るね!」

 河本くんは慌しくリュックを掴む。

「あ、玄関まで送ります!」

 桐子と河本くんが部屋を出て一階に降りると、ほっておかれた犬のテンちゃんが飛びかってきた。

「ワンワン」

 間一髪でテンちゃんを抱きとめる桐子。

「わ、私が抑えているから、河本くんは早く!」
「うん、また月曜日」
「は、はい、また月曜日に!」

 桐子はテンちゃんを捕まえながらの変な体勢で、玄関から出ていく河本くんを見送った。

「はぁう……」

 玄関が完全に閉まってから、桐子は廊下にへたり込む。
 ご主人のいつもと違う様子に気づいたのか、テンちゃんはどうしたのと問うように桐子の顔を覗き込む。

「ほんと、私、どうしちゃったんでしょう……」

 落ち着かない胸の内側を持て余した桐子は、テンちゃんを抱きしめようとする。
 しかし、テンちゃんは面倒だとでも言いたげに、桐子の腕からするりと逃げてしまった。

 ■□■□■□■□■□

 明けて土曜日、Vチューバーを扱う小さな個人ブログに、『灰姫レラ』の記事が乗った。
〈配信中にガチ泣き? 泣き虫Vチューバーは根性の動画100本ノック!〉
 全体のPV数も少ないブログだ。見ているのは本当に初期からのマニアだけだ。
 記事を書いた管理人にしたって、たいして反響があるとは思っていない、完全に趣味のブログ。

 しかし、趣味であるがゆえの着眼点の良さを知っている人々はいた。
 その人物も、そんな閲覧者の一人だ。

「灰姫レラ……」

 千以上のVチューバーの名前を覚えている自分が聞いたことのないVチューバーだった。

 記事で紹介されていた動画を見た感想は――。

「……一人じゃない。誰かがサポートしている」

 さらに気になることが一つあった。
 ツイッターの宣伝リツイート数は16。全て遡るのは簡単だった。

「へぇ、そういうこと」

 最初の一人はよく知る人物だった。

「やっと動き出したのね。やっと……!」

 そうつぶやいて、『彼女』は笑った。

####################################

#02完結です。
無事に配信を成功させた桐子とヒロト。
彼らを待ち受ける運命は?
配信を見ていた『彼女』とは?

――そして物語は『プロローグ』へと繋がる。

『お気に入り』や『いいね』『感想』等ありましたら是非お願いします!

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