第3話

文字数 9,973文字

【前回までのあらすじ】
ヒロトの助言で新曲の作詞をやり遂げた桐子。
作曲家スミスの反応も上々だ。

これで曲は完成したけれど、
まだパーフォーマンスは完成していない。
アオハルココロとの対決まで一週間を切ってしまった。
果たして『灰姫レラ』は間に合うのか?!

####################################

 土曜日の朝9時30分、秘密基地にスマホの小さな通知音が響く。

〈起きてますか? 秘密基地に着きました〉

 青いハートマークのアイコンは香辻さんからの連絡だ。今日は学校が休みなので秘密基地に来てもらうことになっていた。
 鍵はかかっていないからそのまま入って良いと伝え忘れていたようだ。
 パソコンのある作業スペースを離れて、入り口の扉へ。厚めの扉で防音がしっかりしている反面、少しぐらいのノックでは気づかないのが欠点だ。

「いま開けるよー」

 大きめの声をかけてから扉を引き開ける。

「お、おはようございます!」

 ペコリとお辞儀をする香辻さん。始めて目にする私服は――。

「学校のジャージなんだ」

 見慣れている高校の指定ジャージに、ほんの少しだけがっかりしてしまう。

「今日は動きやすい格好が良いって言われたので……あっ、学校じゃないのに変でした?」

 香辻さんは腕を伸ばして自分のジャージ姿を見回す。小柄な彼女にはサイズが少し大きめで、袖が余っていて若干ダボッとしている。

「ううん、変じゃないけど学校に持っていくのに洗濯とか大丈夫?」
「乾燥機がありますから! 超高性能なんで余裕です!」

 フフンと鼻を鳴らして香辻さんは自慢げに胸を張る。窮屈そうな胸元が、どうして彼女が大きめのサイズを着ているのかを如実に語っていた。

「休みの日にジャージで集合なんて部活みたいですね! って、私、部活って入ったことないんですけど」

 秘密基地の扉をくぐった香辻さんはウサギみたいにぴょんと跳ねる。
 ちなみに学校のジャージは、スポーツブランドが出しているようなスタイリッシュなものではない。香辻さんはもう少し着るものに頓着した方が良いような気がしたけれど、本人が嬉しそうなら野暮なツッコミは無しだろう。

「私のジャージのことより、河本くんはなんで制服着てるんですか?」

 言われたヒロトは制服のスラックスにYシャツ姿だった。

「あ、そういえば、昨日帰ってきて、そのまま作業して……完全に忘れてた」

 香辻さんが作詞をやり遂げたことに触発され、行き場のない興奮をパソコン作業にぶつけていた。

「河本くん! 私に無理するなって言って、自分はそれですか?」

 眉を吊り上げた香辻さんは、ヒロトのネクタイを人差し指でつつく。指先に込められた力で、かなり怒っていることが分かってしまう。

「ちゃんと寝たから……」
「本当ですか? ベッドも布団もここにはありませんけど?」

 香辻さんは広いスタジオを大げさな仕草で見回す。

「……そこのソファーで」

 クッションがヘタれて穴の空いたソファーをヒロトがおずおずと指差す。
 香辻さんの目がギラリと光る。

「きちんとお風呂に入って、ベッドで寝て下さい!」
「え、臭う? そっちに消臭スプレーが……」
「そういうことじゃないです!」

 軽く冗談を言ったつもりが、本気で香辻さんに怒られてしまう。

『うくく……アハハハハハッ!』

 耐えきれないとばかりの笑い声が、スタジオに響き渡った。

「その声って……スミスさん? のお化け?」

 香辻さんはおっかなびっくり声がした方向を探る。

『死んじゃいねえよ』

 パソコンのモニターの中で、黒コートのアバターがふんぞり返っていた。

「VRワールドで会って話してたんだ」
『脅迫してたの間違いだろ?』

 スミスは不機嫌さを隠さずに言う。

「河本くんが? スミスさんを? 脅迫?」

 香辻さんは人差し指を顎に当てて、不思議そうに首をかしげる。

「灰姫レラの歌の指導をスミスに頼んだんだ。ちょっと強引にね」
『ちょっとじゃねえっ! 昔の話を持ち出しやがって!』
「どんな弱みですか?」

 キレるスミスと、興味津々の香辻さん。

『フリフリは聞きたがるなっ!』
「二人で組んでた頃に何日も徹夜が続いて――」
『ヒロトも話すんじゃねえっ!』

 全力でツッコミ続けたスミスは肩で息をする。

『はぁはぁ、これ以上その蒸し返すなら本気で俺は消えるからな!』
「おっと、スミスに帰られたら困るから、この話の続きは学校でね」
『ぶっ殺すぞ!』

 直接手が出せないのを良いことにヒロトが調子に乗っていると、スミスがモニター画面いっぱいまで近づいてアバターの怒り顔を映した。

「まあまあ、おふざけはこれぐらいにして」
『ったく、誰のせいだよ……』

 なだめるヒロトをスミスはひと睨みしてから、付き合いきれないと首を振る。

『つーわけで、俺が歌の指導をすることになった。ありがたく思えよ』
「はい! よろしくおねがいします! スミス先生!」

 畏まってカメラに向かって頭を下げる香辻さんに、スミスはうんざりだと舌打ちする。

『先生はムカつくからやめろ。スミスでいい』
「はい、スミスさん。あらためて、よろしくおねがいします!」
『お、おう』

 素直に訂正してもう一度お辞儀をする香辻さんに、スミスは調子が狂うとでも言いたげに頷く。

『まずは俺の曲と仮歌は聞いたな?』
「はい! すっっっごくよかったです! 私が作詞したはずなのに、全然恥ずかしくなかったんです! 作曲が素晴らしすぎて、圧倒されて! ここに来るまでもずっと聞いてました!」

 香辻さんは興奮して早口で捲し立て、ポシェットからスマホとイヤホンを引っ張り出してみせた。

『俺の曲がすげーのは、焼き立てのトーストにあんこが最高なぐらい自明なんだよ。問題はそのあんこが、『つぶあん』か『こしあん』かだ』
「えっと……どっちのあんこが良いんですか?」
『つぶあんに決まってんだろ! 歌い手ならそれぐらい分かれ!』
「えっ、えっ……わ、わかるように努力します……」

 スミスの無茶苦茶な話を香辻さんはなんとか理解しようと頭を捻っている。
 おそらく『音』の『粒』についてスミスは話しているつもりなのだろうが、会って間もない香辻さんに通じるわけもない。

『とにかくだ、あと一週間しかねえ、とっとと始めっぞ!』
「あっ! その前に一ついいですか?」
『なんだ、泣き言か遺言か?』

 訝しむスミスに背を向けた香辻さんは、ビシッとヒロトを指差す。

「河本くんは、シャワーを浴びて、制服から着替えて来て下さい!」
「えぇ……面倒だし、1日ぐらい」
「ダメですっ!」

 渋るヒロトに香辻さんはピシャリと言い放つ。

「身なりに気を遣えないのは、寝不足と同じぐらいメンタルによくないです! 元ひきこもりが言うんだから間違いありません!」
「……はい、着替えてきます」

 その話を持ち出されたら、ヒロトは観念するしかなかった。

『アハハハハハッ! いいぞ! ばっちい奴は最悪だよな! 耳の裏からケツまでしっかり洗ってこいよ、ヒロト!』

 スミスの笑い声と香辻さんの厳しい視線に、ヒロトは地下の秘密基地を追い立てられた。
 外に出て陽の光を浴びると、目眩まではいかない視界の揺れがあった。自分では気づかないけれど、身体は正直に疲れていた。
 建物の三階にある自宅に行って、香辻さんに言われたとおりにシャワーと着替えを済ませる。サッパリ身ぎれいにすると、頭まで冴えてくるような気がした。
 なぜ自分はあんなにシャワーを面倒くさがっていたのか不思議なぐらいだ。
 30分ほどかかって、地下の秘密基地に戻ると――。

『だから、キーがちげえっての! 聞いてて、わっかんねーかな?』
「ずみまぜんん……クソザコダンゴムシが植木の下から出てきてしまってぇええ……」

 ぷりぷり怒るスミスを前に、香辻さんは完全に自信を喪失して丸まっていた。僅か30分の間に心を折るあたり、スミスは一切の手加減をしていないようだ。

「二人とも調子がいいみたいだね」

 コーヒーメーカーを動かしたヒロトはコップを準備する。

『調子がいいもなにも最高だ! こいつが音程をとれないこと以外はな!』
「うぅ……」

 申し訳なさそうにする香辻さんだったが、ヒロトには少し不思議だった。

「スミス、この曲ってそんなに歌うのが難しいの?」
『アオハルココロの歌が全部歌えるなら歌えるはずだ。こっからキーもテンポも弄る必要はねえよ』

 憮然と答えるスミスに香辻さんはさらに小さくなる。

「ちなみに香辻さんはどうやってアオハルココロの歌を練習したの?」
「いっぱい聞いて、真似する練習をしました……」
「なるほど。理想のお手本があったから近づけたわけか。スミスの仮歌じゃ声もソフトで弄ってるし、その方法は通じないね」

 アオハルココロに関することなら『灰姫レラ』は200%の力を発揮できる。それを利用する方法もあるけれど――。

「アレを使って練習しよう」
『はぁっ? そんな悠長なことしてる時間なんて』
「たとえ収束する結果は一緒だとしても、過程を大事にしたい。それが灰姫レラにとって重要だからね」
『……分かった。間に合わなくなっても知らねえぞ』
「そこは二人を信じてるから」

 ヒロトはそう言いながら、VR機器のセットを香辻さんに渡す。

「VRでどうやって歌の練習するんですか?」
「このゲームを使うんだ」

 メニューから〈メロディシューター〉というタイトルを選んで起動する。

「普通のモニタでもプレイできるけど、HMDを使ったほうがもっと『体感』しやすいからね」
「あっ! これ知ってます! アオハルココロちゃんが動画でプレイしてたやつですね!」

 HMDを被った香辻さんが興奮気味に言う。

『そうだ、アオハルココロの奴もこのゲームを使ってボイストレーニングをした。もっともあいつはすぐに全モードの最高難易度までクリアできるようになっちまったけどな』
「さすがアオハルココロちゃんです!」

 つまらなそうに肩をすくめるスミスに対して、香辻さんの方はテンションが上っていた。

「各モードに残ってるハイスコアが全部アオハルココロのだよ」

 ヒロトがカーソルを合わせると、数億点というポイントがずらずらと現れる。

「まさか、これを超えろなんて……」
『そこまでフリフリに期待しちゃいねえよ。だがな、俺が指導してやるんだから、ハードぐらいは余裕でクリアできるようになってもらわないとなぁ』

 スミスの脅すような声に香辻さんは露骨に怯えていた。

「ちょうどいいから、『灰姫レラ』のゲーム動画として公開しよう」
「ええええっ! ただの練習じゃないんですか!」

 追い打ちをかけられた香辻さんはコントローラーを握って震えている。

「最近、生配信も動画公開もできてないでしょ? それに見られてるって意識があった方が上達が早いかも」
『そうだな、常に本番を意識するのはわるくねえ練習方法だ』
「……はーい、分かりました」

 二人がかりで攻められては守りきれないと、香辻さんは渋々白旗を上げた。
 ヒロトは動画撮影用に挨拶のカンペをサラサラっと書き上げ、香辻さんのHMDの視界の端に表示する。

「さっそく撮影始めるよ」

 機材もソフトも準備は出来ていたので、録画ボタンを押すだけだ。外付けハードディスクがカリカリと回り始めた。

「はぁ……」
「香辻さん、もう録画してるよ」
「えっ! は、はい! それじゃあ始めていきます。ボッ、ボンジュ~ル」
「はい、もう一度、頭から挨拶してね」

 モニタでVR空間にいる灰姫レラをチェックしながらヒロトはリテイクを出す。
 香辻さんは背筋を伸ばしてカンペをチェックすると、フーっと一度息を整えた。

「ボンジュール! 灰姫レラです! 最近は配信もできなくてごめんなさい! アオハルココロちゃんとのコラボ配信に向けて色々準備してるんです。今日はその一端をみんなに見てもらおうかと思います!」

 二回目は噛まずに言えたのが自信になったのか、灰姫レラは積極的にカメラ目線になっている。

「実はアオハルココロちゃんやみんなに聞いてもらおうと、歌の練習をしてるんですけど……全然上手く行かないんです! そこでこのゲームでボイストレーニングをしようと思います」

 配信がゲーム画面に切り替わり、3D空間が映し出される。サイバーパンクを思わせるネオンカラーで奥行きが表現されている。
 灰姫レラは画面の手前に立ち、銃を握っている。

「音楽ゲームの〈メロディシューター〉です! えっと、アオハルココロちゃんもこれで腕を磨いたという、由緒正しいゲームです!」

 カンペにないアドリブも交えるあたりに、トーク力の成長が伺える。

「そして、なんと今回は特別講師をお呼びしました……作曲家のブラックスミスさんです!」

 タイミングを合わせて、画面の左端にスミスのアバターを表示(オーバーレイ)させる。

『鬼教官のブラックスミスだ。ビシビシいくぜ!』

 ノリノリで応じるスミスのアバターは、いつの間にか手に竹刀を持っていた。
「お、お願いします……」
『だっしゃあっ! さっさと始めっぞ!』

 スミスが竹刀をバシッと叩きつけるのに合わせて、ゲームがスタートする。
「待って下さい! まだチュートリアルもやってませんよ!」

 あわあわと手をばたつかせる灰姫レラだったが、もう遅い。3D空間の奥から、♪マークが描かれた箱が迫ってくる。

「じゅ、銃ですか? って、撃てません! いきなり弾切れです!」

 灰姫レラが狼狽えているうちに、箱は画面手前のラインを越えてしまい『MISS!』と表示される。

『音をよく聞け!』
「お、音? あ、何か鳴ってます!」

 ピアノの鍵盤を叩いたような音と共に、箱はこちらに近づいていた。

『箱が放っているのと同じ音程で声を出せ!』
「は、はい! ア、ア~~~」

 灰姫レラの銃からレーザーが発射されるが、高さが足りず箱の下の方を通り過ぎてしまう。

『もっと上げろ!』
「アーーーーーーーー!」

 声を高くすると銃口の角度も大きくなり、見事にレーザーが箱に命中、『63』とポイントが表示され、『1COMB』が加算される。

「やりました! 命中しましたよ!」
『死にたいのか! 一発あてたぐらいで油断するな! 次々来るぞ!』

 音の『高さ』の違う箱が、次々に灰姫レラに襲いかかる。

「アッ! アーーー、ぎゃっ! ア~~! アーーーアーーー! ちょっ、なんで全然当たらないんですか!」

 思い通りにならず、灰姫レラが放つ声のレーザーは明後日の角度で飛んでいく。
 結局、箱を4つほど壊したところで1ゲームが終わってしまう。

『だから音をよく聞け! このステージはCメジャーでキーが一定だ』
「キーが一定?」
『ドレミファソラシドが変わらねえってことだ!』
「変わるって?」

 魔法使いの呪文を聞かされているかのように、灰姫レラは首を傾げ続ける。

『最初に【ド】の音を合わせたら、そっから【レミファソラシド】ってあげてけってことだ! わかったな? っていうか、わかりやがれ!』
「は、はい! よくわかってないけど、わかりました!」
『じゃあ、もう一度最初からだ!』

 二人の微妙に噛み合わないやり取りを、ヒロトは笑い声を殺して聞いていた。
 新人兵士とスパルタ教官のゲーム動画は、なかなか良いものになりそうだ。


 収録(トレーニング)は3時間に及んだ。
 最初はどうなることかと思った『灰姫レラ』のゲームプレイも、終盤にはどうにかノーマルモードをクリアできるようになっていた。

「オッケー、撮れ高十分だしゲームでのトレーニングはこれぐらいにしようか」
「はひぃ~」

 ヒロトの一声で香辻さんは床にへたり込む。

『はぁはぁ……今まで教えた中で一番手がかかりやがる』

 指導に熱が入りすぎたスミスも呼吸が荒い。作曲家はもちろんゲーマーとしても二徹三徹が余裕なスミスが、短時間でここまで疲れているのはヒロトも初めて見た気がする。

「すみませぇ~ん、お手数をおかけいたしますぅ……」

 へろへろの香辻さんがひっくり返りながら謝った。

「そろそろお昼休憩にしよっか」

 時計の針はもう1時を指していた。

『午後からも覚悟しとけよ、フリフリ!』
「あうぅ……が、がんばります……」

 スミスの脅しに香辻さんは戦々恐々と、小さな身体をダンゴムシみたいに丸めた。


 その後、1時間のお昼休憩を挟んで、新曲のレッスンが始まった。
 宣言通りスミスの指導は厳しかったけれど、香辻さんはへこたれず立ち向かっていた。
 歌や音楽に関してヒロトができることはほとんどない。精々マイクやソフトウェアの調整ぐらいで、後は横で聞いているだけだ。
 もちろん、香辻さんの訓練をボーッと眺めているなんて時間の無駄は出来ない。
 〈メロディシューター〉のプレイ動画を編集し、その後は実際のパフォーマンス対決で使うプログラムを準備していた。
 すでに演出の大枠は頭の中では完成して、簡単なコンテも切ってある。
 エフェクト・オブジェクト・SE等など、単純な素材だけでも1000を超える予定だ。必要なものを手持ちの素材集で探したり、ストアで買ったり、それでも見つからなければ自作しなければならない。
 素材を組み上げて、VR空間上でテストを繰り返し、できれば前日にゲネプロを行いたい。そうなると時間はいくらあっても足りない。
 一人でこなすには物量的にも厳しく、根気のいる作業だけれど――。

『くらぁああっ! また出だしでつっかえた! 反応が5フレーム遅いんだよ! そんなんじゃ中段技たてねえぞ!』
「中段技ってなんですかぁああ! 私、もう立ってますからぁあ!」

『もっとはっきり声出せや! クソレートの端末にも、歌をしっかり届けてやるんだよっ!』
「はぃいいい! アイウエオ・アオ! アメンボ赤いなアイウエオォオオオオ!」

 楽しいBGMにだけは事欠かない。

 そうして、二人の特訓とヒロトの作業は夜まで続いた。


『はぁ……はぁ……今日のところは……これぐらいで勘弁してやるぜ……』
「はい、どうも、ありがとうございましたぁ……」

 カメラに向かってペコリと頭を下げる香辻さんと、アバターが白目を向いているスミス。許しを出した方が完全に疲れ果ていた。

『明日は俺は用事があって特訓には付き合えねえから、宿題を2つ出しておく。まずは曲のテンポを身体に叩き込んでおけ。それとメロディシューターを最低でもノーマルまでクリアしておけ』
「が、頑張ります……」
『頑張りますじゃねえ! 絶対にやるんだよ!』
「はいっ! やってみせます!」

 座り込んでいた香辻さんは、勢いよく立ち上がって返事をする。

「遅くまでごめんね、香辻さん」
「私は大丈夫です。それより河本くんが少し休んだほうが良いですよ。ずっとパソコンに向き合ってると、身体がコチコチになっちゃいますから」

 そう言いながら香辻さんは、使っていたマイクスタンドを持ち上げる。

「あ、片付けはいいよ。それより家の人が心配するから、早く帰った方がいい」
「で、でも」
「いいからいいから。家に帰ってリラックスして休むのが『灰姫レラ』の役目だよ」

 ヒロトは遠慮する香辻さんに荷物のポシェットを押し付けると、強引に秘密基地の出入り口まで背中を押す。

「それじゃあ、また明日ね」
「はい、河本くんもちゃんと寝てください。今日も徹夜とかしてたら、明日は無理矢理にでもお昼寝させちゃいますからね」
「わかってるから。きちんと寝るよ」

 念を押した香辻さんは、それでもヒロトが心配だと扉が閉まるまでずっと視線を送り続けていた。
 扉が閉まり香辻さんの気配が消えるのを確認して、ヒロトは作業スペースに戻った。

「おつかれ、スミス」
『ああ、とんでもなく疲れたぜ』

 スミスは晴れ晴れとした様子で言った。

「トレーニングもそうだけど、曲を半日で仕上げてくれて本当に助かったよ」
『俺ならできるからやらせたんだろ』
「もちろん、僕が知る限り『最強』の作曲家だからね」

 ヒロトの衒いのない言葉にスミスは満更でもなさそうに鼻を鳴らす。

『ふん、お前が信じてたのはフリフリの方だろ?』
「二人ともだよ。あの歌詞はきみ好みだったからね」
『白々しい』
「それはお互い様だろ。香辻さんに何か変な事を言ったでしょ?」
『……お前の過去をちょっとな』

 少しだけスミスの声のトーンが下がった。

「僕の過去? ああ、そんなモノはどうでもいいよ。作詞についてだ」
『ヒロトに手助けしてもらうのはなし、そう言った』
「でも、僕は香辻さんに手を貸した。それぐらい気づいてたよね」

 問いかけにスミスのアバターが頷く。

『まあな、フリフリの奴がたった3日で、まともな歌詞を書き上げられるとは思ってなかった。こりゃ誰かさんが助言したってな』
「なんで失格にしなかったんだ?」
『おまえの方から手を貸すならアリだ。貸してなきゃ、今度こそ見限ってたかもなー』

 とぼけたように言ったスミスは目を細めて笑った。

「きみのテストに僕も合格できてよかった。これで本番の心配が一つ減ったよ」
『本番と言えばだ、生歌でやらせるのか?』
「当然」

 ヒロトの答えにスミスは渋い顔をする。

『フリフリの奴がキツイんじゃないか?』
「キツくてもやってもらうよ」

 ヒロトのぶれない返答に、スミスはやれやれと肩をすくめて掌を返す。

『わーった、歌はなんとか仕上げてやる。振り付けの方はどうする? ぼったちってわけにはいかねえだろ』
「もちろん灰姫レラには踊ってもらう」
『お前が3Dモデルに直接モーションをつけるのか? そんな時間』
「違う。生ダンスだよ」

 即答するヒロトにスミスは正気を疑うと口を大きく開ける。

『はぁっ? あいつ歌で手一杯だぞ。どうやって? それに誰が教えるんだ?』
「一人心当たりがある。彼女に最適の講師がね」
『……おまえ、いま悪い顔してるだろ? カメラに写ってなくてもわかるからな』
「そうかな?」

 呆れ顔のスミスの指摘に、ヒロトは頬を押さえてみる。言われなければ気づかないぐらい僅かに口角があがっていた。

『フリフリの奴が不憫だぜ。こんな性悪にプロデュースされてよ』
「鬼教官には言われたくないな」
『頼んだのはおまえだろ、ヒロト』
「確かにそうだった」

 ヒロトがとぼけると、スミスは声を出して笑った。
 それを聞いたヒロトの方もなんだかおかしくなってきて笑ってしまった。
 二人揃って笑ったのなんていつぶりだろうか。
 しばらく、意味もなく二人は笑いあっていた。

『はぁ……ちゃんと寝ろよ、河本くん』
「わかってるって」

 ヒロトの返事を待たずにスミスのアバターはモニタから消えた。完全にログアウトしてしまったようだ。

「でも、あと少しだけ」

 呟いたヒロトはパソコンに向かう。
 とある人物に連絡をとって、その返事を待つ間だけ作業を進めた。

 その夜、ヒロトは夢も見ないほどぐっすりと眠た。

####################################

スミスの指導で新曲の練習をする桐子。
歌だけで手一杯の彼女に、ヒロトはさらにダンスまでやらせると言うが――。

『お気に入り』や『いいね』『感想』等ありましたら是非お願いします!

【宣伝】
シナリオ・小説のお仕事を募集中です。
連絡先 takahashi.left@gmail.com

講談社ラノベ文庫より『エクステンデッド・ファンタジー・ワールド ~ゲームの沙汰も金次第~』発売中!
AR世界とリアル世界を行き来し、トゥルーエンドを目指すサスペンス・ミステリーです。
よかったら買ってください。
異世界戦記ファンタジー『白き姫騎士と黒の戦略家』もあります。こちらも是非!
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み