第2話

文字数 1,956文字

 翌日。
「……」
 教室に着くなりヒロトは変な視線を感じた。
「…………」
 最初は気の所為かと思っていたけれど、どうやら自意識の暴走ではないらしい。
「………………」
 何気なく鞄から荷物を取り出すふりをして、ちらりと右隣の席を見る。
「!」
 香辻さんは慌てて視線を逸らすと、取ってつけたように教科書に顔を埋めた。

(バレバレだよ、香辻さん)

 ヒロトが再び黒板の方に顔を向けると、香辻さんがまたこちらを見ている気配をヒシヒシと感じる。
 昨日ぶちかました御高説のせいで気味悪がられたのか、あるいは何か知らず知らずのうちに気に障るようなことをしてしまったのかもしれない。

「……………………」

 あからさまに視線を向け続けられるのは、正直ちょっと怖い。
 かといって、自分から「何で僕のことをそんなに見ているの?」なんて聞けるはずもない。思春期的逆上で腹を刺されてしまうかもしれないからだ。

(触らぬ神に祟りなし……とはいえ、しんどいな)

 異様な緊張感に包まれたまま受ける授業はヒロトの集中力を削り、午前中が終わる頃にはシャツは汗でびっしょりと濡れ、精神的にひどく疲弊していた。

(やっと昼休みだ。これで一息つけ……ないの?)

 席を立った香辻さんがヒロトの席の周りをウロウロし始めたのだ。さながらパックマンのお邪魔キャラのように、机と机の間を移動してヒロトの前を何度も通り過ぎていく。

(何がしたいんだ、香辻さん)

 真意がまったく分からない奇妙な行動だが、何かしらの動物学的メッセージを送ってきているのかもしれない。
 もし読み解けなければ、視線の暴力とこの珍妙な儀式が毎日続くかもしれない。

(勘弁してくれ。僕は静かに学校生活を終わらせたいんだ。変な干渉はやめてもらわないと)

 対処のためには観察が必要だ。
 まずは移動経路に意味がある可能性。おおよそ8の字だ。8という数字に思い当たらない。無限の∞だとすると……意味がわからない。
 次に歩数。4歩あるいて、曲がって3歩・次に1歩で立ち止まって、また2歩あるいて……意味があるわけがない。

(ダメだ、謎が解けない!)

 ヒロトが頭を抱えていると、香辻さんはしびれを切らしたかのようにすぐ目の前で止まり、背伸びを始めた。
 いつもは猫背気味の身体を伸ばすと、シャツの胸元が張り詰めボタンが悲鳴を上げていた。

(香辻さんって、小柄なのに意外とたわわな……って、違う! そういう意図なわけがない! 観察……観察……ん? 手にナニか握って?)

 板状の物体はスマホだろう。

(でも、なんで画面の方を握って……はっ! そのケースは!)

 スマホケースの中央には、青いハートマークが描かれている。そのシンボルをヒロトはよく知っていた。

「それって、トップVチューバー『アオハルココロ』の限定グッズじゃ!」
 気づいた次の瞬間にヒロトは大きな声を出していた。
「っ!」

 驚きの悲鳴を漏らした香辻さんの動きが止まる。それから油をさし忘れたロボットみたいにぎこちなく首を動かし、ヒロトの方を見る。

「あ……こ……あ、アオ…………っ!」

 そこまでが限界だった。口から煙でも吐き出しそうなほど顔が真っ赤になった香辻さんは、脱兎の如く逃げ出した。普段のおとなしい様子からは想像のできない逃げ足で、教室を飛び出し姿をくらませてしまった。

(何がしたいんだ、香辻さん)

 今日、何度目になるのか分からない疑問にヒロトは深々とため息をつく。

(よし、推理しよう)

 香辻さんの奇行が始まったきっかけは、まず間違いなく昨日の近藤先生とのやり取りだ。Vチューバーについて力説した後で、香辻さんは体調を悪くして早退してしまった。

(もしかして、昨日の体調不良は僕のせい? Vチューバー好きの『同類』が噴飯もののスピーチを繰り出したことで、香辻さんの羞恥心が耐えきれなくなった……)

 ヒロトにとって自分の主義主張を貫くことは羞恥を感じる類のことではない。しかし、多くの人間がそうでないことぐらい、これまでの人生で学んでいた。

(となると、アイテムを見せてきたのは、これをきっかけに僕とVチューバーについて話したいから? でも、僕のアプローチが性急すぎて逃げてしまった……)

 自分の立てた仮説にヒロトは、ふむと小さく頷く。

(そういうことなら、乗ってみよう)

 それは、ほんの気まぐれだった。
 無視すれば、きっと香辻さんは諦めたはずだ。
 これまでと同じ、ただ席が近いだけの他人が続いたはずだった。
 もし、彼女のアプローチに応えなければ――。

 というわけで、
 目には目を歯には歯を、グッズにはグッズだ。
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