第2話
文字数 6,996文字
【前回までのあらすじ】
作詞のタイムリミットは後2日。
桐子は作曲家ブラックスミスを納得させる歌詞を完成させることができるのか?
####################################
二日間、一切の干渉をせずにヒロトは香辻さんを待った。
コラボ配信のパフォーマンス対決でアオハルココロに勝つ。そのために自分がすべきことに、全ての時間を使った。久しぶりの脳みそ全開だ。
授業中にボケっと虚空を見つめていたと思ったら突然ノートにペンを走らせたり、コンビニで会計の列に並んでいる途中でアイディアが浮かんで奇声を発したり、周囲の人間からしたら相当ヤバイ奴に見えたことだろう。
それもこれも全て灰姫レラのためだと自分に言い聞かせた。
香辻さんならきっと作曲家ブラックスミスを唸らせる歌詞を書いてくると信じて――。
そして約束の金曜日。
「すみませぇん……まだ、出来てないんです……」
校門の前で出会った香辻さんは開口一番、申し訳なさそうにヒロトに頭を下げた。
充血した目の下には隈が浮かび、肌の血色も悪い気がする。足元がおぼつかず、ヒロトと喋っている今もフラフラと倒れてしまいそうだ。
「一応聞くけど、昨日は何時間ぐらい寝た?」
「えっと……に、じゃなくて、4時間ぐらいは……」
言い直した香辻さんはスーッと視線を逸らす。心配かけまいとしてくれるのは健気に思えるけれど、お互いにとっていいはずがない。
「タイムリミットは今日の深夜0時だよね。じゃあ、早退して一度寝たほうがいい」
「そんなのダメです! 今なんです! 今を頑張らなくちゃ!」
忠告から逃れようと先に校舎へと入っていく香辻さんを、ヒロトは早足で追う。
「『今』も大切だけど、本当の目的は『コラボ配信』だよね。もしここで体調を崩したら、勝負以前の問題だよ」
「それは……きゃっ!」
言ってるそばから香辻さんは段差に躓いてしまう。
「あぶなっ!」
ヒロトがとっさに伸ばした手が香辻さんの腕を、間一髪のところで掴んだ。
「こんな状態で、授業に出ても意味がないでしょ?」
「うぅ……でも……」
香辻さんは醜態を晒して反論もできないけれど、目だけは「まだ私はやれる」と訴えている。
「はぁ……分かった。とりあえず、保健室で休ませてもらって、その後に考えよう」
廊下のすぐ先には、ポスターやお知らせがベタベタと貼り出された保健室が、香辻さんを迎えるようにドアを開けていた。
「…………はい」
香辻さんは渋々頷く。散歩から帰るのを嫌がる犬みたいな香辻さんの腕を引き、ヒロトは保健室のドアをくぐった。
「すみません、彼女、体調が優れないみたいで少し休ませてあげて下さい」
「あらあら、奥のベッドが空いてるからどうぞ」
お団子ヘアに黒縁メガネがトレードマークの校医の福山先生が、さっそく体温計の準備を始めた。
「先生には僕が言っておくから、香辻さんはしっかり休んで、気分が良くなったら教室に来なよ。分かった?」
「はい、心配かけてごめんなさい。河本くん……」
念を押すヒロトに香辻さんは観念したように背を向け、福山先生から体温計を受け取った。
教室へ向かう道すがら。
(しくじった……)
ヒロトは自分を殴りつけ、口汚く罵りたい衝動を、固く握った拳に閉じ込めていた。
(信じるのと、放置するのは違う……何度、失敗すれば気が済むんだ、僕は!)
噛み締めた奥歯が悲鳴を上げる。
(香辻さんが無理することぐらい想像できたはず。なのにアオハルココロに勝ちたいばかりで、大事なことを見失ってた……)
胸焼けがする。煮えたぎった過去の後悔が腹の底から吐瀉物となって逆流してきそうだ。
(焦ってるのは僕の方だ。効率なんて今更なんの役にも立たないのにバラバラに動いて……たとえ僕が作詞の役に立たなくたって、香辻さんに寄り添うことぐらいはできたのに……)
落ち込んでグジグジ言っているだけでは先には進めない。
自分の行動でしか人生は変えられない。
(大切なのは決意と約束だ。僕は忘れない)
ヒロトは爪の食い込んでいた掌を開き、大きく息を吸った。
香辻さんが教室に来たのは、お昼休みも終わりに近づいた頃だった。
ひとり寂しくパンを齧っていたヒロトは、椅子から立って香辻さんを出迎えた。
「ご心配をおかけしました」
殊勝に謝る香辻さんの顔色は見違えたように良くなっていた。
「僕の方こそごめん。香辻さんに甘えてた」
「そ、そんなことないです! 私の方こそ暴走しちゃって……」
揃って頭を下げあうヒロトと香辻さん。その奇妙な光景に、クラスメイトたちが好奇の目を向けるのは承知だ。
しかし、下衆の勘繰りを気にするほどやわな関係ではもうない。
「たとえ直接香辻さんの力になれなくても、一緒にいることはできたのに。信頼なんて体のいい言葉で、僕自身の役割をサボってた」
「それは私もです……、心配かけちゃいけないって思って、相談もしませんでした……」
「失敗は二人で取り戻していこう」
「はい! 二人なら出来ます!」
力強く言って、香辻さんは心配が吹き飛ぶような笑みを見せてくれた。
そして放課後、二人は図書室にやってきた。
「ここなら資料には事欠かないからね」
他の利用者の心地よい静寂を壊さないようにヒロトは抑えた声で言った。
書架が並ぶ図書室の奥、閲覧用のテーブルの一つを占拠し二人は向かい合っている。
複数人で使うサークルスペースになっていて、個人用の自習机が並んでいる場所は反対側だ。大きな声を出さなければ多少のお喋りは認められている。
「作詞が終わるまで帰れません企画ですね!」
「そういうこと。今日はとことん付き合うから」
「よろしくおねげえします、プロデューサー様ぁ……」
平伏しようとする香辻さんだったが、胸が引っかかって上手くいかなかった。
「……と、とにかく、作詞の方はどんな感じなのかな?」
「こんな感じです……」
自信なさげに言って香辻さんは鞄から、一冊のノートを取り出した。どこにでも売っている普通のノートの表紙に、控えめな字で『作詞』とだけ書いてある。
「失礼して」
表紙をめくると一ページ目から、これまた小さな文字でびっちりと書き込みがしてあった。『テーマの決め方』や『情景の描写』などなど、作詞の参考書やサイトから書き写したと分かる文言だ。
きっと引きこもりから脱却するために、こうやって一人で勉強してきたのだろう。その方法が彼女には染み付いているようだ。
「古文のノートみたいだね」
「古文の方がまだ分かるんですけど……」
香辻さんが言葉を濁す通り、『勉強』のページが終わると状況は一変する。
ほとんど真っ白なページに、『晴れた日』や『電車』などとりとめのない単語がポツポツと書かれている。よく見ると消しゴムで消した跡だらけで、力が余ったのか破れてしまっている場所もあった。
「考えれば考えるほど、頭の中もぐちゃぐちゃになっちゃって……ぜんぜんまとまってくれなくて……」
「ふむふむ」
さらにノートをめくっていくと、やたらとたわんだページがあった。まるでなにか透明な液体を垂らして、乾かしたような――。
「後ろのページ、張り付いてるけど」
「そ、そこは見ちゃダメです!」
真っ赤な顔の香辻さんにノートを無理やり閉じられてしまう。
(これ、涎でも垂らしたんだな……)
香辻さんが限界まで頑張った痕跡に胸がむずむずしてしまう。
その感情に名前が付く前に、ヒロトはそっと扉を閉じる。
「現状は把握できた。とりあえず一つ作り上げようか。完成度なんて気にせずに、どんなのだっていいからさ」
「で、でも、下手な作詞なんて書いたらアオハルココロちゃんに勝つどころか、スミスさんに曲を作ってもらえなくなっちゃいます!」
切迫した表情の香辻さんに、ヒロトはゆっくりと首を横にふる。
「歌詞ってさ、なんでもアリなんだよ。恋愛ソング、応援ソング、コミックソング、まあ商業的な理由は色々あると思う。でも絶対的な正義や正解があるわけじゃない。勝利の方程式なんてないんだから、まずは書いてみよう。香辻さんが書くことに意味があるんだよ」
ヒロトには予感めいたものがあった。
勝ち負けとは勝ち負けとは別の次元で、今から産まれる灰姫レラの歌はずっと残っていく。
きっと香辻さんのプレッシャーになってしまうから、本人には伝えないけれど、ヒロトはその勘に自信があった。
「灰姫レラのデビューソング。身構えずに、香辻さんが伝えたいことについて、書けばいいんじゃないかな。僕や皆に向かって」
「私が伝えたいこと…………」
香辻さんは心の中を探るように胸へ手を当てる。
「あるよね?」
「はい、あります! 私が話したいこと、みんなに聞いてもらいたいこと! でも、どうやってそれを歌詞にして伝えたらいいのかが……」
「うーん……そうだ! ちょっと待ってて、参考になりそうな本があるよ」
少しでも力になれればと、ヒロトは本の森へと向かう。
(たしかこの図書室にも置いてあったはずだけど……)
美術書を横目に、音楽の書架――を通り過ぎて、保育関連が並ぶ書架――の横にある背の低い本棚の前で止まる。
そこに並んでいる薄い本をありったけ抱え、ヒロトはテーブル席に戻る。
「はい、参考図書」
ヒロトの手から崩れた本たちが、テーブルに広がった。
堅苦しい図書室とは正反対のポップなイラストが表紙を飾る薄い本たちに香辻さんが首をかしげる。
「これって絵本ですよね? 図書室に置いてあったんですね」
「絵本も文学だし、保育士を目指してる生徒も多いから、司書さんが入れてくれてたんだね」
「あ、このアラジンの本、私の家にもありました!」
ターバンを巻いた少年が描かれた絵本に触れて、香辻さんは懐かしむ。
「でも、なんで絵本なんですか?」
「『誰かに伝える』の一番シンプルな形って、昔話やそれを元にした絵本だと思うんだ」
ヒロトは花咲か爺さんの絵本を手に取ると、香辻さんにも見えるようにパラパラとめくっていく。
「悲しいこと、危ないこと、良いこと、悪いこと……短いストーリーの中に沢山つまってる。それに子供の寝物語だけじゃなくて、大人だって楽しめる。同じ絵本だって、人によって好きな場面や感想が違う」
「あっ、表現は違っても音楽と近い! それに民謡なんて、まさにですね!」
「うん。だから参考になるんじゃないかなって。ただの思いつきだけど」
そう言いながら、ヒロトは絵本を香辻さんに向けて一冊ずつ並べていく。
「香辻さんはどの話が好きかな?」
「私は……」
絵本の上を彷徨っていた香辻さんの視線が、惹きつけられるように止まる。
輝くドレスを身にまとった女の子と、彼女に魔法をかけた魔法使いが描かれた表紙。
【灰かぶり姫(シンデレラ)】
「子供の頃にお母さんがよく読んでくれました」
香辻さんは喋りながらページを捲る。
幸せいっぱいだったシンデレラがお母さんの死をきっかけに苦難に立たされていく。
「継母と継姉たちにイジメられ、狭くて粗末な天井裏に押し込められるシンデレラ」
香辻さんの唇から子供に読み聞かせるような優しい声が流れてくる。
「舞踏会もお留守番。でも、見ていてくれた魔法使いが助けてくれた。綺麗なドレスに、カボチャの馬車、それにピカピカのガラスの靴」
捲るページは綺羅びやかな舞踏会から、12時の鐘が鳴るシーンへ。
「いつの間にか魔法が解ける時間。ガラスの靴だけ残して、シンデレラはさようなら」
結末まで見ずに香辻さんは絵本を閉じる。
「妹の紅葉がフィギュアスケートで初めて表彰台に登った時も、シンデレラの曲だったんです……」
香辻さんは人差し指で表紙のシンデレラのガラスの靴を撫でる。誇らしさだけではない感情が混じっているようにヒロトには思えた。
(ああ、そうか……『灰姫レラ』には香辻さんの憧れだけじゃない……本当に沢山のものが詰まってるんだ……)
小さなお城だと思っていたソレは、地面に突き出した塔の一つでしかない。地中にどれだけ巨大な迷宮が広がっているのか分からない。
そうだと分かった瞬間、ヒロトは鳥肌が立った。
自分が手を出してしまったものに、戦慄すら覚えていた。
「……決まりだね」
「はいっ、私の想い伝えたいです!」
迷いも恐れもないと香辻さんはペンを握り、ノートに向かう。
そして、灯台の明かりに導かれるように香辻さんは心の海を進み、航路(歌詞)を標していく。
(きっかけさえあれば僕がいなくても……)
ヒロトは香辻さんの集中を邪魔しないようにそっと見守り続けた。
香辻さんの中にあった『声』がノートの上に『言葉』となって立ち上がる。
矛盾する想い、対立する感情はぶつかりあい、歌詞となって紡がれていく。
まるで原始の宇宙で小さな塵が互いの重力に引かれ衝突を繰り返し、星々に成長していくような光景だ。
蝶が蛹の中で一度自分自身をどろどろに溶かし、再構築する姿だ。
目が離せるわけが無かった。
そして、混沌が混沌のままに形を得ていき――。
「ふぅ……」
香辻さんは小さく息を吐いた。
最初から最後までたっぷり時間をかけノートの歌詞を見直してから、そっとペンを置く。
「できました」
開いた掌は汗びっしょりで、食い込んだペンの跡で指が赤くなっていた。
「じゃあ、さっそくスミスに送ろうか」
ヒロトはスマホのカメラをノートに向け、シャッターを押す。
「えっ?! だってとりあえず一つ作るだけじゃ? 次でもっといいのを」
「そんな時間はないんじゃないかな?」
カーテンを開けると、外は真っ暗になっていた。
他の利用者の姿もとっくに消えている。図書室に残っている生徒はヒロトと香辻さんだけだった。
「あっ……せめて、もっと時間ギリギリまで推敲して」
「うん、それもありだけど、ちょっと遅かった。スミスにはもう送っちゃったからね」
香辻さんが窓の外に驚いている間に、すでに送信ボタンはヒロトの手で押されていた。
「あうぅぅ……」
さっきまでの集中力はどこへやら、唇を噛んだ香辻さんは落ち着きなくヒロトの握るスマホとノートを見比べた。
「……河本くんはどう思いました……その、私の歌詞……変じゃなかったですか?」
「ちゃんと伝わってきたよ、香辻さんの想いが」
「そ、それはそれで……その……は、恥ずかしい……といいますか……」
脳みその熱が外に出てきたのか、香辻さんは耳まで真っ赤になってしまう。
香辻さんのように顔に出さなくても、ヒロトも興奮していた。
(この歌は絶対に残っていく!)
予感はすでに確信に変わっていた。
それを告げるかのように、ヒロトのスマホが震える。
「さっそくスミスから返事だ。曲は……」
「ど、どうですか? 怒ってないですか?」
おっかなびっくり返事を待つ香辻さんに、ヒロトはこれ以上の証拠はないとスマホの画面を見せる。
『明日まで待て。最高の曲に仕上げる』
パチンと二人のハイタッチ音が響く。
「やりましたよ、河本くん!」
「やったよ、香辻さん! スミスもかなりノッてる!」
「そうなんですか?」
「あいつは機嫌が良かったり、興奮してる時ほど返事が短いんだ!」
ヒロトは思わず大きな声を出してしまう。
「素直じゃないですね!」
「ああ、素直じゃない!」
二人して何度もハイタッチを繰り返していると――。
「ごほんっ!」
わざとらしい咳払いが聞こえた。
二人がハイタッチで手を合わせたまま振り返ると、女性司書の紫苑さんが鍵を手にして細い眉を吊り上げていた。
「閉室時間を過ぎています。続きは学校の外でお願いできるかしら?」
「はぁあっ! すみません!」
「片付けて、すぐ下校します!」
ヒロトと香辻さんはテーブルに広げたままだった絵本をまとめ、もとあった本棚に戻した。
####################################
遂に完成した『灰姫レラ』の歌詞。
来るべき決戦のための準備はあと少し!
勝つためには全てが必要だ!
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よかったら買ってください。
異世界戦記ファンタジー『白き姫騎士と黒の戦略家』もあります。こちらも是非!
作詞のタイムリミットは後2日。
桐子は作曲家ブラックスミスを納得させる歌詞を完成させることができるのか?
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二日間、一切の干渉をせずにヒロトは香辻さんを待った。
コラボ配信のパフォーマンス対決でアオハルココロに勝つ。そのために自分がすべきことに、全ての時間を使った。久しぶりの脳みそ全開だ。
授業中にボケっと虚空を見つめていたと思ったら突然ノートにペンを走らせたり、コンビニで会計の列に並んでいる途中でアイディアが浮かんで奇声を発したり、周囲の人間からしたら相当ヤバイ奴に見えたことだろう。
それもこれも全て灰姫レラのためだと自分に言い聞かせた。
香辻さんならきっと作曲家ブラックスミスを唸らせる歌詞を書いてくると信じて――。
そして約束の金曜日。
「すみませぇん……まだ、出来てないんです……」
校門の前で出会った香辻さんは開口一番、申し訳なさそうにヒロトに頭を下げた。
充血した目の下には隈が浮かび、肌の血色も悪い気がする。足元がおぼつかず、ヒロトと喋っている今もフラフラと倒れてしまいそうだ。
「一応聞くけど、昨日は何時間ぐらい寝た?」
「えっと……に、じゃなくて、4時間ぐらいは……」
言い直した香辻さんはスーッと視線を逸らす。心配かけまいとしてくれるのは健気に思えるけれど、お互いにとっていいはずがない。
「タイムリミットは今日の深夜0時だよね。じゃあ、早退して一度寝たほうがいい」
「そんなのダメです! 今なんです! 今を頑張らなくちゃ!」
忠告から逃れようと先に校舎へと入っていく香辻さんを、ヒロトは早足で追う。
「『今』も大切だけど、本当の目的は『コラボ配信』だよね。もしここで体調を崩したら、勝負以前の問題だよ」
「それは……きゃっ!」
言ってるそばから香辻さんは段差に躓いてしまう。
「あぶなっ!」
ヒロトがとっさに伸ばした手が香辻さんの腕を、間一髪のところで掴んだ。
「こんな状態で、授業に出ても意味がないでしょ?」
「うぅ……でも……」
香辻さんは醜態を晒して反論もできないけれど、目だけは「まだ私はやれる」と訴えている。
「はぁ……分かった。とりあえず、保健室で休ませてもらって、その後に考えよう」
廊下のすぐ先には、ポスターやお知らせがベタベタと貼り出された保健室が、香辻さんを迎えるようにドアを開けていた。
「…………はい」
香辻さんは渋々頷く。散歩から帰るのを嫌がる犬みたいな香辻さんの腕を引き、ヒロトは保健室のドアをくぐった。
「すみません、彼女、体調が優れないみたいで少し休ませてあげて下さい」
「あらあら、奥のベッドが空いてるからどうぞ」
お団子ヘアに黒縁メガネがトレードマークの校医の福山先生が、さっそく体温計の準備を始めた。
「先生には僕が言っておくから、香辻さんはしっかり休んで、気分が良くなったら教室に来なよ。分かった?」
「はい、心配かけてごめんなさい。河本くん……」
念を押すヒロトに香辻さんは観念したように背を向け、福山先生から体温計を受け取った。
教室へ向かう道すがら。
(しくじった……)
ヒロトは自分を殴りつけ、口汚く罵りたい衝動を、固く握った拳に閉じ込めていた。
(信じるのと、放置するのは違う……何度、失敗すれば気が済むんだ、僕は!)
噛み締めた奥歯が悲鳴を上げる。
(香辻さんが無理することぐらい想像できたはず。なのにアオハルココロに勝ちたいばかりで、大事なことを見失ってた……)
胸焼けがする。煮えたぎった過去の後悔が腹の底から吐瀉物となって逆流してきそうだ。
(焦ってるのは僕の方だ。効率なんて今更なんの役にも立たないのにバラバラに動いて……たとえ僕が作詞の役に立たなくたって、香辻さんに寄り添うことぐらいはできたのに……)
落ち込んでグジグジ言っているだけでは先には進めない。
自分の行動でしか人生は変えられない。
(大切なのは決意と約束だ。僕は忘れない)
ヒロトは爪の食い込んでいた掌を開き、大きく息を吸った。
香辻さんが教室に来たのは、お昼休みも終わりに近づいた頃だった。
ひとり寂しくパンを齧っていたヒロトは、椅子から立って香辻さんを出迎えた。
「ご心配をおかけしました」
殊勝に謝る香辻さんの顔色は見違えたように良くなっていた。
「僕の方こそごめん。香辻さんに甘えてた」
「そ、そんなことないです! 私の方こそ暴走しちゃって……」
揃って頭を下げあうヒロトと香辻さん。その奇妙な光景に、クラスメイトたちが好奇の目を向けるのは承知だ。
しかし、下衆の勘繰りを気にするほどやわな関係ではもうない。
「たとえ直接香辻さんの力になれなくても、一緒にいることはできたのに。信頼なんて体のいい言葉で、僕自身の役割をサボってた」
「それは私もです……、心配かけちゃいけないって思って、相談もしませんでした……」
「失敗は二人で取り戻していこう」
「はい! 二人なら出来ます!」
力強く言って、香辻さんは心配が吹き飛ぶような笑みを見せてくれた。
そして放課後、二人は図書室にやってきた。
「ここなら資料には事欠かないからね」
他の利用者の心地よい静寂を壊さないようにヒロトは抑えた声で言った。
書架が並ぶ図書室の奥、閲覧用のテーブルの一つを占拠し二人は向かい合っている。
複数人で使うサークルスペースになっていて、個人用の自習机が並んでいる場所は反対側だ。大きな声を出さなければ多少のお喋りは認められている。
「作詞が終わるまで帰れません企画ですね!」
「そういうこと。今日はとことん付き合うから」
「よろしくおねげえします、プロデューサー様ぁ……」
平伏しようとする香辻さんだったが、胸が引っかかって上手くいかなかった。
「……と、とにかく、作詞の方はどんな感じなのかな?」
「こんな感じです……」
自信なさげに言って香辻さんは鞄から、一冊のノートを取り出した。どこにでも売っている普通のノートの表紙に、控えめな字で『作詞』とだけ書いてある。
「失礼して」
表紙をめくると一ページ目から、これまた小さな文字でびっちりと書き込みがしてあった。『テーマの決め方』や『情景の描写』などなど、作詞の参考書やサイトから書き写したと分かる文言だ。
きっと引きこもりから脱却するために、こうやって一人で勉強してきたのだろう。その方法が彼女には染み付いているようだ。
「古文のノートみたいだね」
「古文の方がまだ分かるんですけど……」
香辻さんが言葉を濁す通り、『勉強』のページが終わると状況は一変する。
ほとんど真っ白なページに、『晴れた日』や『電車』などとりとめのない単語がポツポツと書かれている。よく見ると消しゴムで消した跡だらけで、力が余ったのか破れてしまっている場所もあった。
「考えれば考えるほど、頭の中もぐちゃぐちゃになっちゃって……ぜんぜんまとまってくれなくて……」
「ふむふむ」
さらにノートをめくっていくと、やたらとたわんだページがあった。まるでなにか透明な液体を垂らして、乾かしたような――。
「後ろのページ、張り付いてるけど」
「そ、そこは見ちゃダメです!」
真っ赤な顔の香辻さんにノートを無理やり閉じられてしまう。
(これ、涎でも垂らしたんだな……)
香辻さんが限界まで頑張った痕跡に胸がむずむずしてしまう。
その感情に名前が付く前に、ヒロトはそっと扉を閉じる。
「現状は把握できた。とりあえず一つ作り上げようか。完成度なんて気にせずに、どんなのだっていいからさ」
「で、でも、下手な作詞なんて書いたらアオハルココロちゃんに勝つどころか、スミスさんに曲を作ってもらえなくなっちゃいます!」
切迫した表情の香辻さんに、ヒロトはゆっくりと首を横にふる。
「歌詞ってさ、なんでもアリなんだよ。恋愛ソング、応援ソング、コミックソング、まあ商業的な理由は色々あると思う。でも絶対的な正義や正解があるわけじゃない。勝利の方程式なんてないんだから、まずは書いてみよう。香辻さんが書くことに意味があるんだよ」
ヒロトには予感めいたものがあった。
勝ち負けとは勝ち負けとは別の次元で、今から産まれる灰姫レラの歌はずっと残っていく。
きっと香辻さんのプレッシャーになってしまうから、本人には伝えないけれど、ヒロトはその勘に自信があった。
「灰姫レラのデビューソング。身構えずに、香辻さんが伝えたいことについて、書けばいいんじゃないかな。僕や皆に向かって」
「私が伝えたいこと…………」
香辻さんは心の中を探るように胸へ手を当てる。
「あるよね?」
「はい、あります! 私が話したいこと、みんなに聞いてもらいたいこと! でも、どうやってそれを歌詞にして伝えたらいいのかが……」
「うーん……そうだ! ちょっと待ってて、参考になりそうな本があるよ」
少しでも力になれればと、ヒロトは本の森へと向かう。
(たしかこの図書室にも置いてあったはずだけど……)
美術書を横目に、音楽の書架――を通り過ぎて、保育関連が並ぶ書架――の横にある背の低い本棚の前で止まる。
そこに並んでいる薄い本をありったけ抱え、ヒロトはテーブル席に戻る。
「はい、参考図書」
ヒロトの手から崩れた本たちが、テーブルに広がった。
堅苦しい図書室とは正反対のポップなイラストが表紙を飾る薄い本たちに香辻さんが首をかしげる。
「これって絵本ですよね? 図書室に置いてあったんですね」
「絵本も文学だし、保育士を目指してる生徒も多いから、司書さんが入れてくれてたんだね」
「あ、このアラジンの本、私の家にもありました!」
ターバンを巻いた少年が描かれた絵本に触れて、香辻さんは懐かしむ。
「でも、なんで絵本なんですか?」
「『誰かに伝える』の一番シンプルな形って、昔話やそれを元にした絵本だと思うんだ」
ヒロトは花咲か爺さんの絵本を手に取ると、香辻さんにも見えるようにパラパラとめくっていく。
「悲しいこと、危ないこと、良いこと、悪いこと……短いストーリーの中に沢山つまってる。それに子供の寝物語だけじゃなくて、大人だって楽しめる。同じ絵本だって、人によって好きな場面や感想が違う」
「あっ、表現は違っても音楽と近い! それに民謡なんて、まさにですね!」
「うん。だから参考になるんじゃないかなって。ただの思いつきだけど」
そう言いながら、ヒロトは絵本を香辻さんに向けて一冊ずつ並べていく。
「香辻さんはどの話が好きかな?」
「私は……」
絵本の上を彷徨っていた香辻さんの視線が、惹きつけられるように止まる。
輝くドレスを身にまとった女の子と、彼女に魔法をかけた魔法使いが描かれた表紙。
【灰かぶり姫(シンデレラ)】
「子供の頃にお母さんがよく読んでくれました」
香辻さんは喋りながらページを捲る。
幸せいっぱいだったシンデレラがお母さんの死をきっかけに苦難に立たされていく。
「継母と継姉たちにイジメられ、狭くて粗末な天井裏に押し込められるシンデレラ」
香辻さんの唇から子供に読み聞かせるような優しい声が流れてくる。
「舞踏会もお留守番。でも、見ていてくれた魔法使いが助けてくれた。綺麗なドレスに、カボチャの馬車、それにピカピカのガラスの靴」
捲るページは綺羅びやかな舞踏会から、12時の鐘が鳴るシーンへ。
「いつの間にか魔法が解ける時間。ガラスの靴だけ残して、シンデレラはさようなら」
結末まで見ずに香辻さんは絵本を閉じる。
「妹の紅葉がフィギュアスケートで初めて表彰台に登った時も、シンデレラの曲だったんです……」
香辻さんは人差し指で表紙のシンデレラのガラスの靴を撫でる。誇らしさだけではない感情が混じっているようにヒロトには思えた。
(ああ、そうか……『灰姫レラ』には香辻さんの憧れだけじゃない……本当に沢山のものが詰まってるんだ……)
小さなお城だと思っていたソレは、地面に突き出した塔の一つでしかない。地中にどれだけ巨大な迷宮が広がっているのか分からない。
そうだと分かった瞬間、ヒロトは鳥肌が立った。
自分が手を出してしまったものに、戦慄すら覚えていた。
「……決まりだね」
「はいっ、私の想い伝えたいです!」
迷いも恐れもないと香辻さんはペンを握り、ノートに向かう。
そして、灯台の明かりに導かれるように香辻さんは心の海を進み、航路(歌詞)を標していく。
(きっかけさえあれば僕がいなくても……)
ヒロトは香辻さんの集中を邪魔しないようにそっと見守り続けた。
香辻さんの中にあった『声』がノートの上に『言葉』となって立ち上がる。
矛盾する想い、対立する感情はぶつかりあい、歌詞となって紡がれていく。
まるで原始の宇宙で小さな塵が互いの重力に引かれ衝突を繰り返し、星々に成長していくような光景だ。
蝶が蛹の中で一度自分自身をどろどろに溶かし、再構築する姿だ。
目が離せるわけが無かった。
そして、混沌が混沌のままに形を得ていき――。
「ふぅ……」
香辻さんは小さく息を吐いた。
最初から最後までたっぷり時間をかけノートの歌詞を見直してから、そっとペンを置く。
「できました」
開いた掌は汗びっしょりで、食い込んだペンの跡で指が赤くなっていた。
「じゃあ、さっそくスミスに送ろうか」
ヒロトはスマホのカメラをノートに向け、シャッターを押す。
「えっ?! だってとりあえず一つ作るだけじゃ? 次でもっといいのを」
「そんな時間はないんじゃないかな?」
カーテンを開けると、外は真っ暗になっていた。
他の利用者の姿もとっくに消えている。図書室に残っている生徒はヒロトと香辻さんだけだった。
「あっ……せめて、もっと時間ギリギリまで推敲して」
「うん、それもありだけど、ちょっと遅かった。スミスにはもう送っちゃったからね」
香辻さんが窓の外に驚いている間に、すでに送信ボタンはヒロトの手で押されていた。
「あうぅぅ……」
さっきまでの集中力はどこへやら、唇を噛んだ香辻さんは落ち着きなくヒロトの握るスマホとノートを見比べた。
「……河本くんはどう思いました……その、私の歌詞……変じゃなかったですか?」
「ちゃんと伝わってきたよ、香辻さんの想いが」
「そ、それはそれで……その……は、恥ずかしい……といいますか……」
脳みその熱が外に出てきたのか、香辻さんは耳まで真っ赤になってしまう。
香辻さんのように顔に出さなくても、ヒロトも興奮していた。
(この歌は絶対に残っていく!)
予感はすでに確信に変わっていた。
それを告げるかのように、ヒロトのスマホが震える。
「さっそくスミスから返事だ。曲は……」
「ど、どうですか? 怒ってないですか?」
おっかなびっくり返事を待つ香辻さんに、ヒロトはこれ以上の証拠はないとスマホの画面を見せる。
『明日まで待て。最高の曲に仕上げる』
パチンと二人のハイタッチ音が響く。
「やりましたよ、河本くん!」
「やったよ、香辻さん! スミスもかなりノッてる!」
「そうなんですか?」
「あいつは機嫌が良かったり、興奮してる時ほど返事が短いんだ!」
ヒロトは思わず大きな声を出してしまう。
「素直じゃないですね!」
「ああ、素直じゃない!」
二人して何度もハイタッチを繰り返していると――。
「ごほんっ!」
わざとらしい咳払いが聞こえた。
二人がハイタッチで手を合わせたまま振り返ると、女性司書の紫苑さんが鍵を手にして細い眉を吊り上げていた。
「閉室時間を過ぎています。続きは学校の外でお願いできるかしら?」
「はぁあっ! すみません!」
「片付けて、すぐ下校します!」
ヒロトと香辻さんはテーブルに広げたままだった絵本をまとめ、もとあった本棚に戻した。
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遂に完成した『灰姫レラ』の歌詞。
来るべき決戦のための準備はあと少し!
勝つためには全てが必要だ!
『お気に入り』や『いいね』『感想』等ありましたら是非お願いします!
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