#12【リアイベ】すっごいステージに立ってみた! (2)

文字数 22,274文字

【前回までのあらすじ】
ライブ当日、会場入りした灰姫レラ一行。
心配事の尽きないヒロトだったが、
灰姫レラ宛でファンから届いた楽屋花に
彼女という存在の『成長』を感じるのだった。

いよいよ、ライブ本番のトキ!

1話目はここから!
https://novel.daysneo.com/works/episode/bf2661ca271607aea3356fe1344a2d5f.html

更新情報は『高橋右手』ツイッターから!
https://twitter.com/takahashi_right

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■□■□香辻桐子Part■□■□

『大変長らくお待たせいたしました』

 会場アナウンスの声はマネージャーの雛木さんだ。ライブ告知番組のゲームで負けて仕方なく任されたとは思えない堂に入った声をしている。
 オールスタンディング会場のキャパ上限、3000人が続々と入場してくる。Tシャツにジーンズというラフな服装から、推しのグッズで身を固めた完全武装まで様々だ。コスプレは会場の都合上、近隣の迷惑になるため公式から控えるようにとの発表があり、観客もそれをしっかりと守っている。
 年齢や性別、職業や住んでいる場所、多種多様な人たちが集まっているけれど、1つ共通しているのはその表情だ。待ちわびた今日という日を迎えられた喜びが誰の頬からも溢れている。

『会場内、大変混み合っています。他のお客様とぶつからないよう十分にご注意下さい。お手回り品はしっかりと身に着けておくか、会場のロッカーにお預け下さい』

 観客たちは自分の荷物が邪魔になっていないかと、周りを確認する。小さな身じろぎも、この人数になると波の音のように聞こえてくる。

『開演までもう少々だけお待ち下さい』

 桐子たち出演者は、ステージ上に設置されたモニタで、会場の様子を見ていた。
 ステージと観客席を隔てる巨大8Kスクリーンは光こそ通さないけれど、観客たちの息遣いが熱気となって桐子たちには届いていた。

「人がいっぱい……」

 高まる緊張感に震えていた桐子の唇が、まるで本人を代弁するかのように動いていた。あまりにも当たり前すぎる事を言ったのに、誰も笑わない。

「配信の方はもう50万人を越えてる。開演前にこの人数は新記録かしら」

 クシナさんの言葉に、桐子や他のライブ慣れしていない出演者が息を呑む。

「よーし、有料部分も課金して貰えるようにいっぱい頑張っちゃお」

 タマヨさんが口元に手をあててニヤニヤと笑うと、クシナさんが肘でちょいちょいとツッコミを入れる。

「キラキラのステージでゲスいこと言って……」
「お金キラキラ。ボクたちキラキラ。Win-Win」

 リズミカルに言ったタマヨさんは、まるでダンスの振付のような滑らかさで、両手のダブルピースを胸の前で合わせてWのマークを作る。

「まさにマネーアイ$(ドル)」

 ここぞとばかりにドヤ顔を決めるタマヨさん。

「言ってることは完全におっさんギャグじゃない」

 すかさずツッコミを入れるクシナさん。
 緊張の面持ちで固くなっていた他の出演者やスタッフさんたちが、楽しげな笑い声を漏らす。
 腕時計を確認した舞台監督さんの目配せに、クシナさんが頷く。

「みんな」

 クシナさんが、これからステージに立つメンバーを見回す。呼び鈴を思わせる彼女の声に、メンバーたちは自然に距離を詰め、円を形作っていく。

「レラちゃんも」
「はい!」

 誘われるままに、桐子はクシナさんの隣に肩を滑り込ませる。

「今日まで全員が出来る限りの準備をしてきたって、私もスタッフさんも知ってる。その集大成のステージを、お客さんに観てもらおう」

 答えるように頷くタマヨさんたちセンターメンバー。
 クシナさんは他の娘たちに目を向ける。初めてハイプロのライブに立つ娘たちだ。桐子と同じで、不安と緊張を表に出さないように抗っていた。

「緊張してる?」

 クシナさんは一番ガチガチになっている娘の方を見て、優しく喋りかける。

「すみません。クシナ先輩みたいに舞台慣れしてなくて……いつもどおりにしなくちゃって思ってもなかなか出来ません」
「ふふっ、私だって緊張してる。心臓バクバク。歌詞がとんじゃわないか心配よ」

 そう言ってクシナさんは自分の胸を押さえてみせる。

「でも、緊張するのって悪いことじゃないだって」

 クシナさんの言葉に、桐子は内心で首を傾げる。

「ある歌舞伎役者さんが言った言葉なんだけど。緊張するのは舞台を敬っている証拠なんだって。何千回も舞台経験のあるベテランさんだって緊張する。真剣だからこそ、慣れることは無い。慣れなくていいんだって」
「慣れなくても……っ」

 勇気づけられたと頷く彼女は、震えを止めるように手を握る。
 小さく頷いたクシナさんは、今度は隣にいる桐子の方を見る。

「レラちゃん、練習も楽しかったね」
「は、はい! 他の人達と練習するのって初めてで。部活をしてたらこんな感じで楽しいのかなって思いました。あ、私は皆さんについていくので精一杯でしたけど」

 出過ぎた事を言ってしまったと慌てる桐子の肩に、クシナさんは軽く触れる。

「その精一杯をみんなにみせよう!」
「はいっ! 頑張ります!」

 桐子の声にクシナさんや他のメンバーたちも頷く。同じ舞台に立つ仲間と認めてくれているのだと感じて、桐子は溢れそうになる熱さを口を結んで耐えた。貯めたモノを出すのは、ここじゃない、ステージの上だ。

「ステージを楽しもう。観てくれるみんなを楽しませよう」

 クシナさんがそっと右手を前に出す。その指先が目指すべき場所だと示しているようで、桐子も自然と手を伸ばす。桐子だけではない、円陣を組むメンバー全員が同じように手を伸ばしていた。

「いくよっ!」

 スイッチを押すように手を下げ――

「「「「おーーーーー!」」」

 決起する全員が一斉に手を突き上げる。
 勇ましい喚声はスクリーンを越え、観客席にも届く。

「「「「「「うおーーーーーーー!!」」」」」」

 何百倍もの雄々しい喝采となってステージへと還ってきた。
 残響と共に、会場が暗くなっていく。

『本日はハイランダープロダクション『秋の大収穫祭(ハーベスト)ライブ』にお越しいただきありがとうございます』

 雛木さんの緊張で少しだけ固くなった声が響く。

『開演に先立ちまして、ご来場の皆様にお願い申し上げます。本ライブはネット配信されております。会場内のカメラにお客様が映ることがあることをご了承下さい』

 左右と中央、合計3台のリアルカメラが観客席ごとステージを狙っている。もちろん、ステージ上には複数のバーチャルカメラが設定されていて、バーチャルとリアルを切り替えて配信用の映像がご家庭に届けられる。

『またライブ中のカメラの使用は、じゃんじゃん撮ってツイッターにアップしてオッケーです。配信で観ている方々も巻き込んで、トレンド1位を目指しましょう』

 何十人もの観客が、もちろんだと言うようにスマホを頭上に掲げてみせる。

『ただし、勢い余ってスマホを落として壊してしまっても責任は負いかねますのでご注意を』

 すかさず入る注意に、客席からドッと笑いが起こる。

『会場内での喫煙や走ったり、他の人にぶつかったりなどの危険行為はもちろん禁止です。やむを得ずライブを中断、中止することにもなりますので、絶対にやめて下さい』

 念を押すアナウンスに、ウンウンと頷くように観客席の影が揺れている。

『また安全のため、係員の指示には必ず従って下さい。守れない場合は退席をお願いする場合があります』
「はーい!」
『それではルールを守って、ライブを楽しんで下さいね』

 アナウンスが終わり雛木さんのマイク音量が切れる。
 さざ波のような観衆の息遣いが小さくなると、ステージのスクリーンに懐中時計が浮かび上がる。始めはゆっくりと動いていた針が加速していく。
 針は3時50分で止まった。始まりのトキ、つまりハイプロが設立されてからの3年11ヶ月を表している。
 懐中時計の蓋が閉じるとそこには、ハイプロのロゴが書かれている。OPの演出に期待が高まり過ぎた観客たちの「おお!」という歓声が聞こえてくる。
 スクリーン1枚を隔てたステージ上では、ハイプロのメンバーたちはすでに配置についていた。クシナさんをセンターに、右側をタマヨさんとミツハさん、左側をタツキさんとニギハさん、そのバックに16人の選抜されたメンバーたちが控えている。
 整然と並ぶ立ち姿の凛々しさと、今まさに花咲こうという蕾の可憐さを併せ持つ彼女たちは、まさにハイランダープロダクションという王国が誇る戦巫女たちの部隊だ。

(格好いい……)

 出番がまだ先の桐子は、舞台袖からクシナさんたちの姿を口を開けたまま観ていた。

 ☆♪☆♪☆『ハイヤー・ザン・ザ・スター』☆♪☆♪☆

 宵に浮かぶ彗星のように、きらきらの輝きを纏ったイントロが流れ出す。
 星乃瞬きを思わせる小さなライトのチカチカとした明滅。観客たちのペンライトを握る手に力がこもる。
 その色とりどりの誘導灯に導かれ、彼女たちは次元を超えていく。
 21人が一斉にジャンプし、虚空からステージへと顕現するのだった。


 ハイヤー ザン ザ スター!!

 夢に限界なんてない

 歌おう 未来の輝きを!


 彼女たちを迎える大歓声と、ハンドベルのようにリズムをとる色とりどりのペンライト。
 観客たちの興奮のアクセルはフルスロットルだけれど、統制の取れた動きは暴徒ではなく、パレードに集まった神輿の担ぎ手だ。
 巫女が舞踊で応えるように、彼女たちのダンスも輝きを増していく。


 ウェイクアップ

 毎日が一度きりのステージ

 ピンチとチャンスが 押し寄せてくる

 いつだってハードなチャレンジ

 宇宙(ソラ)の光に 手を伸ばしてる


 振り付けに物理演算された21人のスカートが翻る。
 白を基調としたアイドル衣装はライブ専用の晴れ着だ。普段はスポーティな短パンのあの娘も、勇ましい甲冑姿のあの娘も、特別な日のデコレーションケーキのようにおめかししている。基本デザインは共通だけれど、普段の格好のカラーリングやアレンジを取り入れているので、一体感を出しつつも、21人という大所帯でも一人ひとりの個性が出ている。
 推しの名前を呼び、耐えきれずに泣き出すファンもいる。念願の初ライブ出演なのだろうか、掴み取った3Dアイドル衣装に感極まってしまったようだ。
 AメロからBメロへ、熱狂に揺れる空間は希望と生命力に満ちていく。


 エデンの林檎を齧ったとき

 星々の世界を知ってしまったから


 伸びやかな歌声が重なり、観客たちのテンションと共に天へと昇っていく。


 ハイヤー ザン ザ スター!!

 胸の想い止められない

 羽ばたこう オンリーワン信じて

 ハイヤー ザン ザ スター!!

 夢に限界なんてない

 歌おう 未来の輝きを


 間奏に入り圧倒的な熱量の放出を浴びていた観客たちが、潜水25メートルを終えたような顔で呼吸している。
 しかし、つかの間の休憩ではない。ステージ上からは笑顔のピースサインや、手を振ったり、ハートのハンドサイン、投げキッスなどなど、21人分のファンサービスが降り注ぐ。軽いイタズラではない。推しのアピールに射抜かれたファンが次々に撃沈していく。
 桐子は自分の口から涎が垂れそうになっているのに気づいて、慌てて口を閉じた。
 クシナさんたち、ハイプロのステージに圧倒され、魅入ってしまっていた。連中の時とはもちろん、配信で見たハイプロの過去のライブともまるで違う。太陽の輝きを至近距離から浴びたように、足元から溶けて蒸発してしまいそうなのだ。

(私、『このステージ』に立つんだ……)

 そう気付かされた瞬間、それまで純粋な楽しみに浸れていたハイプロのステージの凄さが重圧となって、桐子の小さな肩にのしかかってきた。
 震える。
 少しでも俯いたら、そのまま重力に負け膝を折ってしまいそうだ。ジェットコースターが急降下する時みたいに、鳩尾のあたりがおかしい気がする。
 少し前の自分だったら、トイレに駆け込んで胃の中をひっくり返して、そのまま個室から出てこれなかったと思う。
 でも、今は違う。
 クシナさんたちと一緒のステージに立つことに、喜びを感じている自分がいた。

(支えてくれる人達がいるから)

 河本くんと夜川さんは、演者やスタッフさんの邪魔になってしまわないように少し離れた場所にいる。

(期待してくれたんだから……応えたい)

 だから、自分はここに立っていられるのだ。

 間奏が終わり二番へ。
 21人はステージに広がっている。バーチャルなカメラは立ち位置を気にせず、縦横無尽に彼女たちのダンスをステージの内側から追っていく。


 メイクアップ!

 負けられない勝負のショータイム

 トライ&トライ 高い壁越えてく

 なんだってやっちゃうスピリッツ

 私MAX 心燃やしてる


 リアルのステージ上では、クシナさん達が元気いっぱいに踊っている。
 桐子が着ているのと同じモーションキャプチャー用のスーツだ。正確なトレーシングのために、華やかさも可愛さも削ぎ落とした競技用の水着を思わせる質実剛健な姿をしている。
 でも、見える。
 モニタと見比べなくたって、バーチャル空間のステージ衣装がはっきりと重なって見えるのだ。
 これがケンジ社長のこだわるリアルタイム性なのだろう。録画や遠隔地からではなく、『今』『このステージ』でクシナさん達は歌って踊っているから『生』が熱となって伝わり、桐子の脳内で本当の姿を創り出している。
 これがアイドルだ。
 湧き上がる熱い感情に、涙が零れそうになってしまう。


 悔しさの雨に濡れたとき

 絶対って自分に約束したから


 ハイヤー・ザン・ザ・スターはハイプロ初の全体曲。
 作詞はケンGこと、大谷ケンジ社長だ。以前に読んだインタビューによると、ハイプロの理念と目標を歌詞に込めたと語っていた。
 設立からもうすぐ4年、ケンジ社長の想いはハイプロのライバーたちという形を得て、リアルとバーチャル2つの世界に広がっている。


 ガールズ オン ザ ラン!!

 私の物語 止まらない

 見に行こう エブリワンついてきて

 ガールズ オン ザ ラン!!

 握った手 離さない

 届けたい このときめきを


 ケンジ社長は舞台袖からステージを凝視していた。配信画面ではなく、ライバーたちを見つめるその横顔は真剣そのものだ。
 何を考え、何を想い、何を目指しているのか。
 その表情から窺い知ることは出来なかった。


 虹を越えて

 ホロスコープの彼方

 絶対に諦めないトップスター!


 バーチャルステージからジャンプするクシナさんたち。
 虹の架かる青空を飛んでゆき宇宙へ。
 さらに月を通り過ぎ、銀河の彼方を目指していく。


 ハイヤー ザン ザ スター!!

 胸の想い止められない

 羽ばたこう オンリーワン信じて

 ハイヤー ザン ザ スター!!

 夢に限界なんてない

 歌おう 未来の輝きを


 照明もプレアデス星団を思わせる青白い光や、オリオン星雲のようにピンクの光で、会場をまるごと星々の世界へと作り変える。
 ステージと客席が一体となって、最後のサビへと達していく。


 ガールズ オン ザ ラン!!

 私の物語 止まらない

 見に行こう エブリワンついてきて

 ガールズ オン ザ ラン!!

 握った手 離さない

 届けたい このときめきを


 アウトロのリズムにのった観客席からの合いの手が響く。あまりにも揃ったその掛け声は、8Kスクリーンを突き破ってきそうな勢いがある。
 最高潮の余韻を残したまま、曲がフェードアウトしステージの照明が暗転していく。
 20人がまた後で言うように手を振りながら、暗がりに消えていく。
 そして、ステージにはクシナさん、ただ1人が残された。

 ☆♪☆♪☆『ハートフルクラッシャー』☆♪☆♪☆

 ベースが弾く鼓動のようなイントロに、俯いたクシナさんはヒールでリズムを取る。
 シンプルなリズムと、シンプルなスポットライト1つだけ。飾り気のまるでないステージに赤を基調とした衣装のクシナさんが立っている姿は、まるで荒野を征く旅人が火を焚いているかのようだ。


 Lady Ready?


 ドラムが重なるのに合わせ、さらに人差し指を伸ばした右腕をおもむろに上げていく。
 赤一色に染まった幾千のペンライトの群れが、松明のように掲げられていく。


 GO!


 彼女の人差し指が天頂を指す時、背後では特撮のような大爆発が起きた。
 目覚めの一撃に楽器たちが叫びを上げ、照明が命を吹き込まれたかのように踊りだす。
 全体曲に勝るとも劣らない歓声と共に、ペンライトが飛び跳ねるように振られていた。


 High! High! High! ハイテンション!


 21人から1人になったというのに、クシナさんの放つ輝きは色褪せず、迫力は衰えない。
 それどころか、太陽フレアが爆発したかのように力強さが増している。
 ハイプロというグループ内の姫神クシナは、他人を気遣う優しいリーダー的存在で、後輩からも慕われ、外部のトップVチューバーからも一目置かれている。
 しかし、その本質は暴れ馬なのだ。
 軛から解き放たれ、荒野をどこまでも駆け抜けていく。


 くすんだ笑顔向けてない?

 無理してるのなんて


 圧倒的な声量は、ただのアイドルと侮っていた者を暴力的なまでに打ちのめすのに十分すぎる威力だ。


 すぐに ばっちり

 わかっちゃうんだから


 完璧に仕上げられたダンスは、古典的な演舞の華麗さと原始的な身体表現の荒々しさの両面を併せ持っている。


 頑張ったあなたの代わりに

 ガツンと決めてあげる


 クシナさんは腕組みして不敵な笑みを浮かべる。
 静と動、秩序と混沌、可愛さと憎たらしさ。
 相反する要素を軽やかに渡り歩く姿に魅了されないわけがない。


 鉄拳制裁上等よ!


 ファイティングポーズをとるクシナさん。
 彼女こそがハイプロの理念を体現した存在。
 飽くなき闘争を求めているのだ。


 Lady Ready Go!


 開戦を告げるゴングが小気味よく鳴り響く。
 バーチャル空間上に2メートル以上あろうかという大鬼が現れる。筋骨隆々の肉体や恐ろしげな牙はアイドルのステージとは真逆の禍々しさを放っていた。


 ぱっちり見開いて Look On!


 突進してきた大鬼をクシナさんはスカートの動きで幻惑すると、マタドーラのようにひらりと躱す。振り向きざまに狙いをつけた人差し指からターゲットサイトが飛び、大鬼の顔やお腹にワイヤーフレームで十字の印をつける。


 がっと蹴っ飛ばして! Kick You!


 別の大鬼が金棒を振り回して襲いかかるが、鉄の塊は飛び上がったクシナさんのヒールを擦ることしかできない。
 舞い上がったクシナさんの蹴りが、大鬼の顎を捉える。角張った顎がガクッとズレれて、金棒を落としてしまう。


 パンチ一発! KissMe KissMe


 着地の隙きを狙って飛びかかっていく大鬼。毛むくじゃらの手が二匹の獣のように迫る。
 クシナさんは自ら踏み込むと、腕の間を抜けて大鬼の懐に飛び込んでいった。
 低く低く身を屈めた体勢から、地面を蹴るようにして全身全霊の拳を大鬼の腹に叩き込む。
 赤い衝撃波のエフェクトが迸り、パンチを食らった大鬼が大きく後ずさる。


 いつだって強制笑顔よ


 大鬼は素手では勝てないと悟ったかのように、金棒を拾い直す。
 対峙するクシナさん。
 彼女の不敵な態度に恐れをなしたかのように、大鬼は金棒を振りかぶってクシナさんに襲いかかる。
 クシナさんも両手を振りかぶる。
 全身から吹き出した炎が彼女の手に集まり、巨大なハンマーを形作っていく。


 ハートフルクラッシャーーーー!!


 金棒とハンマーが激突。ステージ中にバチバチと音を立てて火花が飛ぶ。
 純粋な力と力のぶつかり合い。
 押し勝ったのは――クシナさんだ。
 巨大ハンマーが大鬼を叩き潰すと、炎のハートが周囲に乱れ飛ぶ。ぺしゃんこにされたはずの大鬼だが、悲惨な映像は流れない。まるで呪いが解けたかのように、可愛らしい鬼のヌイグルミへと変わっていた。
 間奏に入り、一息つくような素振りを見せるクシナさん。
 しかし、その背後にはさらなる鬼の大群と、鬼たちを統べる鬼王が控えているのだった。
 曲が二番に入り、戦いは激化していく――。
 歌とダンス、そして演出を一体化させたクシナさんのパフォーマンスを見せられ、桐子は声を失っていた。

 姫神クシナさんは、元は個人勢Vチューバーだった。歌唱力に定評があり、トークも面白い、後はアイドルに造詣が深かったりと、ハイスペックさは知られていた。
 ただ、バズるタイプのVチューバーではなかった。
 配信では決して下品な事は言わないし、暴言を吐かないどころか声を荒げることもほとんどない。ツイッターでも奇抜な事をしたり、欲望を垂れ流したりはしない。日常のちょっとしたことや動画の制作過程など、自分を見てくれる人に向けてのつぶやきだった。
 今でこそ姫神クシナ単独のファン感謝祭がハイプロのイベントとして開催されるほどの人気だけれど、当時はファンも多くはなかった。その人数こそ企業やバズっているVチューバーには届かないけれど、彼女の直向きさに惹かれたファンたちの結束は強かった。個人勢からハイプロ所属になっても、クシナさんたちと当時からのファンたちの絆は変わらない。
 その証がこの『ハートフルクラッシャー』という曲だ。個人勢だった当時、クシナさんが配信の中でバズらないことが悩みだとポロッと漏らしたのだ。これまで弱気を見せることなんて一度もなかった彼女に、ファンたちが奮起し切り抜き動画やイラストで盛り上げようと頑張った。ハートフルクラッシャーもファンの1人がクシナさんのために歌詞を作り、別のファンが作曲をし、記念配信のサプライズで彼女にプレゼントされたものだ。クシナさんは涙が止まらず10分以上もほとんど無音の配信が続いた。テッシュで鼻をかむ音が聞こえるのも、千を超える彼女のアーカイブの中でこの回だけだ。ちなみにこの生配信の視聴者数が303人であったことから、リアルタイムに駆けつけた人々は『303部隊』と呼ばれ、新旧のファンから尊敬の念を持たれている。
 そんな絆の歌をクシナさんは、個人勢から企業所属になった今も大切に歌い続けている。

 姫神クシナさんは――。
 『人気がある』だけでも『実力がある』だけでもない。
 『才能がある』でも『努力した』でもない。
 自分とは存在自体が決定的に違う。
 例えるなら、不死鳥や龍といった神獣だ。彼女を前にすると、ただただ目を見開き圧倒されるだけになってしまう。
 これがハイランダープロダクションのトップスター。
 これこそがVチューバー界レジェンドの1人なのだ。

 桐子がクシナさんの世界の虜にされているうちに、曲はもう終焉を迎えようとしていた。


 明日も絶対笑顔よ!

 ハートフルクラッシャーーーー!!!


 クシナさんの渾身のハンマーを脳天に食らった鬼の大王は、沢山のハートとなって砕け散っていく。その断末魔をかき消すように、盛り上がった観客たちの歓声が会場を満たしていた。
 武術の残心のような仕草でクシナさんは、魚群のようにペンライトが沸き立つ観客席の方を向く。
 クシナさんが深々と一礼すると、水を打ったように観客たちは静かになる。
 顔を上げたクシナさんは、ふっと一息つくように笑顔を見せる。烈火のごとく激しい歌とダンスパフォーマンスから一転、秋空がみせた陽なたのように優しい表情に、観客たちは息を呑み、胸を高鳴らせずにはいられない。
 交代のためにクシナさんが踵を返したところで、ようやく観客やスタッフたち、そして桐子も深く息が吸えるようになった。自分自身がステージでパフォーマンスをしたかのように汗が滲み、呼吸が荒くなってしまう。

(はぁはぁ、この後もライブって、大丈夫なの?!)

 ようやく『正気』に戻ると、今度はライブ自体が心配になってくる。ソロの一曲目にクシナさんがとんでもないハイクオリティの歌とパフォーマンスを観せてしまった。観客のテンションゲージは振り切れんばかりだ。生半可な『次』ではライブの興奮を維持できなくなってしまう。
 演者の方だってたまったものではない。すぐ前のクシナさんのステージと比べられてしまうのだ。会場の熱が下がったら自分の責任だ。桐子だったら絶対に次は嫌だ。出来る限り後に回して欲しいと思ってしまうところだ。
 桐子がハラハラと見守る前で、クシナさんは次のライバーと軽やかにハイタッチをしてステージから去っていく。
 続いてステージに立ったのは白山タマヨさんだ。
 ステージの真ん中に立ったタマヨさんは、寝起きの猫みたいに伸びをして、コキコキと首を左右に動かして、目を細めたままぽりぽりと耳を掻く。
 欠片も緊張しているように見えない。
 まるでカラオケボックスでマイクが回ってきたみたいに自然体だ。クシナさんとはまるで真逆、リアルの3000人と配信の60万人を前にしたライブステージとは思えない様子に、当然のことながら一部の観客が事故ではないかとざわついている。
 やがてスローテンポな音楽が流れ出す。
 曲は『いいね執行委員会』。作詞作曲はタマヨさん自身のオリジナル楽曲だ。

『んなぁ~~~~~~~~』

 動物のような鳴き声を上げる。
 いつもは眠気を堪えているような目を、タマヨさんが開く。

『いくよ』

 そのたった一言だ。性別を超越したイケボが男女の心を鷲掴みにする。
 曲調が急変すると、そこにいつものタマヨさんはもういない。可愛らしい猫が皮を脱ぎ捨て、得体のしれない何かが飛び出してきたかのような変容だ。
 桐子の全身にぶわっと鳥肌が広がる。
 クシナさんの次が心配? そんなものは杞憂だと一瞬で分からされてしまう。
 わくわくが止まらない。体温が上昇し、心臓がどくどくと全身に血を巡らせる。

(決めた! 緊張だけしててもしょうがないんだから)

 自分の出番までは、1ファンとしてハイプロのライブを楽しんでしまおうと。

(ライブの熱をいっぱいいっぱい自分の中に取り込もう!)

 それが正解なんだと、クシナさんたちがステージから示してくれていた。

 ステージは続いていく――。

 鷹尾ミツハさんは澄んだ歌声と共に妖艶なベリーダンスを披露し、秋宮タツキさんは洋楽を完璧に歌いこなし、庭代ニギハさんは愛用のウクレレ1本で圧巻の弾き語り見せてくれた。
 トップ5に続く16人のメンバーたちも、タップダンスやDJ、あるいは音ゲーをパフォーマンスに組み込んだり、仲の良い二人でデュエットソングを情感たっぷりに歌い上げたりと、自身の強みを遺憾なくステージ上で発揮していた。
 ステージの裏では、舞台と客席を染める照明スタッフさん、演者の声や音楽を届ける音声スタッフさん、祈るようにリアルのダンスを見つめるモーションキャプチャー担当の技術スタッフさん、リアルとバーチャルを行き来しながらインカムで逐一指示を出している舞台監督さん。沢山のスタッフさんたちが、ライブを支えている。

 途中で1つだけアクシデントが起きた。
 初ステージを踏んだ1人が、ソロ曲が終わってバーチャルステージから退場すると同時に、糸が切れたようにその場に崩れ、泣き出してしまった。ハイプロのステージに立てたことが嬉しく、耐えられなかったのだ。
 感情が溢れて動けない彼女をクシナさんは「よかったね」とギュッと抱きしめ、泣き止むまでずっと背中をさすっていた。他のメンバーたちも肩をたたいたり、頭を撫でたりして、彼女を安心させようとしていた。『てぇてぇ』が過ぎるとしか言えないなんて心の中で自分を誤魔化したけれど、彼女たちの関係が少し羨ましかった。
 最高のステージとその裏舞台。もしこれがコース料理なら、これでもかと出てくる美食にお腹が破裂してしまっていただろう。
 しかし、これはまだ前菜やスープ、魚料理なのだ。
 いよいよメインディッシュがやってくる。

 つかの間のライブ内の嘘広告(ハイナミンC発売!)が終わり、暗転。場内は暗闇に包まれた。
 何かが駆ける音が聞こえてくる。人間や車ではない。
 繰り返す四足のリズムは馬の早駆けだ。
 ドサッと思い音がする。馬から重い荷物が落ちたような音だ。
 スポットライトがステージの上手(かみて)を照らす。
 うつ伏せになったクシナさんが倒れている。スポットライトの明かりに、眩しそうに目を開けて立ち上がる。
 彼女の衣装が歌の時とは変わっていた。アイドル衣装でも、メインビジュアルの衣装でもない。
 勇ましい鎧の上に陣羽織、腰には漆塗りの刀の鞘を差している。髪型もポニーテールに変わり凛々しさを増している。戦国武将のような恰好なので本人も『織田クシナ』と名乗って、男性的な声色を使っていることが多い。
 織田クシナさんが辺りの暗闇を不安そうに見回す。

「鬼ヶ島を目指していた私は、気づくと薄暗い森の中にいた」

 スポットライトの範囲が少し広がり、背景に木々が見える。しかし、少しだけ違和感があった。リアルな3Dモデルの樹木ではなく、2Dのイラストチックな書き割りの『森』なのだ。

「馬から落とされ、来た道も分からない。自分も気づかぬうちに死んでしまい、幽鬼の森を彷徨っているのだろうか……」

 深刻な表情のクシナさんは身振り手振りを交えながら、観客に語りかけるように自問する。
 そんなシリアスさを、『ぐ~~~』という可愛らしい空腹の効果音がぶち壊す。

「きびだんごもどこかに落としてしまったな」

 格好つけた騎士クシナは、どこからともなくバーチャルスマホ(バカでかい)を取り出す。

「MP(ギガ)も使い果たし、宅配魔法も使えない……」

 ヘンテコなファンタジー設定をつぶやきながら、クシナさんが途方にくれていると――。

「シクシク……シクシク……」

 女性の泣いている声が聞こえ、下手(しもて)をまた別のスポットライトが照らす。
 蹲り泣いているのは秋宮タツキさんだ。こちらもアイドル衣装ではなく白と緑を基調とした、ドレスともレオタードとも、あるいは扇情的な下着とも言えるようなファンタジーなひらひらとした服に着替えている。変化は衣装だけではない、耳が長く尖っていた。完全にエルフの見た目だ

「そこな女、どうして泣いている?」

 仰々しい口調で声をかけるクシナさんを、タツキさんが見上げる。

「わたくしは恐ろしい悪夢の魔女に命を狙われています。誰にも迷惑をかけないようにここまで逃げてきましたが、もう限界で歩けなくなってしまいました」

 深刻な事情を『初対面』の相手にやたらと詳しく説明するタツキさん。

「それは大変だ。では拙者と共に鬼ヶ島へ鬼退治に行こう」
「話聞いてましたか? 魔女に鬼がプラスされて、危険が2倍じゃないですか!」

 ツッコミを入れるタツキさんだが、織田クシナとなった彼女はまるで聞いていない。

「拙者、強者を求めているゆえに心配するな。さあ、共に鬼と魔女を斬り修羅となろう!」
「いえ、わたくしは」
「遠慮はするな」

 会話の成立しない織田クシナさんは、有無を言わせずタツキさんを背負い走り出す。

「いざゆかん、鬼ヶ島へ!」
「あれぇーーーーーーーー」

 そのままステージの下手から退場していった。
 拍子木のSEが鳴り響き、スクリーンにタイトバックが映し出される。

《桃太郎と愉快な仲間たち》

 もうすでに観客全員が分かっているけれど、ここで改めて演劇のタイトルだ。
 ハイプロと言えばメンバー同士が開くオンライン声劇も人気配信の1つだ。ライブでは全員が3Dになり、演出面でもさらにパワーアップしている。
 今回上演している《桃太郎と愉快な仲間たち》、通称『モナカ』は同名のボカロ組曲とその世界観を使ったオリジナル脚本だ。原曲の方はいわゆる考察系で夢と現実が入り混じった狂気を孕んでいるが、今回の脚本ではほぼコメディに仕立て上げられている。
 肝心のストーリーは、桃太郎をベースにオズの魔法使いやドン・キホーテを入れてミキサーにかけたような内容だ。
 クシナさん演じる戦闘狂の桃太郎がエルフのお姫様と鬼ヶ島を目指していく。
 旅の道中では仲間たちが増えていった。ハッピートリガーのブリキのロボットに伝説の黄金銃を届けたり、人見知りのマーメイドとお友達になってメンヘラ化させたり、死霊に取り憑かれた海賊(本人+死霊)をブラック企業の霊感商法から救ったり、エルフの姫の許嫁で勘違いした脳筋騎士と決闘の末に和解したりと世界観ごった煮のエピソードという名のショートコントだ。
 合間合間に挟まれる、ミュージカル風の歌とダンスが物語を彩った。出演者全員が一丸となって劇を盛り上げているのだ。

 そうして長い旅の末に、桃太郎一行は鬼ヶ島へと辿り着く。

 物語に引き込まれた観客たちは、ようやくここまで来たという感慨ともうすぐ旅が終わってしまう寂寥感に、瞬きもせず食い入るようにステージを見つめていた。
 鬼ヶ島で待っていたのは、30万の兵力とそれを支配した悪夢の魔女だ。いよいよ物語はクライマックスだ。
 死闘(ダンスバトル)の末、ついに桃太郎たちは魔女と対峙する。決死の覚悟で挑む桃太郎たちだが、魔女の究極魔法『無限ノ彼方ニ消エヨ(アリテマペイ)』が炸裂。
 ピンチに陥った桃太郎たちを、人々(かんきゃく)の願い(ミラクルイイネライト)が救った。聖なるイイネのオーラを得て超(スーパー)桃太郎に覚醒し、聖剣エクスカリバーで悪夢の魔女の呪いを斬り裂いた。
 悪夢から解放された魔女は目覚め、正気に戻る。鬼たちも支配から解放され鬼ヶ島に平和が訪れる。
 そうして、物語は大団円を迎え――。

「灰姫レラさん」
「は、はい!」

 インカムから聞こえる舞台監督さんの指示に、桐子は慌てて応える。完全に観客として演劇を楽しんでいて、出番が近いことにも気づかなかった。

「スタンバイお願いします」
「はい」

 舞台袖の端っこから踏み出していく。床にはテープが貼られていて、キャプチャー範囲の目安になっている。このラインを越えれば、そこはもうステージの上、クシナさんたちのいる世界だ。
 桐子は一瞬だけ視線を外し、バックヤードの通路の方に向ける。スタッフさんの邪魔にならないように、河本くんと夜川さんが立っていた。夜川さんはペンライトでも振り出しそうな勢いで、ステージを見つめている。
 視線に気づいた河本くんがこちらを見て、少し大きめに口を動かす。「頑張って」と言ってくれたのだと思う。桐子も声に出さずに「行ってきます」と応えた。
 真っ直ぐにステージを見る。手足は震えたりしていない。

「せっかくのパーティだから、特別ゲストを呼ぼうよ!」

 タマヨさんの呼びかけと共に、演劇最後の曲が流れ出す。

 ☆♪☆♪☆『御伽性デリュージョン』☆♪☆♪☆

 曲はドラムのフロアタムが打ち鳴らす子供が跳ね回るような軽快なリズムから始まった。
 高らかな音のトランペットが駆け、トロンボーンとの掛け合いが始まり、サックスが踊り出す。ド派手な舞台を支えるのはピアノと、ギターやベースの弦楽器だ。
 劇のフィナーレにふさわしいビッグバンド構成の大迫力の楽曲だ。音楽が湧き上がらせる歓喜に、演者はもちろん、観客たちも居ても立っても居られないと身体でリズムを刻む。
 劇中で魔女役だったミツハさんと、その手下を演じたニギハさんが一歩進み、伸びやかに歌い出す。


 鏡よ鏡、今日のゲストはだぁれ?

 それはガラスの靴履いた女の子

 かぼちゃの馬車でやってくる

 十字路越えてやってくる


 書き割りのかぼちゃの馬車がステージ上にスーッと滑り込み、パカッと真ん中で割れる。
 リズムにあわせガラスの靴でトコトコとステップを踏みながら登場するのは、灰姫レラだ。

(音をよく聞いて……、まず最初を外さない)

 戸惑う演技で辺りを見回す灰姫レラに、楽しそうに踊る犬っ娘が近づく。
 灰姫レラは犬っ娘に尋ねるように、歌いかける。


 犬さん、ここはどこ? 私、舞踏会にいかなくちゃ

 吉備団子をよこせ じゃないと会社を訴えるぞ


 応えた犬っ娘はスカートを翻しくるりとターンして去っていく。困惑する灰姫レラの前に、今度は猫っ娘が飛び出してくる。


 猫さん、あなたはだれ? 私、舞踏会にいかなくちゃ

 長靴があれば お城をひとつ落としてこよう


 踵でカカッと床を打ち鳴らした猫っ娘の姿も消えてしまう。途方に暮れた灰姫レラを照らすスポットライトもフッと消える。

(馬車から降りるダンスで、足を引っ掛けそうになったけど、なんとか転ばなかった)

 内心で安堵する灰姫レラだが、曲はまだ始まったばかりだ。
 クシナさんをセンターに桃太郎一行が前に出て、観客たちに語りかけるように歌う。


 おとぎの世界が壊れちゃったから

 話がぜんぜん通じない!


 ふりふりとコケティッシュな振り付け。最後にクシナさんがパンッと手を打ち鳴らすとステージ全体をライトが照らす。
 始まるサビは22人全員での合唱だ。


 Ring-Ring アリスがころりん Bow-Wow ここほれ赤ずきん

 みんながみんな好き放題

 Bang-Bang バンカラマーメイド Bla-Bla アブラカダブラ

 みんながみんな好き放題


 間奏でも止まらないドラムのリズムに、灰姫レラの心臓もバクバクと早鐘を打ち続ける。
 視界の端でチカチカと瞬く光が、演出なのか自分だけに見える幻なのか分からなくなっていた。
 落ち着けとばかりにサックスパートが訴えているけれど、緊張と高揚の入り混じった血液が全身を駆け巡っている。
 宴はまだ終わらないと言うように、門番役をしていた二人が2番を歌い出す。


 開けゴマ、パーティ会場は竜宮城

 ブレーメンのビッグバンドの演奏で

 タイやヒラメのジャズダンス

 マザーグースの満漢全席


 息のピッタリあった二人の歌とダンスに、観客もノリノリにペンライトを振り、全身で曲を楽しんでいる。
 その興奮のままに、再び灰姫レラの掛け合いパートがやってくる。


 ウサギさん、いま何時? 私、そろそろ帰らなくちゃ

 忙しい忙しい ハートの女王がカンカンだ

 カメさん、いま何時? 私、そろそろ帰らなくちゃ

 どうだいお客さん 鬼ヶ島まで乗ってくかい


 出だしで半音ズレてしまったけれど、なんとか持ち直せた。
 もちろん失敗はバレバレだ。気づいた観客がクスリと笑っているのが、ステージ上からでもモニタで分かってしまう。振り付けの横移動ですぐ隣を通ったクシナさんが、ドンマイと言うように笑いかけてくれたのが救いだった。
 パートの終わった灰姫レラと交代に、今度は後ろで歌っていたメンバー12人が前に出る。


 主役が1人じゃなかったから

 話がぐるぐる迷走中


 ここまで貯めた声量を一気に使い切るようなバックメンバーたちを中心に、全員での合唱だ。


 Tick-Tack 裏浦島太郎  Meow-Meow 吾輩金太郎

 みんながみんな好き放題

 Click-Click カチカチマウンテン Clap-Clap くわばらくわばら

 みんながみんな好き放題


 華やかなサビが終わると、なにか違和感を感じるメロディでCメロへと入っていく。まるでお祭りの途中で深刻なトラブルに気づいたけれど誰にも言えない、そんな雰囲気の曲調だ。
 難しいムードの切り替えをまず担っていくのは、クシナさんだ。


 誰がクックロビンを殺したの?


 敢えてサラッと流すようにワンフレーズを歌うクシナさん。


 誰がおとぎの世界を壊したの?


 タマヨさんは笑うように歌う。


 誰がわたしをここに呼んだの?


 灰姫レラは尋ねるように歌う。


 誰が誰が誰が ガ ガ ガ ガガガガガガ


 全員の声が無秩序に重なっていく。
 そうして、個が判別できなくなったところで、全てを放り出すかのように唐突に1人の声になる。


 すももももももももたろう!


 クシナさんの合図で、世界は輪郭(おんがく)を取り戻す。
「さあ、みんなも一緒に!」
 呼びかけに観客たちは待ってましたとばかりに応える。


 Ring-Ring アリスがころりん Bow-Wow ここほれ赤ずきん

 みんながみんな好き放題

 Bang-Bang バンカラマーメイド Bla-Bla アブラカダブラ

 みんながみんな好き放題


 ステージと客席が渾然一体となった熱唱が、会場の隅々まで轟いていく。


 Tick-Tack 裏浦島太郎  Meow-Meow 吾輩金太郎

 みんながみんな好き放題

 Click-Click カチカチマウンテン Clap-Clap くわばらくわばら

 みんながみんな好き放題


 盛り上がりから急転、蝋燭の光が、か細くなるようにライトが絞られる。
 そうして最後のスポットに残ったのは灰姫レラだ。
 ゼンマイが切れかけのオルゴールのような訥々としたメロディの中で、最後のソロパートへと立ち向かう。


 Ding-Dong Ding-Dong

 鐘が鳴っても続くよ

 Ding-Dong Ding-Dong

 めでたしめでたし


 鐘の音と共にステージもフェードアウトしていく。
 静寂が訪れ『終劇』の文字が浮かび上がる。
 ゲリラ豪雨と間違うかのような拍手が巻き起こる。音の大きさ強さだけなら、間違いなく今日一番の拍手だ。
 長い驟雨が過ぎ去ると、雲間から注ぐ陽光のように舞台へ照明が戻っていった。
 そこにはクシナさんと灰姫レラの二人だけが立っている。

「みんなー、劇は面白かったー?」

 クシナさんの問いかけに盛大な拍手と雄叫びが『最高!』と答えていた。

「それじゃあ、改めて今日のゲストは~~、灰姫レラちゃん!」

 勿体つけるように言ったクシナさんは、手をひらひらと動かして灰姫レラを紹介する。

「あ、あの、よろしくおねがいします!」

 考えていたはずの自己紹介のセリフは消し飛んでしまい、真っ白になった頭を振ることしか出来なかった。
 そんなぎこちない灰姫レラを、ハイプロファンのお客さんたちは温かい拍手で迎えてくれた。

「もちろん灰姫レラちゃんの事は知ってるよね?」
「知ってるー!」

 突然の観客席からの声に灰姫レラは驚いてビクッと跳ねてしまう。

「あ、ありがとうございます!」
「配信みてるよー」
「ありがとうございますっ!」

 どう反応していいか分からず、ありがとうございますBOTになって、ペコペコと赤べこみたいにお辞儀していた。そんな灰姫レラの様子に観客席からあたたかい笑い声が聞こえてくる。

「どうして灰姫レラちゃんをゲストに呼んだか、みんな知ってる?」
「しらなーい!」

 ヒーローショーのお姉さんのように尋ねるクシナさんに、観客たちも合わせてちょっと幼い声で答えていた。

「実は彼女に関する重大発表もあるんだけど……」

 含みをもたせるクシナさんに、観客がどよめき、期待を込めた視線をステージに送ってくる。その視線の圧に灰姫レラは耐えきれず口を開いてしまう。

「そ、そうなんです! 実はハイ」
「待って待ってレラちゃん、ストーーーップ!」

 慌てたクシナさんに手で口を押さえられてしまう。

「あ、まだ言っちゃ駄目なんでした……」
「そうよ、お楽しみはライブの最後にね!」

 茶目っ気たっぷりに言って、クシナさんは観客席に向かってしーっと人差し指を立ててみせた。

「灰姫レラちゃんと言えば、ここ2ヶ月ぐらいは特に目覚ましい活躍よね」
「きょ、恐縮です」
「アオハルココロちゃんと一緒のステージにも立って。私もリアルタイムで見てたけど、あんなに視聴者さんが盛り上がるオンラインライブってなかなかないわね。本当に凄いことよ」
「いろんな人が協力してくれたからなんです。私の力なんてほんの少しで」
「力の大小なんて関係ない。頑張れば夢は叶うって示したのは灰姫レラちゃんなんだから、自信持って!」
「は、はい。頑張ります!」

 台本にないアドリブの会話に、灰姫レラはついていくので精一杯だった。

「フフッ、実は私もアオハルココロちゃんが好き。観客の皆も好きだよねー!」

 クシナさんの呼びかけに、「もちろん!」と観客席から沢山の同意の声が上がる。桐子のオタクの部分がどうしても笑みを零さずにはいられなかった。

「特に好きな曲があって、今日は灰姫レラちゃんと一緒にね」

 視線を合わせて頷くクシナさん。

「はい! クシナさんと一緒に歌います!」

 灰姫レラは元気一杯に応えると、リハーサル通りの位置につく。

「その曲は――」

 ☆♪☆♪☆『キリキリマイ』☆♪☆♪☆

 夢か現か、雅なお屋敷、爪弾く琴の音が幽玄の世界へと誘う。
 枝垂れ桜の花弁がはらはらと舞い散る縁側、障子に揺れる影二つ。
 尺八の響きと共にイントロが高まり、勇壮な和太鼓が蝋の灯りを揺らす。
 宴(ライブ)を彩る和ロックのナンバー。
 障子が開き現れ出たるは、二人の女人。


 昼夜構わず 惰眠暴食

 1年8760時間、どんだけ無駄にしてきたんだ


 クシナさんはハイテンポの難曲を、ブレスを感じさせないどころか1音も外さない。むしろ、困難に向かっていく中で高まり、ダンスのキレも歌声の伸びも増していく。


 誰彼問わず 憤怒羨望

 鏡の前に立ちもしないで、どんだけ自惚れてきたんだ


 灰姫レラも激流に流されまいと、食らいつくように歌う。
 もしこれが有名なJポップやボカロソングだったら、自分ではクシナさんに太刀打ちできないだろうと思ってしまっていた。彼女の力強さと愛らしさを併せ持った歌声の前に、力足らずの自分の声なんて霞んでしまうと受け入れていたかもしれない。
 でも、これはアオハルココロちゃんの曲だ。
 自分から引き下がって、お飾りの花になるわけにはいかない。


 やらなかった分だけ 伸びしろだらけ

 思い立ったが、成長期!


 灰姫レラの想いを知ってか、クシナさんもこの歌で声が枯れても構わないとばかりに全身全霊で歌ってくれる。


 やらかした分だって 経験だろ

 腹括ったら、まだ舞える!


 歌もダンスもクシナさんの方がずっと上手い。
 だけど、負けてるなんて思われたくない。
 不甲斐ない歌やダンスを見せたくない。
 アオハルココロちゃんの曲で、誰かをがっかりなんてさせたくない。


 斬斬舞舞 斬斬舞 斬斬舞舞 斬斬舞

 踊れ 諸行無常のダンス・マカブル

 斬斬舞舞 斬斬舞 斬斬舞舞 斬斬舞


 サビのダンスは二人が左右に分かれて、連続するターンだ。
 さすがクシナさんは日本刀のように鋭い回転をみせるが、灰姫レラも負けてはいなかった。

(紅葉みてて!)

 妹の特訓を受けて身につけたフィギュアスケート仕込のターンだ。軸のブレない安定した回転自体の美しさで立ち向かっていく。


 神様が見てなくたって

 報われる時は来る だから

 抱えて進め髑髏(しゃれこうべ)


 二人は全く寸分の狂いなく同時に、ダンッ!とステージを踏みしめる。
 あっという間に間奏だ。
 灰姫レラは足りない酸素を取り込もうと、呼吸を意識する。とにかくテンポの速い歌とダンスに、曲のタイトル通りきりきり舞いになってしまう。
 一方のクシナさんは、演劇からステージに出ずっぱりなのにほとんど息を切らしていない。ライブのために最高の状態に仕上げてきた姿は、まさにアスリートだ。
 間奏の振り付けで二人の位置が交差する。
 2番から、2人のパートが逆になるのだ。
 灰姫レラが先行することになるから、クシナさんの歌とより比較されることになる。歌い出しで観客の心を掴みにいかなければならない。
 練習の成果を見せてと言いたげなクシナさんの視線も感じる。
 ここがさらなる正念場だ。

(期待に応えたい。練習に付き合ってくれた皆のために、ステージを観てくれてる人たちに!)

 正面から観客席を映しているモニタを見る。
 前列の人たちしか表情は分からないけれど、揺れるペンライトや輪郭で会場全体の盛り上がりは伝わって――。
 視線が止まる。
 いま何か違和感があった気がした。

(もうすぐ間奏が終わるんだから、集中しないと)

 視界の端、観客席の右端で揺れていた、人影がガクッと動いた。

(えっ……倒れた? ううん、気のせい……)

 混み合った観客席は全員がライブに集中していて、周りなんて見えているはずがない。もし本当に誰かが倒れてしまったのなら踏まれたり……。
 一人分だけ不自然に出来た観客席の空白に、不安が高まる。

(大丈夫、誰かが気づいて――)

 違う。
 そうじゃないことを知っている。
 いつも誰かが助けてくれるなんて限らないんだ。

 客席で――

 2番の歌いだ――。

「危ないっ!」

 二つの思考の末に、桐子は叫んでいた。

「え?」

 困惑の声を漏らすクシナさん。
 演出だと思ったのか観客は気づかない。
 自分に注意をひいた桐子は駆け出していた。
 曲の2番が流れていく。
 桐子の突然の行動にスタッフさんたちが慌てている。

『どうしたの?!』

 舞台監督さんの声が裏返っていた。

「お客さんが倒れたみたいなんです!」
『すぐスタッフに確認を――』

 答えを聞き終わる前に、桐子は舞台の端へと到達していた。ここから客席へ行くには袖から関係者用の扉を通る、もしくは――。
 桐子は巨大スクリーンの端に手をかけると、隙間を広げ身体をねじ込んだ。

「んんんっ!」

 自分の身体を引き抜くようにしてスクリーンの裏側から抜け出た桐子は、そのまま直接、観客席へと飛び降りる。
 動きに気づいたお客さんたちが何事かと桐子の方を見ているが、気にしている余裕なんてない。

「大丈夫ですか!」

 桐子は声をかけながら人垣へ踏み込んでいく。異常事態を察知しスマホの灯りをつける人たちもいる。場内は暗いけれど、すれ違うお客さんの驚いている顔が分かった。

(確かこの辺りに……あっ!)

 細身の女性が蹲っていた。

「大丈夫ですか?!」
「えっ……あぁ、だいじょ……」

 呼びかけに気づいた女性は、立ち上がろうとするけれど、ふらついて尻もちをついてしまう。。
 桐子は女性の背後に回ると、羽交い締めの要領で上半身を押さえる。ここで倒れているのは危ないと、通路側に向かって引っ張り始めた。

「道を開けて下さい!」

 人が倒れていることに気づいた周囲の人たちが、空間を開けるために下がろうと――。
 突然、ハウリングのような耳障りな音が会場内のスピーカーから一斉に流れ出す。

「ぎゃあっ! うるさっ!」

 騒音と悲鳴だけで終わらなかった。
 クシナさんを映していたスクリーンの映像がフッと消えてしまう。
 主な光源を失った会場が急に闇に沈む。

「きゃぁっ!」

 暗闇に放り出された人々が混乱の声を上げる。

「押すなよ!」
「こっち危ないぞ!」

 蠢く人々の足がいつ女性を踏みつけてもおかしくない。
 早くこの場を離れないといけないと、桐子は全身の力を込めて女性を引っ張る。
 会場端まで1メートルと少し。

「うんんんんっ、しょっと! 大丈夫ですか?」

 桐子は女性に喋りかける。

「え……あ……ありがとうございます、ちょっと寝不足でふらついてしまって」

 意識がはっきりしたのか女性は、桐子の手から離れ自らの足で立ち上がろうとする。

「それなら、よかったです」

 安堵した桐子は思い出したように息を吸い込み、自分も立ち上がろうとした。

「きゃあああっ!」

 頭上から悲鳴が聞こえたと思った次の瞬間。
 桐子の身体を圧迫感が襲った。
 ライブの時から必死に動いて酸素を取り込もうとしていた肺がギュッと潰れるような感覚。

(あ、ライブ)

 暗幕が目の前に落ちたように、薄明かりすらも消え。

(歌わなきゃ)

 意識が――――。

####################################

倒れた人を助けるために客席に飛び込んだ桐子。
さらなるトラブルで、彼女は意識を失ってしまう。

桐子は? ライブは?
どうなってしまうのか。
その時、ヒロトはどう動くのか?!

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