第2話

文字数 7,403文字

「おっっっはよーー! Vチューバーのアオハルココロだよっ、てね!」

 アオハルココロちゃんは真っ白いVR空間に浮かぶカメラを掴むと、吐息がかかるぐらい近くまで顔を近づけ元気よく挨拶をした。
 VR空間に浮かぶコメント欄が急加速、常人の動体視力では捉えられない速度で視聴者の挨拶で流れていく。
 50万人。
 開幕からの圧倒的な視聴者数に手が震え始める。
 まだ配信に映っていないからと、桐子は祈るように両手を合わせる。

「土曜日の朝から集まってくれてありがと! 終電まで働いてた社畜さんたち、面倒くさい飲み会に出かけたパリピ共、そして深夜配信を追いかけてたVチューバーのガチオタのみんなは、まだ寝てたかった?」

 コメント欄の同意の言葉と一緒に、『高評価』の数が百人単位で増えていく。

「でもね~、そんなみんなの眠気をぜっっんぶ吹き飛ばす、素敵なゲストがいるの! 紹介しまーす!」

 アオハルココロちゃんはVRカメラを掴んで振り回す。

「灰姫レラちゃんですっ!」

 チェック用のVRモニタに、白いドレスの少女が映る。3Dモデルでも、分かるぐらい表情が硬い。

(私、緊張してる……!)

 あれだけじっくり解した身体が硬くなり、何かが張り付いたように喉が閉じていた。

「わたっ、はっ!」

 盛大に噛んでしまった。
 『w』と『噛んだ』で埋まるコメント欄。
 自ら出鼻を挫く圧倒的失敗に、さっきまでの昂ぶりが恐怖心に食われていく。

(な、何か言わなくちゃ……)

 声がでない。
 このVR空間と同じぐらい頭の中が真っ白になり、沈黙したままの灰姫レラを訝しむコメントだけが目に入ってくる。

(あ、あ、あいさつ、えっと、いつもなんて言って、アオハルココロちゃんが、困って、待たせちゃ)

 パニックで断片化された思考が詰まってしまったかのように、何も言えない。

(このままじゃ――)

『大丈夫』

 優しい声がASMRのように桐子の耳に響く。
 アオハルココロちゃんも、視聴者も聞こえていない。河本くんがマイクを通して、桐子だけに話しかけているのだ。

『待たせるだけ待たせればいい。その分、みんなが灰姫レラに注目してくれる。いい演出だよ』

 心配するんじゃなくて、プロデューサーとして河本くんは容赦なくプレッシャーをかけてくる。

(あはっ、ほんとに河本くんらしい)

 頭の中を埋めていた無意味な言葉がスッと消えていき、ガチガチだった身体から余計な力が抜ける。
 困り顔のアオハルココロちゃんがカメラを空中に置いて近づいてくる。

「あれ? なにか問題が――」
「はじめまして灰姫レラです!」

 声を遮られたアオハルココロちゃんは一瞬驚いたように目を見開いたけれど、すぐにいつもの笑顔を取り戻す。

「アハハ、機材トラブルじゃなくてよかった~」
「すみません、緊張してボーッとしちゃいました」

 アオハルココロちゃんが見せる和やかな雰囲気に、視聴者も気が抜けたような軽い反応でコメントをしていた。

「緊張して? 灰姫レラちゃんって、結構な不思議ちゃんなのかな?」
「ふ、不思議なんて! アオハルココロちゃんのほうが不思議な存在です! あ、えっと存在してるのが不思議って意味です!」
「それって、生きてるのが不思議系ってこと? もしかしてディスられてる?」
「ち、違います! えっと、神様が生きてるみたいな不思議さです!」

 慌てて手をぶんぶんと振り回す桐子に、アオハルココロちゃんは口を尖らせる。

「えーー、神様って言われてもあんまり嬉しくないなー」
「じゃあ……もっとストレートに言うと…………あ、憧れです!」

 渾身の告白に桐子はぎゅっと手を握りしめる。本人に面と向かって言うのはさすがに照れてします。

「ふふっ、知ってた。灰姫レラちゃんはわたしみたいになりたかったんだよね?」

 悪戯が成功したみたいに喜ぶアオハルココロちゃんに、桐子は慌てる。

「ど、ど、ど、どこで知ったんですか? いつ言いました?」
「ガチ泣き配信で言ってたよね♪」
「あ、そうでした……」
「それだけじゃないよ。灰姫レラちゃんがわたしの曲を歌ってくれたのも全部見ちゃった♪ ありがと、とっても上手かったよ」

 それが『対戦相手』の事前調査だったとしても、アオハルココロちゃんへの『ラブレター』が届いたことに桐子の胸は高鳴った。

「そうなんです! アオハルココロちゃんに憧れて、Vチューバーを始めました!」
「嬉しいな~。誰かの目標になれて」

 そう言いながらアオハルココロちゃんは含んだ笑みを浮かべる。

「嬉しいけど……それだけじゃないよね。灰姫レラちゃんが、いまVチューバーを続けてるのは?」

 声色もトーンも変わっていないはずなのに、はっきりとアオハルココロちゃんが放つプレッシャーが変わるのを桐子は感じた。

「逃げずに、私の前に立ってるのは理由があるんだよね?」

 念を押すアオハルココロちゃんに、コメント欄に困惑の言葉が混じり始める。視聴者たちもいつものコラボ配信とは、何かが違うと気づき始めたようだ。
 だったら、もう覚悟を決めるしかない。
 覚悟を決めたなら、自分から行くしかない。

「はい……私、アオハルココロちゃんと戦いに来ました」

 灰姫レラの宣戦布告に、コメント欄は突然の無政府状態に陥る。
 不遜に怒りを露わにするファン、聞き間違いだと宥める有識者、そして困惑する大半の視聴者たち。
 その反応全てを許し受け入れるように、アオハルココロは両手を広げる。

「そう! 今回のコラボ配信は、わたしと灰姫レラちゃんでパフォーマンス対決をしちゃうから! それじゃ、天の声さん解説おねがいしまーす」
「はいはいはーい、どもどーーも! 天の声ことVチューバーの天声シンゴです!」

 姿なき男性の声が空から降ってくる。

「今回の対決は古来よりVチューバー界に伝わる『アレ』で行われちゃったりなんかしますよ! アレって、何だって? アレはアレに決まってるじゃないですか!」

 捲し立てる言葉に引きずられるようにして、VR空間の床から黒いモノリスがスーッと浮上してくる。

「クライマックスゥゥゥ、ブイ・バトルゥウウウウウウウウ!」
 焼印を入れる音と共に、モノリスに『CLIMAX V-BATTLE』のタイトル文字と続く細かい説明が浮かび上がる。
「ルールは至ってシンプル! パフォーマンスをして、単位時間あたりの平均コメント数が多い方が勝ち!」

 天の声の説明にコメント欄は不穏な盛り上がりに満ちていた。
 当然だ、一時期流行ったVチューバー同士のガチンコ対決だけれど、最近はほとんど行われていない。遺恨を残し相手を恨む者や、勝利に取り憑かれ過激なネタに走る者、そしてファン同士の諍いが続出したからだ。
 さらに、その対決の中でも最も実力差がはっきりと出るのが『CLIMAX V-BATTLE』方式だった。

「小話で笑わせても、歌で感動させても、ゲームテクで魅せても、一発芸で沸かせたってOK! BAN覚悟の下ネタだって構わない!」

 説明が終わらないうちから、コメント欄の反応は二つに割れていた。祭りが見たいと狂喜する多数と、過去にあったVバトルの傷痕を知り二人を案じる少数だ。

「Vチューバーたるもの、視聴者を盛り上げてなんぼのもん! ファンの声援も、アンチの戯言も、全てを使い勝利しろ! Vチューバー界の限界バーリトゥード!」

 捲し立てる天の声が終わると、灰姫レラとアオハルココロの立つ床が上昇を始める。
 真っ白なVR空間の頭上には黒い穴が開き、そこへ急速に近づいている。加速度を感じないのが少し変な感じだ。

「灰姫レラちゃん、緊張してる?」
「もちろん、してます。これ見て下さい、手汗がすごくて震えちゃってます」

 そう言って、桐子は掌を見せる。

「仲良く楽しもう、レラちゃん!」

 結果は決まっているとでも言いたげに、アオハルココロちゃんは桐子に手を伸ばす。

「……できません」

 その手を桐子はとらない。
 剣呑な雰囲気を察したチャット欄がざわつく。

「どうして、仲良くできないの?」

 ニヤニヤと笑う彼女を、桐子は真っ直ぐ見つめる。

「私がアオハルココロちゃんを倒すからです!」
 投げ込んだ爆弾が炸裂。

〈言った!!〉〈言い切った!!〉〈なんだこいつ!〉〈喧嘩だ!〉〈マジか!〉〈倒すって?!〉〈どういうこと?〉〈ヤバイぞ!〉〈えっどうなるの?!〉〈qうぇrty〉

 爆速で流れるコメント欄を無視して、アオハルココロちゃんは嬉しそうにパチンと手を叩く。

「そうこなくっちゃ! ぐだぐだした無駄話はもうおしまい!」

 二人を乗せた床が天井の穴を潜る。
 割れんばかりの大歓声が二人を迎える。
 そこは巨大なコロシアムだった。
 足元はパーティクルが舞いそうな乾いた土の地面に変わり、円形のグラウンドは古びた石の壁に囲まれている。四方にあるゲートは、ここからは誰も逃さないと鉄格子で堅く閉ざされている。
 コロシアムの頭上にはVRモニタが浮いていて、VRカメラの映像や視聴者数などを映している。
 数万人を収容できる客席にはぞくぞくと視聴者たちがログインしていた。世界各地からVRワールドに接続している視聴者のアバターが、これから何が起こるのかと二人の一挙手一投足を見つめている。
 VRワールドだけでなく、動画配信サイトの視聴者数も急速に増え、100万人を突破しようとしていた。
 【アオハルココロがVバトルを行う】という情報はネットを駆け巡り、日本だけでなく世界で最もホットな話題になっている。
 その中心に、いま灰姫レラは立っている。

「さあ、始めよっか! アオハルココロと灰姫レラの戦争を!」

 アオハルココロちゃんが空に手を掲げると、その手の中に剣が現れる。

「……はい!」

 灰姫レラが踵をカツンと鳴らすと、その手の中に弓が現れる。

「曲は特別バージョンの、【LOVE&――」
「狂熱(フィーバー)】」

 ☆♪☆♪☆【LOVE&狂熱(アオとシロVer)】♪☆♪☆♪☆

 トランペットが勇壮なファンファーレを吹き鳴らす。
 コロシアムの東ゲートが獣の顎のように開かれ、影の軍勢が入場してくる。人や獣、あるいは機械、さらには得体の知れない化物までいる。
 彼らは真夏の太陽が作り出した濃い影が、地面から抜け出したような姿をしている。輪郭もあやふやな真っ黒な影の身体で、双眸だけが鬼火のように青白く燃えている。
 影たちは手にした剣や槍、あるいは悪魔のように伸びた爪で、アオハルココロと灰姫レラに襲いかかる。


 空を斬り裂く 蒼雷ノ剣

 永遠の愛を求める グラディエーター

 秘めたココロを いま解き放つ


 アオハルココロの剣が舞う。
 影が放つ幾百の凶刃は彼女の身体を捉えることなく、彼女の振るう白刃だけが次々と影を捉えていく。
 どこまでも美しく、どこまでも力強い。
 その姿はヴァルハラから遣わされた戦乙女(ヴァルキリー)。


 星を射抜く  白炎ノ矢

 輝く勝利を求める グラディエーター

 ハイになっても 戦い続ける


 灰姫レラの弓が奏でる。
 流星のように駆けた光の矢は迫りくる影を次々に穿ち、影の軍勢を寄せ付けない。
 どこまでも一途で、どこまでも清楚。
 その姿はアルカディアから舞い降りた狩女神(アルテミス)。


 死出のファンファーレ

 Enter The Ring.

 両雄並び立たず

 Ring The Gong! FIGHT!


 アオハルココロの熱い歌声が、魂なき影を震わせる。
 影たちはこのままでは勝てないと察し、ひとつ所に集まっていく。
 元の形を僅かに残し溶けて混じり合った影は、憎悪と悪意の塊のようにおぞましい姿をしていた。絶えず形を変え続け、人間の四肢を伸ばし、獣の舌を突き出し、昆虫のような節足を蠢かす。
 異形が持つ百の顎、千の目が悪意の汚泥を撒き散らす。
「やっちゃおっか!」
「はい!」
 アオハルココロの呼びかけに灰姫レラが応え、二人は異形の悪意に立ち向かっていく。


 足りないとか 怖いとか

 言ってる時じゃない

 LOVE & 狂熱(フィーバー)

 全力で愛して 全力で狂って

 全てを賭して 手に入れろ!


 雷を纏った剣が分厚い影を焼き切り、悪意のコアが顕になる。
 影は傷口を閉じコアを守ろうとするが、遅い。
 炎の矢が青白く光るそのコアを貫く。
 悪夢の終わりを告げるかのように、影は炎上し消えていく。
 脅威は去った。
 しかし、二人は武器を降ろさない。
 間奏に導かれ、視線がぶつかる。

 先に歌(はな)ったのは、灰姫レラだ。


 世界を壊す 宿命の戦い

 何度転生したって フォーエバー

 ココロがハイに なったとしても


 流星のごとく駆ける光の矢。
 アオハルココロは笑顔のまま、その全てを躱していく。
 セーラー服を傷つけられないどころか、自ら灰姫レラに駆け寄っていく。
「わたしについて来れる?」
 最後の隔たりを一気に踏み込んだアオハルココロ。
 その剣が、灰姫レラのドレスに触れる。


 悠久のラプソディー

 Change The Fate.

 竜虎相搏つ

 Fate The Battle! CLIMAX!


 灰姫レラは手にした弓で、アオハルココロの鋭い斬撃をどうにか受け止める。
 細い身体からは想像できない強烈なプレッシャーに、押し切られそうになる。
 しかし、灰姫レラは踏みとどまり戦(うた)う。


 ヤバイとか ツライとか

 喚いてる時じゃない

 KISS & 哀哭(クライ)

 全力で抱いて 全力で叫んで

 全てを賭して 手に入れろ!


「なかなかやるじゃん」
 アオハルココロは楽しげに言って、剣を握り直す。
「もっともっと高く飛ぼう! 二人で!」
 心臓が限界を求めるように、さらに速度とプレッシャーが上がっていく。


 恋して! 咲いて!

  狂って! 裂いて!

 焦がれて!  泣いて!

  足掻いて!  哭いて!


 斬撃と射撃の絶え間ない応酬。
 反応も膂力も上のアオハルココロに、灰姫レラは必死で食らいついていく。
 喉と肺の悲鳴を歌に替えてでも、止まるわけにはいかなかった。


 欲しいとか 惜しいとか

 ねだってる時じゃない

 GIVE & 強奪(テイク)

 全力で生きて 全力で駆けて

 全てを賭して 手に入れろ!


 刃を弾いた灰姫レラが距離を取る。
 どうにか猛攻を凌ぎきったけれど、息つく暇はない。
 アオハルココロが空に掲げる剣に光が集まっている。トドメの一撃を放とうとしていた。
 小手先の技でどうにかできる代物ではないのは明らかだ。
 灰姫レラも弓を力の限り引き絞り、矢に光を集めていく。


 好きとか 嫌いとか

 言ってる時じゃない

 LOVE & 狂熱(フィーバー)

 全力で愛して 全力で狂って

 全てを賭して 手に入れろ!


 極限まで高められた2つの力が放たれ、中央で激突する。
 膨大な光が溢れ、破壊の衝撃となってコロシアムを飲み込んでいく。
 観客も、カメラも、全てが白に染まっていく。
 その光の中で、二人の少女が叫ぶ。

『手に入れろーーーー!!!』

 その中心で何が起こっているのか観客たちには分からなかった。
 アウトロと共に光が薄れていく。
 シルエットは一人だけだ。
 短いスカートが翻っている。
 立っているのはセーラー服の少女だ。
 その足元には、灰姫レラのティアラが転がっていた。

 ☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪

「はぁはぁ……はぁ……」

 桐子はどうにか早く呼吸を整えようとしたけれど、早鐘を打つ心臓はもっと酸素をよこせと暴れ、肺を急かしていた。
 一曲歌っただけなのに、顔から滴るほどの汗が吹き出している。アオハルココロちゃんが放つプレッシャーに耐え、その歌声についていくには寿命が縮んだと感じるほどの生命力が必要だった。
 そうまでして競った相手は息の一つさえ乱さず、鳥居に止まる鳥のように佇んでいた。

「お疲れかな?」

 アオハルココロちゃんは灰姫レラを通して、視聴者に語りかける。

「じゃ、わたしが先にパフォーマンスをするから、灰姫レラちゃんは少し休んでてね」

 優しい言葉とは裏腹に、灰姫レラは強制的にステージから追い出され、特別視聴エリアに強制移動させられてしまう。

「ふぁあっ!」

 急激な視覚の変化に深呼吸が相まって、バランスを崩した桐子はその場で転んでしまう。

「香辻さんっ!」

 心配する河本くんの声と、椅子を倒した音がほとんど同時に聞こえてきた。

「キャプチャースーツは壊してませんからっ!」

 慌てて弁解しながら桐子はHMDのバイザーを上げる。
 眼の前がVR空間のコロシアムの瓦礫から、見慣れた秘密基地のスタジオに切り替わる。

「そんなの良いから! 足とか挫いてない?」
「えっと……特に痛くないです」

 足首を回す桐子を見て、河本くんが胸をなでおろす。

「お姉ちゃん、飲み物! 少しでも休んで体力回復!」
「う、うん……ごくっごく……」

 紅葉に渡されたペットボトルのスポーツドリンクで桐子は喉を潤す。

「体力差で先手をとられちまったか」

 スミスさんが音響機器の調整の手を止め、眉を吊り上げる。
 地下室に流れる重い空気に、河本くんが口を開く。

「そこは想定通りだよ。アオハルココロに一日の長があるからね。でも大丈夫、僕たちには香辻さんとスミスで作った新曲が――」
「なんと今から未発表の新曲でパフォーマンスしちゃうよ!」

 河本くんの声を、VR空間からの大歓声が遮った。
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