第1話
文字数 7,298文字
【前回までのあらすじ】
パッと流れを思い出したい貴方には、
『10分で分るクソザコシンデレラ』がオススメ!
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■□■□河本ヒロトPart■□■□
「きょっ、脅迫状なんです! 河本くん!」
香辻さんは辺りを窺ってから、ヒロトに顔を寄せてヒソヒソ声で言った。本人は内緒話のつもりのようだけれど、裏返り気味の声は校舎裏に十分響いていた。
「ずいぶん物騒な話だけど、誰に届いたの? 香辻さん? 家族の誰か?」
ヒロトは昼食のサンドイッチをコンビニの袋から取り出そうとしていた手を止めて聞き返す。
遅刻ギリギリで登校してきた香辻さんが、悩んだ様子で授業が始まる前に「相談したいことがある」と言っていたのはこの事だったようだ。
「あ、えっと! 私というか灰姫レラというか! えっとえっと! よく分からなくて、あ、でも、その!」
香辻さんが目をぐるぐるぐしながら、なぞの手振りで伝えようとする。不安で考えすぎて、頭の中がパンクしそうなのだろう。
「香辻さん、まずは一緒に深呼吸しようか」
灰姫レラという名前が出た以上は自分がしっかりしなくてはと、ヒロトも深く息を吸い込む。
「は、はい! すー……はー…………」
「その脅迫状はいま持ってる?」
「ありますあります! ツイッターのDMなので……これです!」
あわあわとスマホを操作して、香辻さんはVチューバー『灰姫レラ』のアカウントを開く。アカウントの管理は香辻さんなので、ヒロトはパスワード等は知らない。
「先に確認しておくけど、内容的に僕が見ても大丈夫?」
脅迫状というぐらいだから、過激な内容も覚悟していた。もちろん香辻さんにそういったゴシップがあるとは思えないが、コラージュや捏造など、不快な内容は簡単に作り出せる。
「全然大丈夫ですけど?」
ヒロトの心配に気づかない香辻さんは不思議そうな顔でスマホの画面を差し出した。
『灰姫レラって、もしかして香辻桐子さん?』
短い一文だけで、その後ろに追加の文言はぶら下がっていない。
「なるほど……」
ヒロトは口に手を当てて考える。このDMからでは脅迫と断定する事はできないが、もちろん放置したり、笑って済ませられる内容ではない。
「身バレしちゃってるんです……」
「とりあえず、文面からすると送り主は確信を持ってなさそうだね」
「そうですよね……」
不安そうに目を伏せる香辻さんに、ヒロトは小さく頷く。
「でも、きちんと対処しないといけない問題だね」
「ありがとうございます!」
香辻さんはホッと胸をなでおろし、思い出したようにお弁当箱を開ける。お弁当箱の中には一口サイズのハンバーグを主菜にプチトマトなどの野菜類、それに可愛らしい俵型おにぎりが4つ入っている。今日は香辻さんの手作りのようだ。
ヒロトも手にしたままだったサンドイッチの包装を開けて、チキンカツサンドを一口かじる。
「さてと相手のアカウントは……」
片手で自分のスマホを操作して、ツイッターでDMの送り主のアカウントページを開く。非公開ではないし、ブロックもされていない。そもそもツイートすらしていなかった。
「捨てアカ……? にしては、IDはそれっぽくないか……」
ユーザー名は『ねこじゃらしっぽ』で登録IDも同じだ。攻撃的な捨て垢なら、もっと没個性的な名前か完全ランダムにする傾向がある。
「知り合いに心当たりはない? 例えば猫好きの人とかで」
「まったくないです! 友達いないので」
食い気味に答える香辻さんに、ヒロトも合わせて頷く。
「僕も心当たりが無いかな」
「なんで河本くんが?」
ハンバーグを箸で細かく切っていた香辻さんが首をかしげる。
「灰姫レラに僕が関わってることを知って、誰かが嫌がらせを仕掛けてきた可能性もあるからね」
「絶対違います! アオハルココロちゃんみたいに、河本くんの才能を欲しがってとかなら分かりますけど……嫌がらせなんて!」
そんなことは絶対にないと信じ切っている香辻さんに、僕は首を横に振る。
「自業自得だったり、恨みを買ったり……他にも色々あるからね」
ヒロトが、とあるVチューバーのプロデュースのごたごたで腹を刺されたことは、かつての仲間であるスミス経由で香辻さんも知っている。そして、それ以外にもまだ話せないでいることがあった。
「河本くんは関係ないと思うけど……、とにかく相手のことが何も分からないと、どうしようもないですね」
「いや、すぐに対処できなくても、対策は考えておいたほうが良い。何か起きた時にすぐに動けるからね」
「なるほど、分かりました!」
香辻さんの声が最初よりも弾んでいた。DMを受け取ってから一人で考え続けて、不安が膨れていたに違いない。
「これからは何かあったら、すぐ僕に連絡すること。それこそ夜中でも」
思わず強くなってしまったヒロトの口調に、香辻さんは少しびっくりしながらも視線を逸らさない。
「は、はい……でも、と、盗聴とか、コンピューターウィルスで河本くんの個人情報が流出したり……」
「大丈夫だよ。香辻さんが変なサイトにアクセスしたり、ツイッターで怪しいアプリと連携してなければね」
「も、問題はないと……思うけど……あ、でも、一応調べてください! 中は見ても大丈夫なので!」
「オッケー」
押しつけられた香辻さんのスマホを受け取り、各種のアプリや設定を調べる。インストールされているのはゲームや配信で使うアプリなどで、スパイウェア系や怪しいものはない。ツイッターのアプリ連携にもおかしい項目はなかった。
「うん、大丈夫だよ」
「河本くんが確かめてくれたなら、もう安心です!」
満足そうに言って香辻さんは、お弁当の大きめのブロッコリーを一口で頬張る。味覚を取り戻したような食べっぷりに、ヒロトもチキンカツサンドを食べかけだったことを思い出した。
「何をするにも、頭に栄養を回さないとね」
「ですね!」
それぞれの昼食を食べ進めながら、ヒロトは話しを続ける。
「まずはどうして身バレしたかを考えよう。灰姫レラの正体が香辻さんだって気づくルートだけど、一つは動画からだね」
「それは河本くんですね……私が配信中に学校であったことを話してしまって……」
飲み込んだプチトマトの色が移ってしまったみたいに、香辻さんは頬を染める。
「このルートの場合は香辻さんと物理的に距離が近い人。学校や近所、あるいは親戚とかかな」
まったく見ず知らずの人間がストーカー化するなんて話はフィクションでよくあるけれど、実態は10%以下だ。変に可能性を広げて、香辻さんを怖がらせないほうがいいだろう。
「声からでしょうか?」
「うーん、どうだろう。声って割と先入観が大きいから、その人だって思わないと同一人物だって分からなかったりするよ。例えば電話の声は通信量を少なくするために、機械的に作られた合成音声だけれど、その人の声だって分かる。逆もまた然りだね」
ヒロトの説明に、「電話ってそうだったんですか!」と香辻さんは驚いていた。
「あ、電話じゃなくてもそういうの分かります。人によっては、配信用のマイクを通すだけでも、声が結構変わっちゃったりしますよね。私の場合ってどうでしょうか? 自分の声ってよく分からないんですけど」
「そうだね。香辻さんが灰姫レラになってる時は、アオハルココロに声の感じが似ているから、一見さんならそっちのイメージに引っ張られるんじゃないかな。あ、別に個性がないとか、そういう話じゃないからね」
「分かってます。というか、むしろです! アオハルココロちゃんに声が似てるって、言ってもらえるのは、すっごく嬉しいです」
香辻さんは箸でつまんだ一口サイズの俵型おにぎりを噛みしめた。
「声じゃなくて、話の内容から身バレした可能性もあるね。出かけた場所から大まかな地域の特定は簡単。例えば購入した製品を総合的に判断すれば、取扱商品からどこの系列のスーパーをよく使ってるとか分かる」
「私、コンビニの限定商品とかよく喋っちゃいます!」
「ただ、そうなると引っかかるのは、灰姫レラが陽キャを偽ってた時に捏造エピソードを披露していたこと」
「そ、そんなこともありましたね……」
バツが悪そうに香辻さんはチーズの欠片を飲み込んだ。
「捏造とそうでないエピソードの見極めは難しいんじゃないかな。もろにネットで調べました系の話題は検索で一発だけど、クラスメイトの話を聞き耳を立てて、それを香辻さんがアレンジしたのは赤の他人には判別できないと僕は思う」
「となると、配信で喋った内容から身バレしたわけじゃないんですね」
「うん、可能性は低いね」
ヒロトの言葉に香辻さんは安堵したように紙パックのお茶を飲む。
「次に考えられる身バレのルートが、灰姫レラの正体が香辻さんだと知っている人から直接情報が流出したパターン」
「それは……無いと思うんですけど……」
箸を止めた香辻さんの顔が露骨に曇る。他人を疑うことが苦手なのだろう。しかし、ヒロトとしてはその可能性を考慮しないわけにはいかない。
「灰姫レラの正体が香辻さんだって知っているのは、僕、香辻さんの妹の紅葉ちゃん、作曲家のブラックスミス。他にいるかな?」
「私は誰にも喋ってません。うっかり喋っちゃう友達もいないので大丈夫です!」
ふるふると首を振った後に、香辻さんは力強く頷いた。
「後は……アオハルココロか……」
「そんなことありません! だって、私がアオハルココロちゃんに会ったのはVRワールドだけで、リアルでは面識もなければ名前も教えてません!」
すぐに否定する香辻さんだったが、ヒロトは渋い顔を変えない。
「アオハルココロは、元プロデューサーだった僕のことをよく知っている。僕が住んでるビルとその地下にある収録スタジオのことも。出入りしている人間を調べれば、すぐに香辻さんに行き着くよ」
「アオハルココロちゃんは絶対にそんなことしないです!」
大きな声を出した香辻さんは勢い余って紙パックを握る。ストローからピュッと飛び出した烏龍茶がベンチの端っこを濡らした。
香辻さんにとって、トップVチューバーのアオハルココロは憧れの存在だ。アオハルココロを目指して灰姫レラとして活動を始め、先日ついにコラボ配信でライブ対決をした。そこで彼女と相対し、香辻さんはさらにアオハルココロへの敬意を強めているようだった。
「もちろん、アオハルココロ本人がそんなことはしない。でも、アオハルココロは企業に所属している。配信外の情報、例えばVRワールドの行動ログなんかは他の人も見ることができるはずだ。そこから僕だけじゃなく、香辻さんの情報が流出することは十分に考えられる」
「アオハルココロちゃんの周囲から……もし、そうなると完全にお手上げですね……」
「可能性の話だからね。アオハルココロの事務所は、大物芸能人も所属している大企業だから、そういう情報の取扱には慎重なはず。もしそのルートで問題が起きた場合も、ネットの向こうにいて特定が難しい相手よりは対処はしやすいよ」
ヒロトのフォローにも、香辻さんの表情は晴れない。
「……私の個人情報が分かりそうなアーカイブの動画を見つけ出して、削除したほうがいいんでしょうか」
香辻さんは寂しそうに言って、箸でハンバーグをつついていた。
百本を超えるアーカイブ動画の全てが灰姫レラの生きてきた証であり、作り上げてきた作品だ。それを消すというのは、魂を削るということになる。
プロデューサーとして、ヒロトはそんなことを香辻さんにさせたくなかった。
「大丈夫、今はまだ様子を見た方がいい。こちらからアクションを起こして、まったく関係ない人間に変なふうに注目されるのが一番よくないよ。それに、このDMが嫌がらせ目的なら相手を調子づかせて、さらに嫌がらせがエスカレートとするかもしれないからね。慌てず、冷静に動こう」
「はい! まずは私が落ち着かないとですよね!」
香辻さんはエネルギーを貯めるんだとばかりに、おにぎりを一口で頬張ってさらにハンバーグも口に運ぶ。小さな頬がリスみたいにもぐもぐと動いていた。
「この文面だけじゃ、まだ警察は動いてくれないだろうけど、もっと直接的な嫌がらせをしてくるようだったら、問答無用ですぐ警察に連絡を入れるよ」
「分かりました。その時は私もちゃんと警察の人に話します」
もし、あの文面が警察を介入させない意図を含みつつ、香辻さんを不安にさせるためなら、相当のやり手だ。
「場合によっては探偵を雇うって手もあるよ」
「探偵さんって、ちょっと怖い気がするんですけど……」
「もし必要になったら、以前に僕が世話になった探偵を紹介するよ。ちょっと独特な人だけど、信頼できる人だから安心していい」
「知り合いの探偵さん?! 河本くん、すごいです! ドラマみたいです!」
香辻さんは目をキラキラさせて、尊敬の眼差しでヒロトを見る。
「すごくはなくて……お世話になる状況がそもそも……まあ、いいや。あとはネット側からの対策か。この謎のアカウントの相手を囮サイトに誘導して個人情報を盗むとか、ハッキングに近い方法か……」
「河本くんって、3Dのモデリングと演出だけじゃなくて、ハッカーみたいなこともできるんですか!?」
キラキラしていた目をさらに大きく開いて、香辻さんが驚きに箸を握りしめる。
「さすがにネットワーク関連は専門じゃないから無理だよ。スミスがそっち方面に詳しいから話だけは聞いたことがあるんだ。凄腕のハッカーとか都市伝説レベルの天才ゲーマーの知り合いもいるとか言ってたな」
「スミスさんがですか? 人の選り好みが激しそうなのに、意外です」
疑わしそうに眉を寄せる香辻さんに、ヒロトは笑い声を漏らす。
「ハハッ、スミスの性格はアレだけど、僕より全然顔が広いよ。音楽繋がりで芸能関係にも知り合いが多いみたいだし、嫌がらせとかのトラブルにも詳しいかもしれない」
「はへ~、音楽とゲーム以外にもスミスさんにそんな人付き合いの才能が……」
「あとで灰姫レラの新曲と一緒に相談してみるよ」
「よろしくお願いします! それと、その、色々と相談に乗ってくれて、ありがとうございます!」
改まって頭を下げる香辻さんに、ヒロトは少し照れくさくなって鼻を掻く。
「灰姫レラのプロデューサーだからね」
ヒロトの答えに、香辻さんは「えへへ……」と小さく笑ってから、こちらを見つめたままお弁当箱に箸を伸ばす。
その後、箸で掴んだのがブロッコリーではなく、料理を仕切る緑のバレンだと気づかずに、それを口まで運んでいた。
食後は新しくデビューしたVチューバーについてアレコレと話したり、配信で使うサムネイルの作り方の話をしていたらお昼休みが終わってしまった。
香辻さんも謎のDMの件を相談できて安心したのか、午後の授業に集中しているようだった。ヒロトは授業中もこっそりとスマホで例のアカウントについて調べてみたけれど、特に手がかりは得られなかった。
それ以上の問題も、進展もなく一日の授業が終わる。
部活に急ぐ野球部員に、スマホを持ち寄って遊び始める男子生徒たち、女子3人のグループは何か盛り上がった様子で教室を出ていく。教室の前方では日直の夜川さんが、ホームルームの連絡事項が書かれた黒板を大雑把に消している。
いつもと変わらない放課後の風景だ。
今日は秘密基地スタジオでの灰姫レラの配信や動画撮影はない。
「それじゃ、河本くんまた明日」
鞄に荷物をしまった香辻さんが席から立ち上がる。
「あ、家の近くまで送ってくよ」
ヒロトも自分のリュックを背負って言う。
「えっ! ど、どうしてでしょうか?」
意図が伝わらなかったのか、香辻さんはあたふたと鞄を抱きしめる。
「あんな変なDMが来た後だからさ、香辻さんになにかあると――」
「あっ、ちゃんとDMと届いてたんだ~」
まったく予想していなかったタイミングで、その声は二人の会話に割り込んできた。
「えっ?」
「DMって……?」
驚いて、同時に振り返る二人。
「あたしが灰姫レラちゃんに送ったやつの話だよね?」
夜川さんが、様子を伺う猫みたいな表情で、チョークまみれの黒板消しを手にして立っていた。
####################################
少しシリアスな話し合いの後に待っていたのは、
クラスメイトの夜川さんだった!
一体なぜ夜川さんは、灰姫レラにDMを送ったのか?
ちなみに、夜川さんって誰だっけ?と思いの方は、
是非『#01』を読み返して頂けると、彼女が登場しています(DM:ダイレクトマーケティング)
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■□■□河本ヒロトPart■□■□
「きょっ、脅迫状なんです! 河本くん!」
香辻さんは辺りを窺ってから、ヒロトに顔を寄せてヒソヒソ声で言った。本人は内緒話のつもりのようだけれど、裏返り気味の声は校舎裏に十分響いていた。
「ずいぶん物騒な話だけど、誰に届いたの? 香辻さん? 家族の誰か?」
ヒロトは昼食のサンドイッチをコンビニの袋から取り出そうとしていた手を止めて聞き返す。
遅刻ギリギリで登校してきた香辻さんが、悩んだ様子で授業が始まる前に「相談したいことがある」と言っていたのはこの事だったようだ。
「あ、えっと! 私というか灰姫レラというか! えっとえっと! よく分からなくて、あ、でも、その!」
香辻さんが目をぐるぐるぐしながら、なぞの手振りで伝えようとする。不安で考えすぎて、頭の中がパンクしそうなのだろう。
「香辻さん、まずは一緒に深呼吸しようか」
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「は、はい! すー……はー…………」
「その脅迫状はいま持ってる?」
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「なるほど……」
ヒロトは口に手を当てて考える。このDMからでは脅迫と断定する事はできないが、もちろん放置したり、笑って済ませられる内容ではない。
「身バレしちゃってるんです……」
「とりあえず、文面からすると送り主は確信を持ってなさそうだね」
「そうですよね……」
不安そうに目を伏せる香辻さんに、ヒロトは小さく頷く。
「でも、きちんと対処しないといけない問題だね」
「ありがとうございます!」
香辻さんはホッと胸をなでおろし、思い出したようにお弁当箱を開ける。お弁当箱の中には一口サイズのハンバーグを主菜にプチトマトなどの野菜類、それに可愛らしい俵型おにぎりが4つ入っている。今日は香辻さんの手作りのようだ。
ヒロトも手にしたままだったサンドイッチの包装を開けて、チキンカツサンドを一口かじる。
「さてと相手のアカウントは……」
片手で自分のスマホを操作して、ツイッターでDMの送り主のアカウントページを開く。非公開ではないし、ブロックもされていない。そもそもツイートすらしていなかった。
「捨てアカ……? にしては、IDはそれっぽくないか……」
ユーザー名は『ねこじゃらしっぽ』で登録IDも同じだ。攻撃的な捨て垢なら、もっと没個性的な名前か完全ランダムにする傾向がある。
「知り合いに心当たりはない? 例えば猫好きの人とかで」
「まったくないです! 友達いないので」
食い気味に答える香辻さんに、ヒロトも合わせて頷く。
「僕も心当たりが無いかな」
「なんで河本くんが?」
ハンバーグを箸で細かく切っていた香辻さんが首をかしげる。
「灰姫レラに僕が関わってることを知って、誰かが嫌がらせを仕掛けてきた可能性もあるからね」
「絶対違います! アオハルココロちゃんみたいに、河本くんの才能を欲しがってとかなら分かりますけど……嫌がらせなんて!」
そんなことは絶対にないと信じ切っている香辻さんに、僕は首を横に振る。
「自業自得だったり、恨みを買ったり……他にも色々あるからね」
ヒロトが、とあるVチューバーのプロデュースのごたごたで腹を刺されたことは、かつての仲間であるスミス経由で香辻さんも知っている。そして、それ以外にもまだ話せないでいることがあった。
「河本くんは関係ないと思うけど……、とにかく相手のことが何も分からないと、どうしようもないですね」
「いや、すぐに対処できなくても、対策は考えておいたほうが良い。何か起きた時にすぐに動けるからね」
「なるほど、分かりました!」
香辻さんの声が最初よりも弾んでいた。DMを受け取ってから一人で考え続けて、不安が膨れていたに違いない。
「これからは何かあったら、すぐ僕に連絡すること。それこそ夜中でも」
思わず強くなってしまったヒロトの口調に、香辻さんは少しびっくりしながらも視線を逸らさない。
「は、はい……でも、と、盗聴とか、コンピューターウィルスで河本くんの個人情報が流出したり……」
「大丈夫だよ。香辻さんが変なサイトにアクセスしたり、ツイッターで怪しいアプリと連携してなければね」
「も、問題はないと……思うけど……あ、でも、一応調べてください! 中は見ても大丈夫なので!」
「オッケー」
押しつけられた香辻さんのスマホを受け取り、各種のアプリや設定を調べる。インストールされているのはゲームや配信で使うアプリなどで、スパイウェア系や怪しいものはない。ツイッターのアプリ連携にもおかしい項目はなかった。
「うん、大丈夫だよ」
「河本くんが確かめてくれたなら、もう安心です!」
満足そうに言って香辻さんは、お弁当の大きめのブロッコリーを一口で頬張る。味覚を取り戻したような食べっぷりに、ヒロトもチキンカツサンドを食べかけだったことを思い出した。
「何をするにも、頭に栄養を回さないとね」
「ですね!」
それぞれの昼食を食べ進めながら、ヒロトは話しを続ける。
「まずはどうして身バレしたかを考えよう。灰姫レラの正体が香辻さんだって気づくルートだけど、一つは動画からだね」
「それは河本くんですね……私が配信中に学校であったことを話してしまって……」
飲み込んだプチトマトの色が移ってしまったみたいに、香辻さんは頬を染める。
「このルートの場合は香辻さんと物理的に距離が近い人。学校や近所、あるいは親戚とかかな」
まったく見ず知らずの人間がストーカー化するなんて話はフィクションでよくあるけれど、実態は10%以下だ。変に可能性を広げて、香辻さんを怖がらせないほうがいいだろう。
「声からでしょうか?」
「うーん、どうだろう。声って割と先入観が大きいから、その人だって思わないと同一人物だって分からなかったりするよ。例えば電話の声は通信量を少なくするために、機械的に作られた合成音声だけれど、その人の声だって分かる。逆もまた然りだね」
ヒロトの説明に、「電話ってそうだったんですか!」と香辻さんは驚いていた。
「あ、電話じゃなくてもそういうの分かります。人によっては、配信用のマイクを通すだけでも、声が結構変わっちゃったりしますよね。私の場合ってどうでしょうか? 自分の声ってよく分からないんですけど」
「そうだね。香辻さんが灰姫レラになってる時は、アオハルココロに声の感じが似ているから、一見さんならそっちのイメージに引っ張られるんじゃないかな。あ、別に個性がないとか、そういう話じゃないからね」
「分かってます。というか、むしろです! アオハルココロちゃんに声が似てるって、言ってもらえるのは、すっごく嬉しいです」
香辻さんは箸でつまんだ一口サイズの俵型おにぎりを噛みしめた。
「声じゃなくて、話の内容から身バレした可能性もあるね。出かけた場所から大まかな地域の特定は簡単。例えば購入した製品を総合的に判断すれば、取扱商品からどこの系列のスーパーをよく使ってるとか分かる」
「私、コンビニの限定商品とかよく喋っちゃいます!」
「ただ、そうなると引っかかるのは、灰姫レラが陽キャを偽ってた時に捏造エピソードを披露していたこと」
「そ、そんなこともありましたね……」
バツが悪そうに香辻さんはチーズの欠片を飲み込んだ。
「捏造とそうでないエピソードの見極めは難しいんじゃないかな。もろにネットで調べました系の話題は検索で一発だけど、クラスメイトの話を聞き耳を立てて、それを香辻さんがアレンジしたのは赤の他人には判別できないと僕は思う」
「となると、配信で喋った内容から身バレしたわけじゃないんですね」
「うん、可能性は低いね」
ヒロトの言葉に香辻さんは安堵したように紙パックのお茶を飲む。
「次に考えられる身バレのルートが、灰姫レラの正体が香辻さんだと知っている人から直接情報が流出したパターン」
「それは……無いと思うんですけど……」
箸を止めた香辻さんの顔が露骨に曇る。他人を疑うことが苦手なのだろう。しかし、ヒロトとしてはその可能性を考慮しないわけにはいかない。
「灰姫レラの正体が香辻さんだって知っているのは、僕、香辻さんの妹の紅葉ちゃん、作曲家のブラックスミス。他にいるかな?」
「私は誰にも喋ってません。うっかり喋っちゃう友達もいないので大丈夫です!」
ふるふると首を振った後に、香辻さんは力強く頷いた。
「後は……アオハルココロか……」
「そんなことありません! だって、私がアオハルココロちゃんに会ったのはVRワールドだけで、リアルでは面識もなければ名前も教えてません!」
すぐに否定する香辻さんだったが、ヒロトは渋い顔を変えない。
「アオハルココロは、元プロデューサーだった僕のことをよく知っている。僕が住んでるビルとその地下にある収録スタジオのことも。出入りしている人間を調べれば、すぐに香辻さんに行き着くよ」
「アオハルココロちゃんは絶対にそんなことしないです!」
大きな声を出した香辻さんは勢い余って紙パックを握る。ストローからピュッと飛び出した烏龍茶がベンチの端っこを濡らした。
香辻さんにとって、トップVチューバーのアオハルココロは憧れの存在だ。アオハルココロを目指して灰姫レラとして活動を始め、先日ついにコラボ配信でライブ対決をした。そこで彼女と相対し、香辻さんはさらにアオハルココロへの敬意を強めているようだった。
「もちろん、アオハルココロ本人がそんなことはしない。でも、アオハルココロは企業に所属している。配信外の情報、例えばVRワールドの行動ログなんかは他の人も見ることができるはずだ。そこから僕だけじゃなく、香辻さんの情報が流出することは十分に考えられる」
「アオハルココロちゃんの周囲から……もし、そうなると完全にお手上げですね……」
「可能性の話だからね。アオハルココロの事務所は、大物芸能人も所属している大企業だから、そういう情報の取扱には慎重なはず。もしそのルートで問題が起きた場合も、ネットの向こうにいて特定が難しい相手よりは対処はしやすいよ」
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香辻さんは寂しそうに言って、箸でハンバーグをつついていた。
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プロデューサーとして、ヒロトはそんなことを香辻さんにさせたくなかった。
「大丈夫、今はまだ様子を見た方がいい。こちらからアクションを起こして、まったく関係ない人間に変なふうに注目されるのが一番よくないよ。それに、このDMが嫌がらせ目的なら相手を調子づかせて、さらに嫌がらせがエスカレートとするかもしれないからね。慌てず、冷静に動こう」
「はい! まずは私が落ち着かないとですよね!」
香辻さんはエネルギーを貯めるんだとばかりに、おにぎりを一口で頬張ってさらにハンバーグも口に運ぶ。小さな頬がリスみたいにもぐもぐと動いていた。
「この文面だけじゃ、まだ警察は動いてくれないだろうけど、もっと直接的な嫌がらせをしてくるようだったら、問答無用ですぐ警察に連絡を入れるよ」
「分かりました。その時は私もちゃんと警察の人に話します」
もし、あの文面が警察を介入させない意図を含みつつ、香辻さんを不安にさせるためなら、相当のやり手だ。
「場合によっては探偵を雇うって手もあるよ」
「探偵さんって、ちょっと怖い気がするんですけど……」
「もし必要になったら、以前に僕が世話になった探偵を紹介するよ。ちょっと独特な人だけど、信頼できる人だから安心していい」
「知り合いの探偵さん?! 河本くん、すごいです! ドラマみたいです!」
香辻さんは目をキラキラさせて、尊敬の眼差しでヒロトを見る。
「すごくはなくて……お世話になる状況がそもそも……まあ、いいや。あとはネット側からの対策か。この謎のアカウントの相手を囮サイトに誘導して個人情報を盗むとか、ハッキングに近い方法か……」
「河本くんって、3Dのモデリングと演出だけじゃなくて、ハッカーみたいなこともできるんですか!?」
キラキラしていた目をさらに大きく開いて、香辻さんが驚きに箸を握りしめる。
「さすがにネットワーク関連は専門じゃないから無理だよ。スミスがそっち方面に詳しいから話だけは聞いたことがあるんだ。凄腕のハッカーとか都市伝説レベルの天才ゲーマーの知り合いもいるとか言ってたな」
「スミスさんがですか? 人の選り好みが激しそうなのに、意外です」
疑わしそうに眉を寄せる香辻さんに、ヒロトは笑い声を漏らす。
「ハハッ、スミスの性格はアレだけど、僕より全然顔が広いよ。音楽繋がりで芸能関係にも知り合いが多いみたいだし、嫌がらせとかのトラブルにも詳しいかもしれない」
「はへ~、音楽とゲーム以外にもスミスさんにそんな人付き合いの才能が……」
「あとで灰姫レラの新曲と一緒に相談してみるよ」
「よろしくお願いします! それと、その、色々と相談に乗ってくれて、ありがとうございます!」
改まって頭を下げる香辻さんに、ヒロトは少し照れくさくなって鼻を掻く。
「灰姫レラのプロデューサーだからね」
ヒロトの答えに、香辻さんは「えへへ……」と小さく笑ってから、こちらを見つめたままお弁当箱に箸を伸ばす。
その後、箸で掴んだのがブロッコリーではなく、料理を仕切る緑のバレンだと気づかずに、それを口まで運んでいた。
食後は新しくデビューしたVチューバーについてアレコレと話したり、配信で使うサムネイルの作り方の話をしていたらお昼休みが終わってしまった。
香辻さんも謎のDMの件を相談できて安心したのか、午後の授業に集中しているようだった。ヒロトは授業中もこっそりとスマホで例のアカウントについて調べてみたけれど、特に手がかりは得られなかった。
それ以上の問題も、進展もなく一日の授業が終わる。
部活に急ぐ野球部員に、スマホを持ち寄って遊び始める男子生徒たち、女子3人のグループは何か盛り上がった様子で教室を出ていく。教室の前方では日直の夜川さんが、ホームルームの連絡事項が書かれた黒板を大雑把に消している。
いつもと変わらない放課後の風景だ。
今日は秘密基地スタジオでの灰姫レラの配信や動画撮影はない。
「それじゃ、河本くんまた明日」
鞄に荷物をしまった香辻さんが席から立ち上がる。
「あ、家の近くまで送ってくよ」
ヒロトも自分のリュックを背負って言う。
「えっ! ど、どうしてでしょうか?」
意図が伝わらなかったのか、香辻さんはあたふたと鞄を抱きしめる。
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まったく予想していなかったタイミングで、その声は二人の会話に割り込んできた。
「えっ?」
「DMって……?」
驚いて、同時に振り返る二人。
「あたしが灰姫レラちゃんに送ったやつの話だよね?」
夜川さんが、様子を伺う猫みたいな表情で、チョークまみれの黒板消しを手にして立っていた。
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一体なぜ夜川さんは、灰姫レラにDMを送ったのか?
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